第4話
ある朝、ボクは起きてすぐいつものように、薄汚れてボロボロになったタオルを脚先に巻いていた。
こうしておかないとなくなった脚先がよく痛むんだ。
今度、同じ長屋の一番奥に住んでいるマイケル爺さんが、木で代わりの足を作ってくれるって約束だ。
彼は手先が器用だし、なによりもここではシェリー姉さんを除いて、唯一のボクの味方だ。期待しても大丈夫だった。
ボクは待ち遠しかった。もしも本当に義足ができたら、皆と同じように自由に動き回れるかもしれない。馬鹿にされないでも済むかもしれない。
もしかすると、ボクシングだってできるようになるかもしれない。そう考えただけでワクワクした。
――突然、表からシェリー姉さんの声が響いた。
「リュウ! リュウ!」
ボクは崩れかけた部屋の壁に手をやりながら、ピョンピョンと跳ねて玄関から表に顔を出した。
「リュウ、おばさんは?」
シェリー姉さんの顔は見た覚えがないくらいに強張っていた。
「マー? いないよ。たぶん大通りの市場なんじゃないかな」
「あ、あのね、リュウ。落ち着いて聞いてね」
シェリー姉さんは大きく息を吸い込んでから、続けた。
「あの、おじさんが……ケニーおじさんが、殺された、よ」
「えっ!」
シェリー姉さんはそう呟くように言って、そっと目を伏せた。ボクは自分の耳を疑った。
(アイツが……死んだ? ボクのこの脚を奪ったアイツが! ボクをいつもぶん殴ったあの、アイツが……)
「姉さん! それほんと? ほんとに?」
ボクはシェリー姉さんに抱きつき、何度も何度も聞き返した。
そのうちに自然と涙が溢れてくるのを感じて――笑えた。
どんどんどんどん涙が溢れてくるのに、ボクの笑いは止まらなかった。
シェリー姉さんの不思議そうにしている顔が、水に浮かんで歪んでいるようにも見えた。
アイツはこの長屋から西へ二キロほど行ったところにある〈チャイナタウン〉の両替所で、強盗しようとしたらしい。
両替所のガードは常にショットガンを肩から下げている。そんなのは自殺行為だ。
わざわざ殺されるような行為をなぜだろうと、少し不思議に感じたが、理由など、どうだっていい。
アイツがこの世から消えた事実が一番大事だ。
この街では、誰かが死んだ、殺されたなんて些細な出来事は、日常茶飯事だった。誰も気に止めないし、大した噂にもなりゃあしないだろう。
でも、ボクには特別だ。何よりのビッグニュースだ。この日は決して忘れられない一日となった。
しばらくしてシェリー姉さんが帰ったあと、すぐに家の中央にあるペンキの剥げたテーブルの隅に無造作に置かれた、マリア様の像に向かって御礼を言い、ゆっくりと十字を切った。
唯一の気がかりといえば、マーのことだった。
(どんな顔をするんだろう? もしかするとショックで狂ってしまうかもしれない……。もしもそうなったらどうしよう)
考えるとものすごく不安になった。マーはすごく繊細だ。一日のうちにコロコロと調子が変わる。
ほんの小さな事でひどく塞ぎ込むこともあれば、別人のように何事にも能天気で、陽気になったりととにかく忙しい性格だ。
できれば、今日だけは陽気な性格であって欲しいと願った。だが、そんなボクの心配はすぐに無用に終わった。
「仕方ないね」
帰ってきたマーは、じつにあっけらかんとして、恐る恐る告げたボクの頭にそっと手を置き、一言だけそう言った。
それきり、現場や警察に出向こうとする気配も見せなかった。
しばらくすると少しだけ考え込んで塞ぎ込むそぶりを見せ、いつものように爪を噛んでいたけど「しばらく一人にして」と言われ、表で五分ほど待っていると「もう大丈夫」と、笑顔で迎え入れてくれた。
その後ボクに背を向け、いつもと変わらず、食事の支度をしているマーの後ろ姿は、どこか嬉しそうにさえ見えた。
(マーも本当はアイツが嫌いだったんだ。早く居なくなって欲しかったんだ)
ボクはもう一度マリア様に向かってお願いをした。
――マリア様、もう一度だけ願いを叶えてください。このままマーとずっと二人で、仲良く暮らせるように……。
手垢がついて、すっかり黒くなってしまったロザリオを自分の額に強く押し当てた。
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