第2話 Aランクの依頼

 男たちが慌ただしく去っていった後、ギルドの片隅に気まずい沈黙が流れた。

 朝陽が助けた少女は、まだ混乱している様子で、先ほどの男が叫んだ言葉を呆然と繰り返している。


「ヴァ、戦乙女ヴァルキリー……え?」


 腰元まで届く長い桜色の髪。宝石のように深い色合いを持つ紅玉の瞳。現実にはありえないその髪と瞳の色から、朝陽は一目で少女が適合進化イクリプスだと気づく。

 適合進化イクリプス――ダンジョンでスキルを得た際、ごく稀に身体的特徴に変化が現れる現象のことだ。髪や瞳の色が変化したり、耳がエルフのように尖ったりと症状は様々で、魔力に肉体が適合した姿ではないかと推察されていた。

 そのことから適合進化イクリプスという呼び名が定着している。

 驚きに見開かれた少女の瞳に、自分の姿が映っている。

 朝陽はそんな彼女の様子に気づきつつも、努めて明るく声をかけた。


「大丈夫だった?」

「は、はい! だ、大丈夫です。問題ありません。ありがとうございました!」


 憧れの英雄を前にした緊張からか、少女はほとんど敬語にもなっていない早口でまくし立てると勢いよく頭を下げ、そのまま踵を返して足早に去っていく。その背中には、どこか逃げ出すような響きさえあった。


(余計なこと、しちゃったかな?)


 呆気にとられてその場に残された朝陽は、ポリポリと頬を掻いた。


「おう、嬢ちゃんじゃねえか」


 そんな彼女の背中に、ぶっきらぼうだが聞き覚えのある声がかかる。

 振り返ると、そこには見上げるような大男が立っていた。身長は二メートルはあろうかという、筋骨隆々の巨体。照明を反射して輝くスキンヘッドが特徴的なその男は、Aランク探索者の〈怪力無双〉こと東大寺とうだいじじんだ。 


「東大寺さん」

「ちょうどよかった。嬢ちゃんに相談があるんだが……ちっとばかし、付き合ってくれや」


 仁は深刻そうな顔でそう言うと、有無を言わさずギルドの奥へと歩き出す。

 その態度に、朝陽は厄介事のにおいを感じながら、仁の後を追った。



  ◆



 通されたのは、ギルドの応接室だった。

 室内には仁の他にもう一人、疲れた顔をしたスーツ姿の中年男性が待っていた。


「八重坂さん、本日はお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」


 男性は深々と頭を下げる。

 彼の目の下には濃い隈が浮かんでおり、その疲労困憊ぶりは誰の目にも明らかだった。


「いえ……それで、相談というのは?」

「ええ、実は……」


 男性――ギルドの職員から語られたのは、現在のギルドが置かれている窮状だった。

 原因は、大きく分けて二つ。

 一つは、数ヶ月前のスタンピード事件だ。無事にスタンピードは解決したと報道されているが、実際その裏では少なくない探索者が命を落とし、あるいは心身に深い傷を負って引退を余儀なくされていた。

 犠牲になった探索者たちには申し訳ないと思う一方で、まだまだ問題が山積していることを考えると、出来るだけ非難の矛先をギルドに向けたくない。だからこそ、朝陽がスタンピードの英雄と持ち上げられ、こうも持て囃されているという現実がある。

 そして、もう一つの原因と言うのが、ギルド内部の改革にあった。

 長年ギルドを私物化していた探索支援庁が解体されることが決まり、支援庁からの出向で横領疑惑も浮上していたギルドマスターをはじめ、不正に関与していた職員たちが軒並み逮捕・解雇されたという。


「探索支援庁ですか……」


 支援庁の名を聞いて、朝陽の表情が苦いものに変わる。

 探索支援庁、通称『支援庁』。表向きは、ダンジョン関連の事項を管轄する行政機関だ 。日本の探索者ギルドもその直轄組織という位置づけだが 、設立から時が経った今、その実態は大きく変質していた。

 本来の目的はとうに見失われ、実態は利権に群がる高級官僚たちのための天下り先でしかない 。彼らはダンジョン運営の実務をギルドに押し付け、自らの手を汚すことなく甘い汁を吸い続けてきた。

 その結果、政府のコントロールさえ受け付けない独立王国のようになり果てていたのだ。

 国民や探索者のことなど二の次で、自分たちの利権を守るためなら平気で世論を操作し 、ルールすらねじ曲げる。挙句の果てには、ダンジョン内の遺跡で稀に発掘されることのある魔法のアイテム――通称〈古代遺物アーティファクト〉の個人所有を禁止する法案まで強引に成立させ、探索者から没収したアーティファクトを海外に横流しして私腹を肥やす者まで現れる始末 。まさに腐敗した官僚組織の典型と言えた。

