第38話「契約終了のキスと、宇宙大戦の序曲」
ゴンドラが下降を始めた瞬間、ヒナの顔が再び近づいてきた。
俺の胸には、ルルの涙の残像が重くのしかかっている。俺が今からするキスは、ヒナへの愛の証明であると同時に、ルルたちとの永遠の別れを意味する、禁断のトリガーだ。
目を閉じ、全てを覚悟した。
「カナメくん...」
震えるようなヒナの息づかいが、すぐ近くで感じられた。
(ルル、ごめん……)
唇が触れた瞬間、それは静かで、とても優しかった。
ルルとのキスも刺激的だったが、ヒナがいる手前、いつもどこかレッスンと言う言い訳が付き纏った。
バジリコ三姉妹ともキスをしたが、あれはルルを助け出すための、交換条件だった……。
けれど、ヒナのキスはまるで違った。
それは、お互いがまるで暖かい陽だまりに包まれるような、自然で素朴な地球の愛の味だった。純粋で、まっすぐで、甘くすっばい、俺の心の奥底にある「帰るべき場所」を教えてくれるようなキス。
俺は、ルルとのレッスンで磨いた技術を一切忘れて、ただひたすらに、この温もりに応えることだけを考えていた。
そしてゆっくりと唇が離れた。
「...カナメくん」
ヒナの目には、涙の膜が張っていた。それは、観覧車で抱えた不安から解放された安堵と、愛が成就した純粋な喜びの涙だった。
ヒナは、その涙を拭おうともせず、満面の、無垢な笑顔を俺に向けた。
「私...カナメくんのことが、本当に、本当に大好きだよ」
その笑顔は、俺の心の奥深くに刺さっていたルルの涙の残像を、一瞬で光に変えてしまうような、強烈な太陽のような輝きを持っていた。
俺は、何も言わずにヒナの体を強く抱きしめた。
「...っ!」
ヒナは一瞬驚いたように息を飲んだが、すぐに俺の背中に手を回し、さらに強く抱きしめ返してくれた。
言葉などいらなかった。この温もりこそが、俺が地球に残る理由であり、ルルが命がけで教えてくれた愛の答えなのだ。
抱きしめ合ったまま、ゴンドラは完全に地上に到着した。
ゴンドラの扉が開く。ヒナは抱擁を解き、頬を真っ赤に染めて、満面の笑みで俺を見上げた。
「カナメくん、私、今、世界で一番幸せだよ」
俺も、心からそう思った。しかし、目を上げるとそこには4人の少女たちの熱すぎる、激しい
嫉妬の視線があった。
ルルは唇を固く結び、その瞳は今にも涙で溢れそうだ。そしてバジリコ三姉妹は、まるで裏切られた子どものように、全身から「恨み」のオーラを放っている。
「う、…ヤバい!」
「どうしたの?カナメくん!?」
その迫力に気圧されて、慌ててヒナの手を取って外に駆け出した俺。
「待てよ、カナメ!」
「待ちますのよ!」
「待つっす!逃げるなっす!」
「邪魔しちゃダメよ、みんな!」
しかし次の瞬間だった。
「何だよてめえ!?」
背後からラヴィーナの怒声が上がり、俺は思わず振り返った。それにつられてヒナも何事かと振り返る。
三姉妹のすぐ横を走っていたルルの肩を、見覚えのある小さな宇宙人がポンと叩いた。
現れたのは、ラブラブ星、恋マスター協会のラビ山だった。彼はクリップボードを手に持ち、事務的な口調で告げた。
「お疲れ様ラビ、お疲れ様ラビ!ルルさん。本当によく出来ましたラビ。カナメさんとヒナさん、お二人の愛が見事に確立されましたラビね!この度はめでたく契約終了と言うことで……」
その時、ルルの表情が悲しみに塗りつぶされた。ワープ道が閉じ、二度と地球に来れなくなる瞬間が間近に迫っているのだろう。
しかしすぐに、三つの影がラビ山に詰め寄った。
「待て!ルルは、返さないぜ!」
立ちはだかったのは、ラヴィーナ、リリカ、マルティナのバジリコ三姉妹だった。彼女たちは、俺との繋がりの崩壊を、このまま見過ごすつもりはなかった。
「誰ラビか貴様ら!?何でここにいるラビ?ラブマスター契約は絶対ラビ!!」ラビ山が怒鳴り、警笛を鳴らした。「ラビラビ星ラブマスター会専属の警察に通報したラビ!今すぐ逃げ出した方が身のためラビよ!」
すると、その戦いの場に、さらなる巨大な影が乱入してきた。
「なによ、この騒がしい場所は!」
真っ赤なドレスを翻し、現れたのは、あのタバスコ夫人だった。彼女は両手に、俺たちが勧めた『ワサビーフ納豆ポップコーン』を抱えている。
