第6話 一進一退の人生 《囚人視点》
首筋から鮮血がほとばしっている。手で押さえてもドクドクと鼓動に合わせて流れ出る……血って温かいんだな……いや、私の指先が冷たいのか。そう言えば前にもこんな事あったな……あの時は憎いあの男の血だったけど。
白昼堂々とナイフを振り回し無差別に通行人を切りつけている通り魔。妹と呼んでいた子に似ている子が切りつけられそうになって思わず前に飛び出した。
悲鳴が遠くに聞こえる……目の前も真っ暗だ。
ああ……私、死ぬのね。
波乱万丈な人生だった。不幸などん底から救い出され幸せを掴んだらまた落とされ……。
両親はクズだった。母親は父親の浮気で育児放棄。数年後、離婚届を置いて父親が愛人と蒸発したのをきっかけに母親からの身体的な虐待が始まった。
「お前が居なければ! お前さえ生まれなければ、あの人が出て行ったりしなかったのに!」
縋り付けば払われ、泣けば蹴られ、粗相をしては殴られていた。いつも母親の顔色を窺いながら部屋の隅で膝を抱え幼児期を過ごした。
そして……不倫の果ての無理心中。母は不倫相手を線路に突き落とし自分も飛び込み死んだ。悲しみよりも安堵が先に来た。
その後私は養護施設に預けられた。父親は行方不明、祖父母は母が起こした無理心中の賠償金を借金をして支払い私を養う余裕がないと聞いた。一番の理由は虐待の痕跡があり心のケアの為だった。
私はこの時不幸のどん底から救い上げられた。一方で不幸のどん底に突き落とされた相手がいる事も知らないで。
私はこの養護施設で高校を卒業するまでお世話になった。その間、出たり入ったりする子供がいる中、ずっと一緒に居た二人が居た。
ひとつ年上の林原大輔とひとつ年下の北川華子。二人共親に虐待されて施設に入って来た。華子は大輔を兄と呼び私を姉と呼んだ。
「姉ちゃん。私、彼氏出来た」
「……は?」
高校を卒業し大手の雑貨店の事務に就職し半年が過ぎた頃、華子がアパートに遊びに来て恥ずかしそうにそう言った。
「同級生の子で、滅茶苦茶イケメンで滅茶苦茶頭が良いの」
「アンタ、短大受験するって言ってなかった?」
「彼も大学受験するわよ」
「呆れた……恋愛に現を抜かしていたら落ちるよ」
「だ~か~ら~彼と一緒に勉強してるの」
「そんな交際、認めません!」
「もう! 姉ちゃん、口煩い父親みたい」
その時、もっと反対していればと死ぬほど後悔した。
「眞知、ん~」
「大輔、ん……」
施設に居た時から私と大輔は惹かれ合っていた。大輔が施設を出る前に告白され恋人になった。一年間はキスだけの清い交際をしていたが卒業と同時に同棲を始めた。
大輔は社会福祉士になる為、奨学金とバイト代で大学に通っている。無事、国家試験に合格したら結婚しようと言ってくれていた。
辛い事もあったけど幸せな家庭を作ろう……そう思っていたのに……。
「ん? 何だこれ?」
同棲を始めて二年が過ぎた頃、アパートのポストに封筒に入ったDVDが突っ込んであった。封筒の裏には華子と言う文字があった。
短大に合格してからアパートに遊びに来る回数が減って淋しく思っていた。留守の間に来てこれだけ置いて帰ったのだろうか? 電話を掛けても出ず、諦めてDVDを見る事にした。
蓋を開けると小さな紙が入っていてメッセージが書かれていた。
【動画の途中と最後に大事なメッセージを入れているので全部ちゃんと観てね♡】
サプライズ好きの華子らしいと微笑みながらDVDをセットし再生ボタンを押した。
画面に【幸せな眞知姉ちゃんに贈ります】と言う血文字が浮き出てきて息を飲む。
「何よこれ……」
画面が変わると若い男がニッコリと笑っていた。よく見ると以前華子に紹介された彼氏の高橋誠也だった。コンクリートの壁が背後に見えて薄暗い照明が彼の顔を不気味に照らしていた。
「もしかして結婚の報告とかするのかしら……?」
なんてのん気に考えていると高橋の後ろの影が小刻みに動いて女の嬌声が聞こえてきた。
全身が粟立つ。見ては駄目だと警鐘が鳴る。
『黒田眞知……お前の所為で華子がこんな目に遭うんだぞ? 可哀想に……アハハハハ!』
高橋の声と共にカメラがターンすると大きなベッドの上で四つん這いになった全裸の華子の姿があった。虚ろな目で涎を垂らし浅黒い肌の男に組み敷かれていた。
「いやっ! 華子……止めてー!!」
それ以上見ていられなくて停止ボタンを押そうとした瞬間、その声が耳に届く。
『動画を止めると華子を助けられないよ? 最後までしっかり再生してね』
まるで見透かしたように囁く高橋にゾクリと身震いする。
『イイね! イイ!』
そう叫びながら達した男が華子に覆いかぶさり荒い呼吸を繰り返していた。
『はい、一人目終了』
「一人目!?」
男が画面から消えると金髪の若い男が現れた。
『フー! 効いてきた、効いてきた。楽しもうぜ!』
