第23話「バジリコ三姉妹in幽霊教室」

学校始まって以来の出来事に、吉田先生は一旦職員室に退き、学年主任の山本先生を引き連れて帰ってきた。


「……ここ、ですよね……?」


山本先生が教室のドアをそっと開けた瞬間――


ギィィィ……!


「ひっ……!」


廊下にまで響く軋む音と同時に、窓際のカーテンが風もないのに大きく揺れた。


バサァァァァ……


(おお……ルル、まだやってる……)


一瞬ビクッとした山本先生だが、そこは学年の責任者、一瞬で教師の顔に戻り、廊下に出ている生徒に、クラスに帰るように命じる。


「何もいないぞ!君たち早くクラスに帰りなさい。」


「でも……」、「本当にものが飛ぶんですよ…」


その時――


ガタンッ!

黒板消しが突然、棚から飛び出し、黒板の中央にぶつかって白い粉を撒き散らした。


――フワッ。


宙に浮かんだチョークが、勝手に動き始める。


カリ、カリ、カリ……


黒板には、ゆっくりと、震えるような文字が浮かび上がった。


“帰っておいで、さびしいから”


「うわぁ……!」

「いやぁ〜!!」

「こえぇ〜!!」


生徒たちは、まるでホラー映画のエキストラのように教室の隅へ固まり、心底嫌そうな顔をしている。


(ルル、やりすぎじゃね?)


俺が声をかけると、ルルはケロッとした調子で返してくる。


(いいんだよ、これでみんな、カナメくんとヒナちゃんのこと忘れてるでしょ?)


そういえば――

俺の背中に、ヒナの小さなおでこが押し付けられている。


肩越しに感じる温もりに、一瞬だけ心臓がドキリと跳ねた。


「山本先生、私、頭痛が酷いんで代わりに生徒を自習させてもらえませんか?」

ハゲの吉田が、さりげなく退路を作ろうとする。


「いや、私もさっきから目が回って……病院に行こうと思ってたんだ」

山本先生は額を押さえ、ふらふらと壁に手をついた。


「え?じゃあ、誰がここ見るんです?」

「いや、その……警備員さん……?」

「いやいや、あの人今日休みでしょ」


沈黙。

気まずい空気の中、突然――


ドンドンッ!


黒板が叩かれるとチョークがカリカリとまた動き出す。


“私が見といてアゲル“


「ぎゃあああああああ!」

二人の教師は目を見合わせると、言葉もなく同時に駆け出した。


「先生、逃げるんですか!?」「君たちも早く逃げなさいっ!」


山本先生が叫びながら、吉田を押しのけて廊下を全力疾走する。


——ドン!バタッ!!


その後ろを追いかける吉田が、見えない何かにぶつかって転び、悲鳴を上げながら起き上がった。


「イテっ!!な、なんだ今の……!?壁なんて、なかったのに……!」


俺には見えていた。そこにいたのはヤツら……バジリコ三姉妹だった。


「いってぇなああ、何だよこのハゲ親父!?ざっけんじゃねーぞ!」


「何ですのここ?カナメ様の部屋じゃないんですの?」


「あ、わかったっす!ここ、地球の高校っすね!漫画でみたことあるっす!」


「アンタたち、学校にまで取り立てに来たの?頭おかしいんじゃないの?」

ルルが戦闘モードに入っている。


「うっせーな、泥棒女!お前が行くとこならどこでも。取り立ていくわ!払えねーなら、カナメをよこせ!このブス!」


「そうですのよ。カナメ様いただけないなら、払うのが異世界人のルールですわよ!」


「払えっす!むしろカナメっちで払えっす!」


「カナメ君はあげられないよ!ヒナちゃんのものだしね!」


「な、何だよ、そのヒナちゃんってのは……?」

バジリコ三姉妹が一斉に青ざめる。


「今カナメくんの後ろに隠れてる子よ。私すらあの子には叶わないわ……」


バジリコ三姉妹は一瞬、凍りついたように固まった。


「……ま、まさか、あの小動物みたいな子が……カナメの……っ!?」


「わ、わたくしたち、このままじゃ完全に負けヒロインですわ……!」


「やっべぇっす! 超ヒロイン属性っす!勝てねぇっす!!」


三姉妹は顔を見合わせて、同時にその場に崩れ落ちた。


吉田先生には当然何も見えていない。

ただ、何もない廊下の一点を見つめ続ける俺を見て、さらに混乱するだけだった。


「な、何を見てるんだ武内!? そういうのやめろよ!まさか……本当に幽霊が……!?」


俺はため息をつきながら、ヒナの肩越しに三姉妹を睨んだ。


(……お前ら、マジで場所考えろよ)


