安楽椅子探偵・瓶覗 操の判断推理
火之元 ノヒト
プロローグ 安楽椅子探偵
俺、
「繰。紅茶」
「へいへい」
「茶葉が古い。三日前の雨の匂いがする。淹れ直せ」
「……へい」
俺の目の前、アンティークの車椅子にふんぞり返って座る少女、
安楽椅子探偵。聞こえはいいが、要するに超絶ワガママな引きこもりである。齢十七にして、この広大な洋館から一歩も出ず、俺をコキ使うことだけを生き甲斐にしているとしか思えない。
この屋敷がまた、無駄にデカい。天井は遥か彼方、廊下はどこまでも続き、メイドさんどころか執事までいる。どうしてこんなブルジョワの巣窟で、俺がパシリをやらされているのか。話は数ヶ月前に遡る。
探偵に憧れる俺は、ひょんなことから「どんな謎でも解く少女がいる」という噂を耳にした。藁にもすがる思いでこの洋館の門を叩いた俺を待っていたのは、このふてぶてしい態度の車椅子の少女だった。
彼女は俺の顔を見るなり、言い放った。
「君、昨日カツ丼食べたろ。それから、左の靴紐の結び方が甘い。探偵志望にしては脇が甘すぎる。不合格だ」
……いや、なんでわかるんだよ。カツ丼食ったことも、靴紐のことも。
この時、俺は悟った。この少女は、本物だ。そして、俺が名探偵になるには、この悪魔……いや、天才の「手足」になるのが一番の近道だと。我ながら、素晴らしい判断力だったと思う。今のところは。
「繰、暇か?」
「お嬢様の紅茶を淹れ直す準備をしてるんで、暇ではないですね」
「そうか。なら、ついでに書斎のC-4の棚、下から三段目の左から五番目の本を取ってこい。背表紙の革の匂いが薄れてきた。保湿クリームを塗る」
「……それ、今やらないとダメです?」
「ダメだ。本の機嫌を損ねたら、世界の真理が一つ失われる」
そんなわけあるか。
だが、俺は逆らえない。それが「手足」の宿命だ。俺はため息一つ、書斎へと向かう。
彼女はいつもそうだ。自らは動かず、俺という駒を動かして情報を集め、事件を解決する。その推理力は本物で、警察がお手上げの難事件を、この部屋から一歩も出ずに解決したことだってある。
その時、彼女は決まって膝の上の小さな瓶を覗き込む。中にはキラキラ光るガラス片が入っているらしいが、俺にはただのガラスにしか見えない。あれを覗き込む時の彼女は、いつものふてぶてしさが嘘のように、静かで、どこか遠くを見ているような、そんな顔をする。
まあ、なんだかんだ言っても、彼女の隣は退屈しない。彼女の無茶振りに応えているうちに、俺の記憶力や観察眼も鍛えられている……ような気がしないでもない。
書斎から戻ると、操は窓の外をじっと見つめていた。
「繰」
「はいよ。ご指定の本です。革の保湿クリームもご一緒に」
「そんなものはどうでもいい」
え、どうでもいいの? 俺の労力は?
「面白いことが始まりそうだ」
彼女が振り向く。その瞳は、退屈な日常を打ち破る「謎」の匂いを嗅ぎつけた、獰猛な肉食獣のそれだった。
どうやら「安楽椅子探偵」様は、新たなオモチャを見つけたらしい。
そして、そのオモチャで遊ぶための「手足」は、ここに一人しかいない。
「行くぞ、繰。最初のゲームの時間だ」
ああ、クソ。
どうやら俺の平穏な大学生活は、このご主人様によって、またしても遠くに放り投げられる運命らしい。
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