目が血走り鼻息を荒くした男が華子の足を広げた。肌がぶつかる音と共に聞こえてくる高橋の声。
『これから華子が何故こんな目に遭っているのかと言う理由とここの住所を教える。いつ俺が喋るかは分からない。華子を迎えに来たいのなら最後まで全部聞いとけ』
避妊もしないで華子を甚振る男たち。握った手はプルプルと震え、噛んだ下唇が切れ血の味がした。画面を直視することが出来ず聴覚だけを研ぎ澄ました。
『キメセク最高!』
『後、三人残っているから程々にな』
耳を塞ぎたくなる衝動を何とか堪えていると、高橋がボソリと喋り出した。
『華子と知り合ったのは高校三年生の時だった。同じクラスの隣の席……胸が大きくて抱き心地が良さそうだな~って言う印象だった』
私は一言も聞き漏らさないよう耳を澄ます。
『ある日、誰かが言っていた……華子は養護施設で育っていると。俺は華子に近付いて色々と聞きだした。もしかしたら黒田眞知が居るんじゃないかって』
「えっ……? どうして?」
思わず画面に視線を向ければ睨みつける高橋と目が合う。
『どうしてって思ってる?』
低くて重い声が届いた。
『高橋って名字に覚えはないのか?』
「っ……!?」
よくある名字だけど、その名字に覚えがあった……母親と無理心中した男の名前が高橋だった。
『思い出したかな? まあ、どっちでもいいや……俺はお前の母親に父親を殺された哀れな息子だ』
画面の端に三人目の男が姿を現しても私は高橋誠也から目を離す事が出来ないでいた。
『お前の母親が起こした不倫の果ての無理心中の所為で、俺の母は好奇な目で見られマスコミに追い掛けられ心を壊して今も施設から出られないでいるよ。兄はぐれてバイクで事故って死んだ。妹は立派な引きこもりさ』
私が保護され平穏な生活が送れた陰で辛い目に遭った人が居た。加害者側は私で被害者側は彼。どうしようもない罪悪感に苛まれる。
『結婚するんだって? 親の罪も忘れて……お前だけが幸せになって許せると思う?』
「ごめんなさい……ごめんなさい。許してください……」
画面に土下座し届きもしない謝罪をする。
『おいメス豚! いい声で啼いてみろ!』
その声に画面を見ると厳つい男が手に短い鞭を持ち花子の尻を叩いていた。尻を叩かれ善がる華子の姿に呆然とする。
『可哀想に……お前と関わらなければこんな目には遭わなかったのにな』
「お願い……もう止めて……」
ポロポロと涙が頬を伝う。
『ほら、華子。頑張ったご褒美……気持ち良くなるお薬だよ~』
『あああ! ちょうだい! お薬……お薬……』
禍々しい色のカプセルが華子の口へと入っていく。華子はそれを嚙み砕きゴクリと飲み込んだ。
『あ~ん……誠也~! 誠也のもちょうだい……』
『あれだけシたのにまだ足りないのか?』
『誠也のが良いのぉ』
『じゃあ、あのカメラに向かって大きく足を広げてごらん』
『分かった~』
焦点の定まらない華子の瞳がカメラを捉えベッドの上で股を広げ恍惚とした表情を浮かべていた。
『早くぅ! もう我慢できないのぉ』
『淫乱だな……誰に似たんだ?』
ズボンの前を寛げた高橋が振り返りこちらを向きニヤリと笑う。
「止めてーー!!!」
フッと音が止み画面にはとある住所が記されていた。そして今直ぐひとりでここに来いと言う文字があった。私は急いでメモをとりバッグを掴んで鍵も掛けずアパートを飛び出した。
慌てていた私は失念していた。DVDを一時停止していた事と飛び出して行った時間が、大輔が帰って来る時間だった事を……。
そこは潰れた店が建ち並ぶ場所だった。シャッターが閉まり人の行き来もない。指定された住所は三階建てのビル。私はおそるおそる自動ドアから中に入った。
「遅かったね~」
「ひっ!」
真っ暗なロビーから聞こえてきた声に驚きビクリと身体が跳ねた。振り向くと高橋が下卑た笑いを浮かべて佇んでいた。
「華子を返して!」
「まあ、まあ、慌てるなよ。華子は二階で寝てる。ついて来い」
薄暗い階段を登り始めた高橋の後ろをゴクリと唾を飲み込みついていく。登った先のドアを開けると白い煙が立ち込めていた。少し咳き込み室内を見ると二人の男が長椅子に座っていた。
部屋の奥には扉があり、もう一部屋あるようだった。
「誰? 新しい子?」
「まあね」
「ヒュー! 俺こっちにしようかな」
舌なめずりをする男に虫唾が走った。手を伸ばし触れようとしてくる。さっき見た動画が頭を過ぎり吐き気を催した。
『いやあ! 止めて! あああ!!!』
不意に女の悲鳴が聞こえてきた。それが華子のものだと分かった途端、奥に続くドアを開けていた。
「手古摺らせんな!」
「そう言うプレイをご所望か?」
「やだーー! 離して! 誠也ーー!!」
二人の男が嫌がる華子を押さえつけ腰を打ち付けている。殺意にも似た怒りが身体の奥から滲み出る。
絶対に許さない!
