『童話』 灰色の猫と不思議な靴

(//∇//)もじ (変更前は夕詠)

第1話


 あるところに、小さなくつの工房がありました。

 そこでは、少し頑固だけれど腕の良い親方と、まだ若い見習いの少年ユーリが、毎日コツコツと靴を作っていました。


「いつかきっと、自分の作った靴で誰かを笑顔にしたい」

 それが、ユーリの夢でした。


 そんなユーリの話し相手は、工房の隅でいつも丸まって昼寝をしている、灰色猫のミストです。

 気まぐれで少し生意気なこのミストは、人間の言葉を話すことができる不思議な猫でした。


「また釘を曲げたね、ユーリ」

「うるさいな、ミスト。黙って見ててよ」


 夜になっても、工房に残って靴作りの練習を続けるユーリを、灰色の猫ミストがいつものようにからかっています。

 彼が話せることは二人の秘密でした。


 ふと気づくと、窓の外はすっかり暗くなっていました。

 向かいの家々の窓からは、甘い蜂蜜のような温かい明かりがもれて、夜の町をやさしく照らしています。

 高台にそびえるお城が、夜空に浮かぶ宝石箱のようにキラキラと輝いていました。

 その光の海の中で流れるダンスの音楽が、遠く離れたユーリの耳にも聞こえてくるようでした。


 革を握る手をそっと止め、ユーリは夢見るようにその光景を眺めました。


 ◇ ◇ ◇


 お城には、リリアという可愛らしいお姫様が住んでいました。

 幼い頃に母を亡くしたリリア姫でしたが、国王である父の深い愛情に包まれて、素直で心優しい娘に育っていました。


 リリア姫には、双子の兄たちがいました。

 兄たちはいつも意地悪をして、小さな妹を困らせてばかりいます。

 リリア姫が大切にしている刺繍の道具を隠したり、お気に入りの絵本をわざと高い棚の上に置いたり。ティータイムの素敵なお菓子を、二人で全部食べてしまうこともありました。


 それでもリリア姫は怒ることなく、ただ困ったようにうつむくだけでした。


 ◇ ◇ ◇


 ある日の午後のことです。

 お城の庭で花に水をやっていたリリア姫のもとへ、双子の兄たちがやってきました。


「リリア、父上が新しい靴を作ってくれたんだってさ」

「城を出て、街の外れにある靴工房まで、取りに行ってこいって」


 にこにこと笑っている兄たちでしたが、リリア姫は戸惑いました。

 王様がこんな命令をするはずがありません。

 すぐに、これは兄たちの仕組んだ意地悪だと気づきました。

 しかしおとなしいリリアには、逆らう勇気はありませんでした。


「わかりました……」

 小さな声で答えるのがやっとのリリア姫は。

 兄たちにしたがってたった一人で、城下街へと出かけていきました。


 ◇ ◇ ◇


 賑やかな表通りをぬけると、人通りの少ない路地裏にでました。

 リリア姫が恐る恐る、煤けた壁に挟まれた古い石畳を進むと。路地の奥にひっそりと佇む、小さな靴工房が見えてきました。

 色あせた木製の看板には、確かに靴の絵が描かれています。


 ほっと胸をなでおろしたリリア姫でしたが、目に留まったのは。

 お店のドアにかかった「本日休業」の札でした。


 ◇ ◇ ◇


 トントン。

 控えめな音が工房のドアから聞こえてきて、ユーリとミストは顔を見合わせました。

 今日はお休みの日で、工房には二人しかいません。

 ドアには「本日休業」の札もかかっているはずです。

 

