第2話 父娘の相談
エリザベスは、アレクシスから届いた手紙を父のローズフェル侯爵に差し出した。
「これを、読んでいただけますか」
ローズフェル侯爵は訝しげな表情で手紙を受け取って、読み始めた。まず差出人を確認する。娘の婚約相手、ヴァルモント公爵家の子息からの手紙。
最初は穏やかだったローズフェル侯爵の表情が、一行、また一行と読み進めるごとに徐々に険しくなっていく。眉間に深い皺が刻まれ、顎の筋肉が固く引き締まる。
最後まで読み終えた瞬間、グシャッ、という鈍い音。
ローズフェル侯爵の手の中にあった便箋が、無残に握りつぶされた。
「お父様、お手を痛めてしまいますよ」
エリザベスが心配そうに声をかけると、父はハッと我に返ったようだった。深呼吸をして、少しずつ冷静さを取り戻していく。書斎の空気が、ピリピリと張り詰めていた。近くに控えている使用人たちも、萎縮したように身を固くする。
だけど、エリザベスの柔らかな雰囲気が、そんな気配を静かに包み込んでいた。萎縮していた使用人たちも、一息ついた。
「すまない。少し取り乱した」
そう言って、ローズフェル侯爵は握りつぶされた便箋をゆっくりと開いた。几帳面な文字は、深い皺で歪んでいた。
「こんな侮辱的な手紙を送りつけてくるとは……ヴァルモント家も落ちたものだ」
父の声は低く、静かに響いた。当主としての威厳を保ちながら、ヴァルモント家に対する怒りが滲んでいる。
「こんな一方的で、思い上がった手紙を。しかも、その責任を娘に押し付けようとするとは」
ローズフェル侯爵は便箋を机の上に置き、深く息を吐いた。けれど同時に、その表情には自責の色も浮かんでいる。娘を見つめる父の目には、痛みが宿っていた。
「すまない、エリザベス。こんな手紙を寄越す男を婚約相手に選んでしまって」
後悔。それが、父の肩を重くしているように見えた。
(報告してよかったわ)
エリザベスは、心の中でそっと呟いた。
(それに父が怒ってくれることが、嬉しい)
自分のことを大切に想ってくれている。そのことが温かく胸に響く。手紙の指示を無視してよかった。そう思えた。
「お父様」
エリザベスは、優しく微笑んだ。
「お父様が謝られることは、何もありません」
そう言われたローズフェル侯爵は娘を見つめ、それから深く頷いた。娘の強さと優しさに、救われたような表情だった。
「……エリザベス、お前はどうしたい? この婚約の件について」
父は、当主としての冷静さを取り戻しつつあった。冷静な思考で、どうすることが最適なのか判断する。
「交渉次第で、この手紙を武器に有利な条件を引き出すことも出来る。あるいは、婚約を維持したまま、ヴァルモント家に謝罪と賠償を求めることも可能だろう。お前の意志を聞かせてくれ」
そう問われて、エリザベスは迷わず答えた。
「すぐに婚約は破棄すべきです」
即答だった。その声には、一切の迷いがない。
「婚約者として、最低限の敬意すら払われていません。このような相手と、これから先の人生を共にするなど、考えられません」
迷う理由など、どこにもない。両家の長年の関係を、こうも軽々しく扱われている。このような侮辱には、毅然とした姿勢で応じるべきだ。
エリザベスの言葉は穏やかだったが、そこには確固たる意志があった。
「そうだな。お前の言う通りだ。この手紙の扱いとヴァルモント家との交渉は、こちらで引き受ける。お前は何も心配しなくていい」
「はい。ありがとうございます、お父様」
ローズフェル侯爵は少し考えるように顎に手を当てて、それから提案した。
「しばらくの間、辺境の領地に行っていなさい。ヴァルモント家が直接接触してくる可能性もある。あるいは、社交界で余計な噂が立つかもしれん。ここから離れた領地にいれば、そうした煩わしさからも逃れられるだろう」
父の提案は、娘を守ろうとする愛情に満ちていた。
「はい。私も、そうした方が良いと思います」
エリザベスは、素直に頷いた。辺境の領地は、王都から遠く離れた場所にある。しばらく静かに過ごすには、最適かもしれない。
「準備が整い次第、出発するといい。必要なものがあれば、何でも言いなさい」
「はい。お父様」
父との話し合いを進めていくうちに、エリザベスは不思議と気持ちが軽くなっていることに気づいていた。
長い間背負っていた重荷が下りたかのような感覚。無意識のうちに、アレクシスとの関係が大きなストレスになっていたのだろう。それが解消された今、彼女は自由を感じていた。
この一連の出来事を経て、辺境へ行くことがむしろ楽しみになっているエリザベスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます