#1

今のところ、人生に楽しいことなんて何も見つけられていない。


小学生から中学生になるとき、ランドセルを押し入れにしまって、使わなくなった教科書とノートを段ボール箱に詰めて、古くなった服と一緒に捨てた。当然のように、身の回りの環境が大きく変わった。だからこそ、期待してしまっていた。中学生になれば何か変われるかもしれない。


しかし、何も起きなかった。


そう、某ゲームの赤い魚がはねたところで、何も起きないのと同じで、自ずから何か変化を起こそうとしても何も起きないのがオチだった。


両親が身長が伸びるかもしれないからと、大きめの制服を買ってくれた。いつの日か青い竜になるかもしれないと、遺伝的にはそこまで期待はできないものの、このままだと俺は170cm未満、男性として人権がないと言われる身長のまま一生を終えるかもしれない。それもあって、とにかく必死だった。


牛乳をたくさん飲んだり、バスケ部で運動して、体つくりをした。それでも伸びなかったのは、やはり夜更かしのゲームのせいだろう。成長期に十分な睡眠時間を確保しなかったことが、既に敗因を形成していた。


ゲームは至高だ。三度の飯よりRPGのゲームが好きというのは、文字通りの意味で、食事をすることも忘れて没頭してしまう。そして同じようにゲームが大好きな『ホムラ』が、親友だった。朝から晩まで、暇さえあればゲームをしていた。


『ホムラ』とは、ゲーム上で出会った。無論、これはおそらくユーザーネームで本名ではない。性別は男性で、年齢は二つ上らしく、今年高校3年の年は、受験が忙しくなるらしい。そのせいで、数週間前にin率が下がると話していた。プライベートの連絡先などは交換しておらず、お互い詮索をすることはしなかった。その方が互いのためだとわかっていたからだ。


こんな事を言っては、特大ブーメランになるが、中学生で休日を友達との外出ではなく、家でのゲームに時間を溶かすような学生は、そのプライベートなんてロクなものではないだろう。要は話すことがないから話さないという訳だ。


ただ、ゲーム内のボイチャシステムに頼りきりになって、連絡先すら交換しなかったのは大きな後悔だった。中学3年間、画面を通して繋がれていた縁は、その片方がゲームにログインしなくなったという事実一つで、簡単に切れてしまった。当然寂しさはあるが、同じゲームを続けていれば、いつかも 巡り合える、そんな気がしていて、今は、とにかく目の前のクエストに向き合う他なかった。


高校の入学式という、大きなクエストだ。




式典は嫌いだ。いつまで経ってもその雰囲気には慣れないし、知らない人が次々と壇上に登り、上辺だけの話をするのを聞いていると退屈するし、気分も鬱蒼としてくる。ただでさえ、夜を生活の主軸としているせいで、襲われた眠気に抗う気も起きず、船漕ぎしながら大航海へと船を出した。


「在校生代表 梓川燈火。」


「はい。」


大砲の玉をぶつけられた。そんな感覚だった。返事が聞こえただけだ。たった二文字、言葉が発されたに過ぎない。それなのに、凛とした声が体育館に響いたのは、周りの全員も感じていることだった。


「演劇部の人かな?声めっちゃ響いてたよね!」

「在校生代表ってことは、成績優秀者ってことかな?生徒会長かな?」

「うわ美人じゃん。」


波が立つように、ざわざわと周りが噂をし始める中、一人の女性が壇上に上がる。その姿に、一瞬で釘付けになった。


「綺麗…」


覚えているのはそれだけだ。ただ心臓がどくどくと鼓動を打っていて、少しだけ呼吸が苦しい。きっと、あの瞬間、一目惚れをしてしまったんだ。


「なぁ!って聞いてる?」

「え、あぁ、ごめんなさい。」

「お前、さっき梓川先輩のこと綺麗って、言ってた?」

「だれ?」


急に声をかけられて、返事しなかったのが悪いとはいえ、肩を強めに小突かれて、少し不機嫌になってしまい、思っているより冷たい声を出していた。


「え、俺…俺は長峰 日向。同じクラスの、ってか後ろの席の。」

「あーー。」


どこかで見たことあるかもしれないと思ったのは、入学式の時に近くにいたからだったのか。とげとげとした短い髪に、目鼻立ちの整った顔。男女ともに認めるイケメンという感じだ。その整った容姿も俺を少しイライラさせた。唯一の救いは、身長が同じくらいなことくらいだ。これで高身長だったら、間違いなくコイツを無視していただろう。


「で、梓川先輩、好きなの?」

「な、何言ってんだよ!?」

「だってすげぇ見惚れてただろ?俺はさ~、梓川先輩の隣にいた先輩が気になってさぁ!」


親し気に話しかけてくる長峰に対して、嫌悪感があるわけではなかった。ただ、今は長峰の話が左から右へと抜けていく。好きなの?と聞かれ、まだ入学して初日で、高校生になったばかりで、不釣り合いだし、好きとか、そういう次元に置いていいわけない、なんてありきたりな安い考えがぐるぐると頭を巡っていた。


「在校生代表だろ?あの人、顔もよくて、成績優秀で、すげぇよな!」

「あぁ…」


一通り喋って満足したのか、長峰は「じゃあ!」とその場を去っていく。嵐が去ったかのような廊下で、力が抜けたかのように、ぼーっと廊下を歩き始める。どこに向かっているわけでもなく、無心で歩いていた。今は何か動いていないと、落ち着かなかった。


「え~そうなの?あ、ごめんね…!」


ぼーっとしていたせいで廊下で人にぶつかり、情けなく転んでしまった。


「大丈夫?」


伸ばされた手を反射的に掴む。少し温かくて、細い、女性の、手?


「もー、燈火は周りが見えてないんだから」

「ごめーんって!!」


掴んでいた手をぱっと離すと、先輩はいたずらにニコっと笑いかけてきた。壇上では凛として、美しかった先輩が、子供っぽく、目を細めて笑う姿は、ずるかった。よく見ると、顔は結構幼く感じた。あの時は、遠くてよく見えなかったけど、隣に立ってわかる。身長は、同じくらいだった…。


「この子、一年生かな?」

「わ~!若いね~~」


もう一人の先輩は、さっき長峰が話に出していた梓川先輩の隣にいた先輩、だろうか。名前はわからない。俺は二人の世界、という感じで眼前で会話が進んでいるのをしばらく、時間が止まってしまったかのように傍観していた。


「それじゃ、俺行きます…!!!」

「あ、ちょっと、まって…!」


先輩が呼び止めてきているのも無視して、廊下を走る。緊張と焦りと、身の程を知らずな想いが混ざって、恥ずかしさでどうにかなりそうだった。不釣り合い、それでも……なんて淡い期待はすぐに消えた。


あの時、傍観していたというより、隅々まで観察してしまったせいで、先輩が反対の手に持っていたスマートフォンの画面を覗いてしまった。ロック画面が男性とのツーショットだった。そりゃそうだ。あんなに可愛くて、頭もいい人、倒れた俺なんかに手を差し伸べて、あんな笑顔を向けてきた。そんな人が彼氏がいないわけがない。


中学生から高校生になったところで、きっと何も変わらない。


これからも、今まで通りの何も起きない日々を過ごすだけだ。

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先輩、それでも好きです。 有栖四楽 @sato_1219

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