第25話 不吉なアナウンス、片道切符の終着点
アヤ先輩は迷いのない足取りで、誰もいない車両の奥へと歩き出した。
僕はその小さな、けれど何よりも頼もしい背中を追いかけながら、
期待と不安がぐちゃぐちゃに混ざり合った感情を飲み込む。
(この先、先頭車両に行けば運転士がいるのか?
それとも、誰もいない運転席でハンドルだけが動いているのか……)
アヤ先輩は、ふと足を止めると、
いたずらっ子のような瞳で僕を振り返った。
「ねえ、サトル君。丁か半か、どっち?」
自分の財布から出した、見たこともない異国の古い硬貨を、
ピンと弾いて手の甲で隠す。
「えっ……? 唐突ですね。ええと、それじゃあ『丁』で」
俺が戸惑いながらも答えると、
アヤ先輩は満足げにパチンと指を鳴らした。
「正解! 丁が出たからには、迷わず先頭車両へ進みましょう。
幸運の女神様が、私たちの背中を押してくれてるみたいよ?」
「……あはは、そんな博打みたいな決め方でいいんですか?
でも、アヤ先輩らしいや。なんだか、毒気が抜かれちゃいましたよ」
先輩の突拍子もない軽口に、
俺の肩からすとんと余計な力が抜けた。
この異常な空間にあっても、彼女は彼女のまま。
それが何よりも俺を「こちら側」に繋ぎ止めてくれる。
(……よし。いつまでもビビって、
アヤ先輩の背中に隠れてるわけにはいかないな)
僕は深く息を吐き、先輩の小さな背中を追いかけ始めた。
この電車がどこへ向かっているのか、
未知への好奇心と本能的な拒絶が、ないまぜになった気持ちを抱えながら。
そんな思考に耽っていた、その矢先だった。
『……まもなく、きさらぎ駅。きさらぎ駅。
お降りの方は、お忘れ物のないよう、お支度ください』
鼓膜を突き破るような走行音に割り込んで、その声は響いた。
あまりにも無機質で、抑揚のない平坦なアナウンス。
車掌はおろか乗客すら俺たち二人きりの「無人電車」のはずなのに、
まるで行列を作る通勤客を相手にしているかのような無遠慮な響きに、
ゾッと背筋が凍る。
「あらやだ……出鼻をくじかれちゃったわね。
もう少しこの車内を隅々まで解剖してみたかったんだけど。
どうやら、この場所は私たちに長居を許してはくれないみたい」
「……本気で、調べさせる気はなさそうですね。
でも先輩の言う通り、怖さを通り越して逆にワクワクしてきましたよ。
それにしても、乗務員もいないのに一体誰が喋ってるんですか。
自動再生にしてはタイミングが良すぎる……」
僕はあえて皮肉めいた口調で言ってみたが、
喉の奥はカラカラに乾いていた。
アヤ先輩は窓の外に流れる異様な田園風景を眺めたまま、冷静に言葉を継ぐ。
「まあ、この空間に常識を求めても無駄よ。
電気信号なのか、土地の残留思念なのか……
あるいは、 この電車そのものが意思を持っているのか。
分からないことは、
私たちの意思で判断して塗りつぶしていくしかないわね」
くるりとこちらを振り返ると、アヤ先輩は挑戦的な笑みを浮かべた。
「さて、有名な都市伝説の主人公は、
ここで下車するわけだけど……どうする、サトル君?
降りずにこのまま終点まで付き合うっていう、贅沢な選択肢もあるけれど」
「うーん。乗り続けたらどこへ連れて行かれるのか、
正直めちゃくちゃ興味はあります。
……が、それだと『運ばれてるだけ』って感じがして、癪ですね。
ここはあえて、敵の土俵に土足で踏み込んでやりませんか?」
恐怖に怯えて縮こまるのではなく、
自分の足で一歩を踏み出したい。
そんな主体的な感情が、今の俺を突き動かしていた。
「ふふ、サトル君。私の見込んだ通りだわ。……ええ、同意見よ。
それじゃあ、思い切って降りましょうか」
アヤ先輩は満面の笑みを浮かべて頷く。
その瞳は、新しい玩具を見つけた子供のように輝いていた。
「『きさらぎ駅』。幻の駅だとか、
忘れられた駅だとか呼ばれているけれど、
そこへ行って『戻ってきた人』が実在するからこそ、
この話は語り継がれている。
そうでなければ、単なる消失事件で終わるものね」
「理屈で言えば、語り部が生還している以上、出口は必ずある……。
つまり、僕たちも帰れるってことですね!
よし、そうと決まれば腹が据わってきました」
「ええ、そういうこと♪」
先輩はいたずらっぽく微笑むと、
一転して真剣な眼差しで俺を射抜いた。
「いい? 降りたらそこは完全な異界よ。時間は『16:11』で止まったまま。
ホームに降りた瞬間に、もう一度スマホで時間を確認して。
それと、手持ちの道具に変化がないかも。
私も私で、五感をフル活用して違和感を探るから」
「了解です。……そろそろ、止まりそうですね。
アヤ先輩、行きましょう。
この駅の秘密に、一歩近づけるかもしれない」
俺は心臓の鼓動が早まるのを感じながら、
減速を始めた車両の扉を見つめた。
隣にはアヤ先輩がいる。
それだけで、世界が反転したようなこの場所でも、
正気を保っていられる気がした。
キィィィ、と耳を塞ぎたくなるような金属音が響き、
電車は急ブレーキをかけたような衝撃と共に停止した。
パチリ、と機械的な音を立てて、ドア上の駅名表示器が切り替わる。
その瞬間、車内を支配していた「粘りつくようなカビの臭い」が、
肺の奥まで侵食してくるほど濃くなった。
——ベチャッ。
窓ガラスに、何かが叩きつけられるような、粘着質な音が響く。
アヤ先輩はじっとそれを見つめて、何かの数式や記号を呟いている
外側から張り付いた「それ」の、不定形で不浄な輪郭が網膜をかすめたが、
僕は本能的な恐怖に突き動かされ、あえてそこから目を逸らした。
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