「はーい、どちら様ですか?」


 ユーリがドアをそっと開けると。

 そこにいたのは美しい水色のドレスをまとった、小さなお姫様でした。

 彼女は少し恥ずかしそうにうつむきながら、立っています。

 ユーリは驚きましたが。


「お姫様、何か御用ですか?」

 と丁寧に尋ねました。


 リリア姫は顔をだしたのが少年だったので、少し安心しました。それでも恐る恐る。


「王様に頼まれて……舞踏会で履く靴を取りに来ました……」

 と説明しました。


 ユーリも、きっと親方だって。そんな重大な話は聞いていません。

 なにしろここは、街の片隅にある無名の小さな靴屋なのですから。

 でも、もしもお城で腕を認められれば、工房は有名になって、親方にも恩返しができます。

 ユーリは覚悟を決めて言いました。


「お姫様。すぐに最高の靴をお作りしますので、こちらでお待ちいただけますか?」


 ユーリが工房の扉を大きく開けると。

 リリア姫は、ほっとしたようにうなずきました。

 窓辺に用意された小さな椅子にちょこんと腰かけて、リリア姫は靴が出来上がるのを楽しみに待つことにしました。


 ◇ ◇ ◇


 天井に隠れてそっと様子をうかがっていたミストが、ひらりと降りてきました。

 小さな口には、青く光る不思議な革の切れ端をくわえています。


 ミストから布を受け取ったユーリは。

「これがあれば、素敵な靴が作れるぞ!」

 と目を輝かせて、早速作業に取りかかりました。

 机の上には針や糸、型紙、そして小さな道具たちが整然と並べられています。

 革を曲げて形を整え、細かいステッチを丁寧に刺していきます。


 針先が光を反射し、小さな星のように輝くたび、リリア姫の胸もワクワクと高鳴りました。


「お姫様は、どんな靴がお望みですか?」

 灰色猫のミストが話かけてきたので、リリア姫はびっくりしました。


 少し恥ずかしそうに。

「……ダンスが上手に踊れる靴ができたら、嬉しいです」

 と答えました。


 リリア姫はダンスが苦手でした。

 しかし今度の舞踏会では、みんなの前で王様である父とダンスを踊らなければなりません。


 ミストがこっそりと、リリア姫に耳打ちをしました。

「パーティーに私とユーリを招待してくれるなら、ダンスが上手く踊れるようになる本物の魔法をこの靴にかけてあげますよ」

 リリア姫の瞳が、金色の猫の目を見つめてきらきらと輝きました。


「お約束しますから、どうか魔法をかけてください!」


 ミストは大きくうなずきました。

 お尻を突き出すと、ピンと立てたしっぽをぐるぐると回しながら、不思議な魔法の言葉を唱えはじめました。

 それから、ユーリの方に向かって、しっぽを魔法の杖のように振りました。


 すると、ユーリが小さな釘をひとつ打つたびに、靴はかすかな光を放ちはじめました。

 トントン……トントン……

 音に合わせて革がやわらかく光り、糸が星屑のようにきらめいていきます。


 そして――。

 最後の針を通したとき、青い光がふわりと広がりました。

 まるで、夜空をそのまま閉じ込めたような、美しい靴が出来上がりました。つま先には小さな花の刺繍が星のように輝いています。


「まぁ……なんて美しい靴かしら、まるで夜空を閉じ込めたみたい」


 リリア姫はうっとりと言いました。

 そっと足を入れてみると、青い魔法の靴は姫の足にぴったりでした。

 羽根のように軽く、靴を履いたとたん身体が自然に動き出します。

 クルクルとまるで宙を舞うように、リリア姫は踊りはじめました。


「なんて軽いのかしら。心まで軽くなっていくみたい」


 ふさいでいた心が、踊りだしたようでした。

 姫の胸には、今まで持てなかった勇気が静かに湧いてきました。

 小さなお姫様は明るい笑顔を浮かべて、ユーリの手を取りました。


「きっと今なら、笑顔で踊れるわ。本当にありがとう!」


 自分の作った靴で誰かを笑顔にできた――その喜びが、ユーリの胸いっぱいに広がりました。


「この靴をはいて舞踏会で踊る姿を見れば、きっと王様もお喜びになります。さあ、お城に帰りましょう!」


 ミストを肩に乗せて、二人はお城へと歩き出しました。


 ◇ ◇ ◇


 お城では、リリア姫が戻ってこないことにヤキモキしていた双子の兄たちが、門の上で妹の帰りを待っていました。

 そこに、リリア姫がユーリと一緒に戻ってきました。


「リリア、遅いぞ!」

「何やってたんだ!」