 朝陽も支援庁については嫌な記憶があるだけに、その名を聞くと、こういった反応になるのだろう。

 その支援庁が解体されるのは、探索者や国民にとってが良いニュースだと思う。だが、そのツケを支払わされるのは、いつも現場というわけだ。

 現在、アメリカに本社を構える世界有数の魔導具メーカー〈トワイライト〉が政府との合意のもとで、ギルドの建て直しに動いているらしく、通常業務もままならないほどの大忙しらしい。


「……という訳でして。探索者の絶対数が減ったところに、職員の大量離脱が重なり、我々は深刻な人手不足に陥っているのです。四月には本部からの応援がくるとの話なのですが、後任のギルドマスターもまだ決まっておらず、現場は混乱を極めております」

「なるほどね。ああ、だから……」


 状況を理解し、自分が呼ばれた理由を察した朝陽に、仁が腕を組んで頷く。


「ああ。とてもじゃねえが、手が回らねえ。だから、山積する依頼の中から、優先度の高いもんを順番に片付けてる最中だ」


 既に、Cランク以上の探索者には、ギルドから協力が要請されているらしい。

 いままで朝陽のところに話が来なかったのは、式典の件があったからだと聞かされ、納得させられる。一段落したところで、こうやって声を掛けてきたと言ったところなのだろう。

 いや、もうそんなことを言っていられないくらい追い詰められているのかもしれないと、ギルド職員のやつれた顔を見ながら朝陽は思う。


「そういや、一色の奴はまだ戻ってこないのか?」


 そして、朝陽にこういう話が来ると言うことは、一緒に月面都市の式典に参加していた一色にも声が掛かるのは当然で、仁からそういう質問が飛んでくるのは自然な流れだった。

 南雲一色。朝陽がスタンピードの英雄などと持ち上げられる前は、国内トップの人気を誇っていた探索者だ。〈勇者〉の二つ名に相応しい正義感と責任感の強い人物で、警察やギルドに協力して治安活動に貢献し、国民からはヒーローのような扱いを受けていた。


「まあ、いろいろとあってね……」


 仁の何気ない問いに、朝陽はわずかに視線を逸らした。

 月面都市から帰還していない理由を知ってはいるが、一色のプライベートな話も絡むため、ここで事情を説明するのは気が引けたからだ。

 目の前のギルド職員を気にしながら話しにくそうにしている朝陽を見て、事情を察した仁はそれ以上の追及を止める。


「そこで、八重坂さんにもお願いしたい依頼がありまして……」


 職員がそう言って、テーブルの上に置かれたタブレット端末を操作する。

 ふわりと浮かび上がった立体映像には、【A】と記された依頼の詳細が表示されていた。

 探索者の強さを示す最も分かりやすい指標が、ギルドの定めるランク制度だ。

 ランクは下位のEランクから始まり、D、C、B、そしてAランクまでの五段階に分かれている。一部の例外を除くと、ほとんどの人が最初はEランクから始まり、依頼の達成とダンジョン探索の実績を積み重ねて、Aランクを目指すことになる。

 朝陽と仁のランクはA。これは、規格外と呼ばれるルールの枠外の存在。世界に五人しかいない〝Sランク〟の探索者を除けば、ギルドで最上位に位置する実力者という証明になる。

 そして、ギルドで発注されている依頼書にも同じようなランクが設けられており、そのなかで特に危険で厄介とされているのが、この【A】と記載されたクエストだった。


「これは……」


 そこに記された内容の厄介さに、朝陽は思わず眉をひそめる。

 依頼書に表記されているのが【A】であれば、Aランクの探索者しか受けることは出来ない。依頼書のランクは、適正ランクを示しているからだ。

 例外的にパーティーを組んでいる場合は、リーダーのランクが適性ランクに達していれば受注は可能だ。

 即ち、仁がいれば依頼そのものは受注することが可能なはずなのだ。

 なのに、朝陽に話が回ってきたというのは、そういうことだった。


「俺だけじゃ、ちと荷が重い。だから、嬢ちゃんの力を貸して欲しい」


 仁が、真っ直ぐな目で朝陽を見つめる。

 朝陽は依頼内容と仁の顔を交互に見つめ、しばし思案に耽るのであった。

 

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