「こ、こうなったら、あのヒロイン直接攻撃だ!」

「この恋が生きるか死ぬかの瀬戸際ですわ、背に腹は代えられないですの!」

「ヤルっす!絶対にやるでやんす!」


三姉妹はヒナに向け、バズーカを構えた。


「やべえぞルル、何とかしてくれ!」


ルルは大きくため息をつくと、ゆっくりとサングラスを持ち上げた。

その目がギラリと光る。


「……あんたたち、バカなの?ここ、地球の教室だよ。バズーカ撃ったらニュースどころじゃ済まないんだから」


三姉妹は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに叫ぶ。


「止めるなルル!知ったこっちゃねぇぜ!ヒナとかいうチートヒロイン、ここで消すしか私たちにもお前にも未来はねぇ!」

「そ、そうですのよ!わ、わたくしたちのカナメ様への愛を、なめないことですわーっ!」

「どーせ見えねーんだからセーフっす!やったれでやんすー!」


——カチャッ。


バズーカの安全装置が外れる音に、俺の背筋が凍った。


「ちょ、ちょっと待て! ヒナだけは狙うな!」


次の瞬間——


ドガーーーーン!!


三姉妹の放ったバズーカの弾丸が、ヒナに向かって飛び……すり抜けて行った……。


「クソ!このバズーカ、地球対応じゃなかった!」

「まあ、どうしましょう。このままじゃ何も出来ないですわ……」

「悔しいっす!何か地球対応の攻撃方法ないっすか?ラビーナっち!」


俺は、何事もなくホッとしていたが、長女ラビーナが袋から何かを手に取り、見つめるとニヤリと笑った。


「これがあったぜい!今からここをバジリコの森に変えてやんよ!!」


「何をする気?異世界に無闇に干渉したらヤバいよ!?」

ルルが叫ぶ。


「地球対応——バジリコフレグランス!!」

ラビーナが、スプレーを振り撒くと、見る見るうちに教室の景色が変わって行く。


教室中の空気が一瞬で甘く爽やかな香りに包まれる。


床のタイルが柔らかな苔で覆われ、机や椅子はまるで樹の枝のように根を伸ばす。窓際から差し込む光は葉っぱの間を縫って差し込み、緑と黄金の光の模様を教室中に描いた。


黒板の前の壁は巨大なバジリコの木に変貌し、枝からは小さな実がぶら下がる。そこから飛び出した果実や花びらが、トマトやチーズに変化して宙を舞う。


教室の天井は低く垂れたツタで覆われ、まるで森の木漏れ日の下にいるかのような錯覚を生む。窓の外も見渡す限り深緑の森に変わり、遠くから小さなクリーチャーが顔をのぞかせ、ふわりと飛び跳ねながらトマトやチーズをくるくる投げる。


水筒からこぼれた水さえ、光を反射して小さな虹を作り、教室全体が自然と異世界の色彩に染まる。黄色や赤の果実が空中で軽やかに回転し、甘い香りと森の音(小鳥や虫の声)が混ざって、もはや地球の学校であることを忘れさせる異世界空間が完成した。


「これ、一体どうなってるんだ?」

ルルに聞くと、ルルもさすがに焦りの色が見えた。


「気をつけて!ここ、一時的にあいつらの世界と繋がっちゃったみたい……」


生徒たちは目を丸くし、悲鳴と笑いが入り混じる。男子生徒の中には、景色そのものよりルルとバジリコ三姉妹の可愛さに目を輝かせ、森の中で繰り広げられるドタバタ劇を楽しむ者まで現れた。


「ちょ、ちょっと待って、教室が森に!?」

「トマトとチーズが空から降ってきたぞ!」

「いやでも……あの子たちアニメ級に可愛いし……なんかテンション上がるな!」



盛り上がる学生たちを尻目に三姉妹のバズーカの標的はやはり、ヒナだった。


「今度こそ、当てるぜー!くたばれヒロイン!」

「もう逃げられませんことよ!私たちのフィールドですから」

「ついに、ヒロイン交代っす!カナメっちは私たちのもんっす!」


「させるわけないでしょ!!えいっ!」

ルルはサングラスを光らせ、ヒナに向けバズーカを放とうとする三姉妹の視界を奪うように

《ラブスモーキーフラッシュボール》を投げた。


三姉妹の周囲に、ド派手なピンク色の煙がもくもくと立ちこめる。

スモークの中からは、どこからともなく――


♪チャッチャラ〜〜ン♪

♪ラブ・イズ・エターナル〜〜♪


みたいな、80年代ラブソング風のBGMが流れはじめた。


「ぎゃああっ!? 何これ!? 目がっ、目がぁぁぁっ!」

「な、なんですのこの……胸キュンな気持ちは……!?」

「クッソ!なんかカナメっちのこと、さらに本気で好きになりそうっすーーー!」


三姉妹は完全に混乱状態になり、持っていたバズーカをあらぬ方向に向けて振り回す。

その瞬間――


ドガーーーーーン!!