 二人は慌てて駆けよりました。

 か弱い妹がすぐにねをあげて戻ってくると思っていたのに、なかなか帰ってこないので、すっかり心配していたのです。

 ところがその妹は、道案内の少年を連れ、足元には夜空のように輝く青い靴をはいていました。


「なんだよ、その靴」

「そんなのはいてなかっただろ!」


 驚きと戸惑いが混じった声を上げる双子の兄たち。

 その少し後ろから、王様が現れました。


「無事に戻ったか。よかった」


 門番から話を聞いた王様も、リリア姫を心配して、お城の庭までやってきていたのです。


「リリア、一体どうしたというのだ」


 優しく声をかけると、リリア姫は少しうつむきながら、ユーリが作ってくれた素敵な靴のこと、そして兄たちの言葉のことを、すべて正直に話しました。


 双子の兄たちは、自分たちの企みが明るみに出てしまい、顔を真っ青にして立ち尽くしました。


 王様はそれを聞いて顔を赤くして怒りました。

「お前たち……なんということを!」


 けれど、王様が叱ろうとしたその時。


「お父様。お叱りになる前に、兄たちの気持ちをちゃんと聞いてあげてください」

 と、リリア姫が静かに言いました。


 王様はハッとして。二人の視線と合わせるようにして、優しい声で聞きました。


「……どうしてこんなことをしたのだ?」


 王様の顔をみて、双子の兄たちは堪えきれずに泣き出しました。


「お母様がいなくなってから、お父様は……ぼくたちが立派な王子になるようにって、とても厳しくなりました。でもリリアだけは、いつも優しくされてて……悔しかったんです」


 その言葉を聞いた王様は反省しました。

「そうか……寂しい思いをさせてしまっていたのだな。すまなかった」


 王様は二人を抱きしめました。

「これからは母がいた頃のように、時には厳しく、でも普段は優しい父親に戻ると約束しよう」


 それから双子は優しい兄たちに戻って、リリア姫への意地悪もピタリとなくなりました。


 ◇ ◇ ◇


 舞踏会の夜。

 ユーリが心を込めて作った青い靴が、リリア姫の足元で夜空の星々のように輝いていました。


 魔法の靴を履いて踊るリリア姫は、誰よりもダンスが上手でした。

 楽団の奏でるワルツに合わせたステップは、まるで雲の上をスキップしているように軽やかで。王様と息を合わせて回る姿は、春風に舞う可憐な花のようでした。

 そしてなにより、リリア姫自身がとても楽しそうにダンスを踊っていました。


 舞踏会場は楽しい雰囲気に包まれていました。

 シャンデリアの光が衣装や髪飾りに反射して、まるで宝石箱をひっくり返したような眩しさです。


 ユーリも会場の中で、楽しそうに踊るリリア姫の姿を嬉しそうに見つめていました。

 工房で思い描いた通りの華やかな光景が今、目の前に広がっています。


 ミストは、ユーリと座った特別な席で、王宮のご馳走をこれでもかというほど平らげて、満足そうに喉を鳴らしていました。

 このしゃべる灰色の猫――ミストは。

 昔、お城に仕えていた魔法使いの使い魔の末裔まつえいだったのです。


 代々その血に受け継がれてきたのは、人々を助けるための特別な魔法の力でした。

 ひたむきに努力を続けてきたユーリとの絆と、リリア姫の純粋な心に触れて――ミストの中に眠っていた力が目を覚ましたのです。

 もちろん、このことはミストだけの秘密ですが。


 ◇ ◇ ◇


 その後、ユーリは親方にも認められ、王様からお城の専属靴職人に任命されました。

 彼がいた工房には新しい弟子たちも入り、この国で一番の大きな靴工房へと成長しました。


 ミストはといえば、その賢さと愛嬌で王様にすっかり気に入られ、王宮での暮らしを許されました。

 いつでも台所に顔を出せば、料理人たちが焼きたての魚を分けてくれるのです。

 まさに夢のような毎日でした。


 かつてリリア姫を困らせてばかりいた双子の兄たちも、成長するにつれて心優しい立派な若者となりました。

 今ではリリア姫の良き理解者であり、頼もしい兄たちです。


 こうして、靴職人のユーリとリリア姫、そしてしゃべる灰色の猫ミストは――

 いつまでも、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。


        おしまい。

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