第2話


 ボクは、たくさんのクルマが通りすぎるロハス・ブルーバードに面した歩道に座り込んでいた。クラクションの音が鳴り響き、クルマが通り過ぎるたびに大量の砂埃で目の前が見えなくなった。


今日も同じくらいの歳の子供たちと一緒に、この周辺では、一番たくさんの日本人たちが宿泊する高級ホテルの前を稼ぎ場としていた。


「リュウ、いくらになった?」

 ボクん家のとなりに住んでいる三つ歳上のシェリー姉さんが、前にしゃがんで、ボックスに入ったペラ(お金)を覗き込んだ。


「もうすぐ四十ペソくらいにはなるかなあ」

 くしゃくしゃになったお札を一枚、一枚丁寧に伸ばしながら笑って答えた。


「やっぱり、今日もリュウが一番みたいだね」

 そう言って優しく微笑み返してくれた。


 ボクの稼ぎはいつもグループの中で一番だった。大きな理由のひとつは、顔が日本人に見えるからなのかもしれない。


『あなたは、やっぱりダディの血が強いのよ』

 マー(お母さん)はいつでも機嫌が良くないときに、決まってそう言った。

 たとえ機嫌が良い時であっても義父の前では、やはり同じ言葉を繰り返した。


 ボクはマーが日本に出稼ぎに行ってできた子供、つまり日本人とフィリピン人のハーフで〈ジャピーノ〉と言われている人種だ。


 日本人でもないし、かといってフィリピン人でも、ない。


 マーが日本で何度目かの出稼ぎを終えたあとにボクが生まれたらしい。


 義父は産まれてくるのが自分の子供と信じていたらしく、出てきたボクの肌の色を見てかなり荒れたとも聞いている。


 マーと義父の間柄が、ボクを産んでからその後に変化したのか、あるいは元々そうだったのかは知らないが、マーは義父に対していつも気を使っているようにも思えた。


 義父がボクに対してどんなに罵声を浴びせようと、どんな酷い仕打ちをしようともマーはいつも見て見ぬふりを続けた。


「リュウ! 出てきたよ」

 シェリー姉さんが耳元でささやいた。


 ふと我に返り視線の先を追うと、ちょうどホテルの玄関ドアから日本人のように見える少し小太りな小父さんと、綺麗に着飾ったフィリピン人らしきお姉さんが出てこようとしていた。


二人を見つけると、ボク以外の子供たちが一斉に手を差し伸べながら群がって行った。


 すると途端に小父さんは驚き、すぐに呆気に取られたような表情になった。綺麗なお姉さんのほうはすぐさま露骨に嫌な顔をした。


いつものことだった――。


 綺麗なお姉さんは、ボクにまで聞こえるような大きな声で、でも意味のわからない日本語らしき単語を並べて、小父さんが財布からペラを出そうとしているのを止めた。


 たぶんあの綺麗なお姉さんは〈ジャパユキ〉に違いない。いつもジャパユキたちは冷たかった。おんなじフィリピン人なのに。


「お姉さん、お願い。あの子を見て!」

 すかさずシェリー姉さんが最後の切り札を出した。


 すると小父さんとジャパユキが、一斉にボクのほうに視線を向けて近寄ってきた。二人はすぐ目の前まで来ると、やっぱり解らない言葉でやり取りしたあと、眉をしかめながら、ボクの右足あたりに視線を落とした。


 これも、いつものことだ――。


「ねえ、それって誰にやられたの?」

 ジャパユキはようやくボクにも理解できるタガログ語を口にした。


「義父……」

 わざと視線を落とし、小さくそう答えた。


「これ、くれるって……」

 ジャパユキは小父さんから手渡された百ペソ札を、憐れんだ瞳とともにボクに差し出した。


(ちょろいもんだ。ボクみたいに片脚のない子供や片腕の子なんて、ここには沢山いる。この商売のためだけにそうなった者もいるし、ボクのように体罰の末、そうなった者だっている。どちらにしたって、この商売に有利なのは間違いないんだ。ジャパユキのお姉さん、この国のことなんか日本に行っている間に忘れちゃったの?) 


 ボクは手にした百ペソ札をゆっくりと伸ばしながら、緩んだ口元を見られないようにそっと俯いた。

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