「ちょ、タバスコ夫人!なぜここにいるっすか!?」リリカが叫ぶ。
夫人は顔をしかめて三姉妹を睨んだ。
「うるさいわね!決まっているでしょう!わたくしの宇宙一のポップコーン収集家としての魂が、地球にはまだ第2、第3の『ワサビーフ納豆ポップコーン』や、『カレー激辛チョコ味ポップコーン』が眠っていると囁いたのよ!ワープ道があると聞いて、本格的な買い出しに来たに決まってるでしょう!?」
そして夫人は、ルルを連れ去ろうとするラビ山を一瞥した。
「タバスコ夫人様、そこの小人が、私たちの仲間、ルルさんをラブラブ星に強制送還して、地球とのワープ道を撤去しようとしてるんですわ!」
マルティナが、すがるような目でタバスコ夫人に説明した。
「ふーん。あなた、ラブマスター協会の小役人ね。この娘たちは、わたくしの会社の最重要ポップコーン戦略チームよ。勝手に連れて行かれては困りますわ。それに、地球とは今後いつでも行き来できないと困るわけ。そんな些細な契約は、わたくしが無効にして差し上げます!」
ラブラブ星随一の通販ギャング集団、《PIЯI PIЯI》の新総裁、タバスコ夫人の強烈な援護射撃により、「契約」という絶対であったはずのルールは、「実力とポップコーン愛」いう最強の力に直面することになった。
目の前で、ルルを巡る最後の攻防戦が始まろうとしていた!
「ちょっとカナメくん!どうしたの?何か見えてるの?」
ヒナが、背後に気を取られ続けていた俺に驚いて、声をかけてきた。
俺は目の前のカオスな状況と、ヒナの純粋な不安に挟まれ、パニックに陥った。このままでは、俺はただの「空中に向かって叫び、暴れる病持ち」としてヒナに認識されてしまうだろう。
そして、この戦いが本格化すれば、ヒナは混乱したまま危険に晒されるだろう。
もう全てを話すしかない。
俺はルルを振り返った。ルルは今にも泣き出しそうだが、俺の視線を受けて小さく頷いた。
「ルル!実存スプレーだ!ヒナに、全てを見せてやってくれ!」
ルルは驚いたように目を見開いたが、次の瞬間、悲しみを押し殺したラブマスターの顔に戻った。
「...わかったわ。これが、私のラブマスターとして最後の、そして最高のサービスよ」
ルルは、ベルトのポーチから《地球対応実存スプレー》と書かれた小さな銀色のスプレー缶を取り出すと、迷いなく周囲に大量に噴射した。
「え...何これ、いい匂い...?」
ヒナが首を傾げた、その直後だった。
ヒナの表情は絶望的な混乱に変わった。
「え、うそ...?何、あの赤いドレスの人って...」
ヒナは、初めてタバスコ夫人と、その隣で『ワサビーフ納豆ポップコーン』を抱えている三姉妹の姿を認識した。そして、その背後で怒鳴り合うラビ山の姿も。
「そ、そして...あの、あの時の...幽霊騒ぎの時のピンク髪の女の子と三姉妹!?あなたたち...一体何なの!?え?ええええええええええ!?」
「彼女達はみんな、俺が関わってきた宇宙人なんだ。これから凄い戦いが始まりそうだから気をつけて!」
俺はパニックするヒナに、思い切りかいつまんで説明した。
その時、タバスコ夫人に契約の無効を言い渡されたラビ山が、最後の手段に出た。
「許さないラビ!ラブラブ警察!出動ラビ!」
ラビ山が警笛を二度鳴らすと、遊園地の上空に、巨大なラブハート型の宇宙船が、地鳴りのような音と共に現れた。それは、ラブラブ警察の「ラブジャスティス艦隊」だ。遊園地の客たちは、これがイベントではないと悟り、悲鳴を上げながら四散した。
「ヒャッハーー!望むところよォォォ!」タバスコ夫人が高笑いした。
「
次の瞬間、夫人の背後に控えていた、《PIЯI PIЯI》の大傭兵部隊が巨大な装甲車で続々と駆けつける。
空にはラブジャスティス艦隊が、地にはタバスコ夫人の《PIЯI PIЯI》軍が占拠し、すでに宇宙戦争の様相を呈していた。
ヒナは、目の前の信じられない光景に、ただ呆然と立ち尽くしている。
愛とワープ道を巡る、ドタバタ宇宙戦争の幕開けだった。
———
タバスコ夫人
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