壁に当たったバズーカ弾が大爆発し、チーズとトマトが嵐のように飛び散った。

吉田先生のハゲ頭はすっかりピザのカツラに包まれて倒れてしまう。


「うぎゃ〜!あっちい〜!!」


クラス中の机の上は一瞬でジェノベーゼ色に染まり、男子生徒たちは大喜びで叫ぶ。


「うおおお!!ピッツァパーティーだーーー!」

「最高かよ!!三姉妹、俺たち愛してる!!」

「先生、チーズのとこください先生ぇぇぇ!」


女子生徒たちは悲鳴を上げながら机の下に逃げ込むが、一部の男子は完全にパリピ状態でトマトをキャッチしては大口でかぶりつく。


その横で、ヒナは震える手で俺の袖を握りしめ、か細い声で言った。

「……カナメくん、なんか私たち、狙われてたような……」


俺は内心「悪夢だろコレ」と突っ込みつつも、森の甘い香りと熱気で現実感がどんどん薄れていくのを感じた。


ルルはサングラスを指で持ち上げ、余裕の笑みを浮かべながら言う。

「フッ……ラブスモーキーフラッシュボール、まだまだ改良の余地ありね」


そして三姉妹は、ラブスモークの中でぐるぐると目を回しながらも、なお俺の方へ手を伸ばしてきた。


「カ、カナメ様ぁぁぁぁぁ……♡♡♡」

「待ってくださいまし……この想い、届けたいんですのぉぉぉ♡♡♡」

「バジリコラブフォーエバーっすぅぅ……♡♡♡」


――完全に、カオスだ。


軟派そうな一部の男子生徒達は俺がルルや三姉妹と繋がってそうな感じが面白くないようだった。


「カナメ!何で、お前だけ名前知られてんだよ!」

「お前、あの子達のこと何が知ってんのか?」

「お前にはヒナがいるんだから、あの子達紹介しろよ!」


「いや、それは、その……」

俺が口籠っていると、三姉妹が黙ってはいなかった。


「おめえら、私のカナメになんか文句あんのか!?」

「カナメ様をいじめたらただでは済みませんよ」

「そうっす!カナメっち以外興味ないっす!」


そう言うと、男子生徒たちにバズーカを向ける、三姉妹。


「ひええええ!」と逃げだすナンパ男子たちに女子たちは、「ダサ!」とため息をついていた。


……熱気で現実感がどんどん薄れていくのを感じた。


その後も混乱は拡大する一方だった。

枝の間からひょっこり顔を出した小動物サイズの異世界クリーチャーが、

「ピザ!ピザ!ピザ〜!」

と奇妙なコールをしながら、生徒たちの頭上にトマトを投げつける。


「うわっ、頭にチーズ乗った!」

「私のノート、モッツァレラでベトベトだぁぁ!」

「最高じゃん!今日、全部持って帰って放課後ピザパーティー決定!!」


ピザ好きな生徒たちは完全にテンションが振り切れ、スマホで動画を撮りながら「#バジリコ祭り」のタグを連呼していた。


一方で、先生たち――

廊下に避難した山本先生と吉田先生は、現実離れした教室の光景に口をパクパクさせるだけ。


「……み、見えない……けど……なんか、チーズの匂いだけはする……地球の教育指導要領に“異世界対応”なんてないんだよ!」

「じ、地獄だ……もう知らん! 俺は定年まで静かに過ごしたかっただけなのに……」


そう呟きながら、そろりそろりと後ずさりして職員室へ逃げていった。


「くっそ、何とか止めなきゃ……」

俺はルルに目をやるが、彼女はサングラスを指で押し上げ、余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。


「カナメくん、心配しなくても大丈夫。あの子たち、もうすぐ限界が来るよ」


「限界って……どういう意味だよ?」


「ふふ、地球の空気に慣れてない異世界人はね、30分以上異世界交錯を維持すると、強制的に酔っちゃうの」


案の定、三姉妹は煙の中でぐるぐる回りながら、


「うぅ……気持ち悪いですの……世界がピザに見えるですの……」

「カナメっち……ピザの妖精に見えるっす……愛してるっす……」

「ぐぇぇ……ラブとジェノベーゼの渦に飲まれるぅぅ……」


と、完全に戦闘不能状態になっていた。


「よし、今のうちに——」

ルルは指をパチンと鳴らす。


すると、森を覆っていた緑のカーテンがスッと消え、甘い香りも霧のように薄れていく。

気づけば、教室は元の姿に戻っていた。

ただし、床と机の上はトマトとチーズでぐちゃぐちゃだったが……。


「なんだ、夢だったのか……?」

「いやいや、頭にモッツァレラついてるぞお前」

「先生どこ?プリント全部ピザ色ですけど!」

「あれ??せっかく一部始終動画撮ってたのに、先生の頭しか映ってない!」


混乱と笑いが渦巻く中、俺はヒナの手をそっと握った。

「もう大丈夫だ。……怖かっただろ?」


ヒナは恥ずかしそうに頷きながら、小さな声で呟いた。

「……カナメくんがいてくれたから、大丈夫だったよ」


その瞬間、周りの騒ぎなんて耳に入らなくなった。

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