第9話 夢の中で
そこは、星空だった。
金色の草が波を打って、ルピカの体をやさしく叩く。風にあおられた一筋の髪が群青色をしていたので、ここは夢の中なのだと悟る。体を起こして、立ち上がる。
ゆるやかな風が吹くこの丘は、見上げれば満天の星が輝いている。星は夜空にとまっているのではなく、呼吸するようにゆっくりと浮き沈みを繰り返していた。まるで、ルピカが立つこの場所が、海の底なのではないかと錯覚してしまうほどに。
虹色の尾をひいた星が、鈴の音を響かせて流れていった。そこには、白珠の姿も、瀬乃の姿もなかった。ルピカは歩き始める。歩く度に、チリンチリンと涼やかな音色が夜空から聴こえてくる。
甘い香りがした。香りを頼りに進むと、蛍のような小さな光が浮いているのが見えた。その下に、柚月がいた。
金色の草の上に敷物をしいて、陶器の皿を並べている。柚月の長い髪の間から、青白く細い首がのぞいていた。項垂れた後ろ姿は、迷子になった少女のような儚さがあった。
「いい香り」
ルピカは近づいて、並べられた皿の上や茶器をのぞきこんだ。
「誰?」
柚月は振り返って、ルピカを凝視する。目を見開き、唇からは色が失せていく。
「わたしは、ルピカ。ねえ、何をしていたの?」
「……お茶会よ」
「一人で?」
ルピカが隣に座ると、柚月は目を力強くつむって、そして開く。まだ目の前にいるルピカの姿を見て、その瞳に恐怖の色が浮かんだ。
「あなた、誰なの? ここは私の夢。私の夢の中よ!」
どうやら柚月は、念じればルピカの姿を消せると思ったようだ。誰もがそうであるように、夢の中は自分が創り上げた、自分だけの世界であるから。
「柚月さん、あなたに会いに夢の中までやってきたのよ」
「私に会いに?」
「そう、あなたの旦那様に頼まれてね」
「藤也さんが?」
柚月は「あっ」ともらした声をふさぐように、ふるえる指先で唇を押さえた。
「ち、ちがうの。これは、ちがうのよ。私は、夢をわたる女じゃない。夢なんて見ていないわ。藤也さんだって、知らないはずよ」
小さく悲鳴をあげると、柚月は飛び上がった。地面を蹴って、ふわりと夜空をかけて行く。
「すごい! 空を飛んでいる!」
ルピカは目を輝かせた。柚月の姿はあっという間に小さくなっていく。
「それにしても、わたしは言葉足らずね。柚月さんを勘違いさせてしまったみたい」
ルピカは足を踏み込んで、飛び上がる。すると体は重さを無くし、夜空へと舞い上がった。着物の袖がふくらみ、鳥の翼のように優雅に羽ばたいた。瞬く星々の中で、ルピカは両手を大きく広げた。
「なんて、美しい世界なの!」
前を行く柚月の後ろ姿を追いながら、ルピカはこの星空の夢を創り上げた柚月は、きっと美しい心を持った人であろうと思った。
白珠は、自分の意識が体に戻ってくるのを感じた。死んでいるのに、体の感覚があるというのは変なことであると、自嘲しながら目を開く。
隣には、瀬乃が座っていた。急に恥ずかしさを覚えて、慌てて白珠は跳ね起きる。
「瀬乃さん。いつからそこに?」
「いつと言われると正確には答えられませんが、ついさっき、というのが正しいですかね」
それと、と瀬乃は白珠の方を見る。
「さんはいりません。瀬乃で結構ですよ」
言われて、白珠は目を伏せる。襟元を押さえた指先がふるえていた。
「あの……。お伺いしたいことがあります」
「はい。何でしょう?」
「呪いはどうなったのでしょう?」
「柚月さんの、ですか? それとも」
「私のです」
瀬乃は微笑んで、白珠の方に顔を寄せた。白珠は瀬乃の顔を見ない。
「初めてお会いした時、呪われていると、瀬乃は言いましたね」
「僕が花嫁の
「瀬乃は、知っているのですか? それとも、わかるのですか? 私が呪いを持っていることを」
問い詰めると、瀬乃は頭を少しだけ傾けて、微笑んだ。
「夢をわたることは、呪いではありません」
「そちらのことではありません」
白珠は確信にちかい直感で、瀬乃に向き合っていた。
瀬乃は、わかっている。白珠の秘密を。
「大丈夫ですよ」
やさしい声だった。驚いた白珠は真っすぐな視線を瀬乃に向けた。
赤い瞳は「あの人」の目のように恐ろしく思えたのに、今は太陽の光のように寄り添っていいのだと、温かさを感じる。
「あなたに返ってきた呪いは、もう解けています。そして、呪いを解いたのは僕ではありません。ルピカです」
「あの子が?」
瀬乃はうなずく。
「ルピカは無自覚でしょうけれど。呪いを解く力を持っています。兄さんが側に置いていた理由が、わかるような気がします」
そう言った瀬乃は、どこかさびしそうに遠くを眺めた。
「白珠がどうして呪いを持っていたのか、いくら僕でも、詳しい事情を知ることは出来ません。けれど、誰の呪いかはわかります」
どきりとした。白珠は、瀬乃の視線から逃れるように顔を背けた。
「……他の人には、まだ、言わないでください」
「もとより、言うつもりはありませんよ。──およ?」
瀬乃が変わった声を上げたので、白珠は顔を上げた。すると、鳥のように夜空をはしる見慣れた姿が目に飛びこんできた。ルピカだった。しかも、ルピカは柚月を追いかけているようであった。
「あの子、一体何を?」
驚いたまま夜空を見上げる白珠の隣で、瀬乃は感心していた。
「人間って、飛べるんですねぇ」
瀬乃はのんきにそんなことを言う。
「僕たちもやってみましょうか」
「え?」と聞き返した時にはもう遅かった。「失礼します」と瀬乃は白珠を抱き寄せると、そのまま飛翔した。
「あはは。本当に飛べました。面白いですね、夢の中って」
上機嫌に瀬乃は言うと、少し顔を傾けて、隣にいる白珠に微笑みかけた。
「大丈夫ですよ、白珠。もう、誰もあなたのことを責める人は、ここにはいません」
白珠は瀬乃の腕の中で、うつむいて、それから目を固く閉じた。涙を落とさないようにするために。
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