「……殺してやる」
私は咄嗟に近くにあった丸椅子で男たちを殴り飛ばし華子を抱き締めた。ガタガタと震えながら抵抗する華子にベッドのシーツを剥ぎ取り身体に巻きつけた。
「華子! 私よ! こっちを見て!」
「…………姉ちゃん……?」
「華子……」
「チッ! 薬が切れたのか」
後ろから聞こえてきた声に振り向き睨みつけた。
「華子はアンタの恋人でしょう? こんなことするなんて……イカレてるわ!」
「恋人? 違うよ? 華子は復讐の道具。いつかお前に復讐しようと傍に置いておいただけ」
「……えっ? どう言う事……?」
「華子……恨むのならその女を恨めよ。人様の家庭を壊した殺人犯の娘が幸せな家庭を作ろうとしたから華子が犠牲になったんだぞ?」
「高橋誠也は母と無理心中した男の息子なの。ごめんなさい華子……巻き込んで辛い目に遭わせた……」
「そんな……」
泣きじゃくる華子に謝る事しか出来なかった。私と関わった所為で薬漬けにされたあげく幾人もの男に凌辱され愛する男から裏切られたのだ、きっと私を許す事は出来ないだろう。
だが……それ以上に高橋のした事は許せない!
「確かに母のした事は許せるものでは無いわ。だけど……幼い私に何が出来ると言うの? ただの八つ当たりじゃない! ましてや華子は事件とは何の関係も無い赤の他人。アンタのした事は母以下よ!」
「うるさい! うるさい! うるさい!」
狂気を宿した目が私を見据えていた。白くなるまで握られた拳が私の頬に食い込む。脳を揺すぶられ視界がぐらりと揺れベッドに倒れ込む。
「同じ事件の関係者なのに……俺は不幸のどん底に叩き落とされたまま! お前だけ這い上がるなんて……認められるか!」
着ていたシャツが左右に引き裂かれる。下着が剥ぎ取られ胸を鷲掴みされた。
「いやっ! 止めて!」
「おい! 薬持って来い!」
隣の部屋に居た男たちがニタニタと笑いながら近付いてきた。その手には注射器が握られていた。私に殴られた男たちは私の手足を押さえつけ服を脱がせていく。華子のか細い泣き声が聞こえていた。
「一緒に天国に逝こうぜ」
注射針から透明な液がポタポタと零れ落ちる。腕を押さえつけられ針が皮膚に刺さろうとした時、ブシュッと言う音と共に生温かい物が顔にかかった。
呻きながら倒れ込む高橋の後ろから現れたのは大輔だった。手には出刃包丁が握られていて真っ赤に染まっていた。
「う……うわっ!」
「ひゃあ! 血! 血! 血――!!!」
私を押さえつけていた男たちが次々に刺されていく。白いシーツに点々と飛び散る血痕。鉄錆と吐しゃ物の匂いが部屋に充満し吐き気を催した。
「大輔! もう止めて!」
私は包丁を振り回す大輔に裸のまましがみ付き暴れ狂う彼を止めた。
「もう……大丈夫だから……」
遠くでサイレンの音が聞こえていた……。
高橋誠也は死んだ。
大輔は殺人と傷害で懲役十五年を言い渡された。包丁持参で乗り込んできたため情状酌量には至らなかった。
華子は違法ドラックの使用で警察病院に入院した。しかし高橋の裏切りと死、汚された身体、ドラックの禁断症状で心を壊し半年後に着ていた服で首を吊り自殺した。
居たたまれない喪失感、虚無感、焦燥感。何度死のうと思った事だろう。
(死んでは駄目)
どこからともなく聞こえてくる声……その声は華子なのだろうか? だから私は生きた。辛くても悲しくても淋しくても……ひとりで精一杯生きた。
もう直ぐ大輔が釈放される。釈放されたら結婚しようと言われている。今度こそ幸せにするからと。
私に幸せになる権利があるのだろうか?
きっとそんな事を考えていたから思わず飛び出したのかもしれない。
きっと私は助からない。二度と大輔には会えない……。
アナタを残して逝ってしまう私を許してください。
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