第14話「キスの練習、開始」

俺は、少し声が裏返りながら聞いた。

「練習って……キスの?」


「そうだよ……する?」

ルルがソファに座ったまま、じっと俺を見上げて言った。少しだけその頬が赤らんでるように見えた。


「……え、い、いいのか……?」


「うん。じゃあまず――壁ドンからね」


「は?」


「ほらほら、立って」

言われるまま立ち上がると、ルルはリビングの壁の前に移動し、

両手を後ろに組んで、少し顎を上げた。


「はい、ドンして」

「なんでキスの練習で壁ドンなんだよ」

「雰囲気作り。まずはそこから」


(雰囲気って……お前、少女漫画読みすぎだろ!?)と心の中で突っ込みつつ、俺は壁に背を向けて立った彼女の顔の横に手を突く。


近い……近すぎて心臓がうるさい。


「……こんな感じか?」

「うん、いいね。あぁ……」

ルルは目を細め、頬がさらに赤らんでいる。


そんなやりとりをしていた、その時――


「……まあ」


振り向くと、入り口に眉間に皺を寄せた母が立っていた。

ルルは見えないから、視線は壁に向かって一人腕を突き出している俺へ。


「……」

何も言わず、目が「この子、大丈夫かしら」と言っている。

そして口を半開きにしたまま、ゆっくりと台所へ消えていった。


リビングには、壁ドンのポーズで固まる俺と、腹を抱えて笑うルルだけが残される。


「カナメくん……今の絶対変な人だと思われたよ」

「お前のせいだろ!恥ずかしくて、死にてえよ……」

「恋に恥ずかしさは付きものよ」

「そう言う恥ずかしさじゃなくね……」


俺はため息をつきながら聞いた。


「それで……どんなタイミングでこの壁ドン、発動させればいいんだ」


「発動させなくていいよ?」


「は?」


「これは、私がしてもらいたかっただけだから」


「何だよそれ!もう……雰囲気作りって言ったじゃん……」


「そうそう、練習の雰囲気作りね」

目の前のルルが無邪気に笑う。その可愛さが目に余り強くは突っ込めない。

むしろ、心臓がバクバクしてきた。


「とにかく……部屋に戻ろう。母親に見られたら、精神科に連れて行かれるかもしれないし」


「ふふっ、大変ね。じゃあ、カナメくんの部屋に行こっか」

ルルがそう言うと、俺は壁ドンのポーズからようやく解放される。


廊下に出ると、母親が台所の端からチラッとこちらを見ているのが目に入った。

「……あっ、見てる!」

心臓が一気に跳ね上がる。

ルルは平然としているけど、俺は慌てて顔を赤くしながら部屋へと駆け出した。


母親の視線を感じながら廊下を通るだけで、笑いと恥ずかしさで呼吸が浅くなる。

リビングには、母親の様子を見てくすくす笑うルルだけが残されていた。


自分の部屋に駆け込み、ドアを閉めてひと息つく。まだ頬が熱く、胸の奥が騒いでいる。


「……はぁ、はぁ……」

息を整えていると、ノックもなくドアが軽く開く音。


「ふふっ、遅れちゃった」

ルルがにやにやと笑いながら入ってきた。

「あー、カナメくん、顔真っ赤じゃん! お母さんため息ついてたよ」


俺は目をそらすしかなくて、慌ててソファに腰掛ける。

「もう、勘弁してくれよ……」

「あはは、でもしょうがないじゃん、夢だった壁ドンしてもらいたかったんだから!」

ルルは膝に手を置き、まだ笑いをこらえきれずに肩を震わせている。


「……お、お前、なんでそんなに楽しそうなんだよ!」

「ごめんね。でも楽しいじゃん、焦ってるカナメくん、可愛くて!」


その笑い顔に、怒る気も萎えてしまう。胸の奥がむずむずして、ドキドキが止まらない。

「……それで……その、練習……本気でやるのか?」

ルルはにやりと笑い、ソファの俺の隣に腰掛けた。

「もちろん、今度は本番仕様だよ!」


そう言うと、ルルがゆっくりと顔を近づける。

「まずは……雰囲気作りね」

そう言って、俺の太ももの上に手を置く。


「う、うわ……近い……」

緊張で少し反り返ってしまう。

心臓がバクバクして、息が浅くなる。


「大丈夫、大丈夫……私が教えるから」

ルルはまだニコニコしたまま、俺の目を見つめる。


俺の太ももをゆっくり撫でるようにしていた手が、ふと離れたかと思うと、今度は俺の手にそっと指を絡めてきた。


自然とルルと向かい合う姿勢になった俺は、胸がドキドキして少し後ずさってしまう。


「……ああ、もう……なんでこんなにドキドキするんだよ!」


「うふふっ。それが恋のスパイスだよ、カナメくん」


ルルはにやりと笑って、さらに距離を縮める――。


ルルの息がかかる。甘くて、異世界じゃなく、ちゃんと人間の女の子って感じの香りのする息。


胸がはち切れそうになったその瞬間――


「カナメ、ご飯よ!」


思わず俺もルルも顔を見合わせる。現実に引き戻される音が、部屋に響いた。


「残念……続きはご飯の後ね」


しょんぼりしたルルのその一言に、胸がギュッと締め付けられる。……なんでこんなにドキドキして、しかも焦らされてるんだよ、俺……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る