第12話「映画当日——作戦B発動」

翌日、映画館に着いたのは、上映の30分前だった。

ルルの作戦通り、まずはポップコーン売り場へ直行する。


「キャラメル味の一番大きいやつ、ください」

俺は何気ない顔で注文したが、出てきたポップコーンを見て驚いた。両腕で抱えなければならないほどの巨大さ。


「それ何人分?」とヒナが笑う。

「…まあ、これぐらい普通だろ、一緒に食べてよ」


俺が言うと背後でサングラスをかけたルルが、小さくガッツポーズをした。作戦Aクリア。


予定した座席に着くと、右ひじ掛けの先取にも成功した。

だが、席に座る際、椅子を動かすためヒナにポップコーンを渡すと、箱の表面積が広すぎて手は触れなかった。


おまけに、右のひじ掛けは容易に取れたものの、ヒナがポップコーンを持ってあげると言って、二人で食べるため左手側で持つものだから、完全に距離ができてしまい、俺は心の中でため息をつく。


「ルル…これ、無理だ。この雰囲気じゃ触れない」

左の席に忍び込んでいたルルが、小声で答える。

「仕方ないわね…作戦B発動よ」


ルルは鞄から、細長い銀色の棒を取り出した。

「これ、高いから使いたくなかったんだけど…異世界の念力棒。一回限りの使い捨てよ。いいシーンの時に呼んで、触らせてあげるから」


そして、映画は始まった。

鬼になってしまった主人公が様々な鬼達と剣や魔法で戦う、その映像の迫力に俺たちは息を呑んで観ていた。


左から、ルルが俺をつついた。

「今、いいんじゃないの?顔近いよ」


「え、バトルの1番激しいとこだぞ」


「距離は嘘をつかないって」


「じゃあ……頼む」


そう言って目を映画に戻すと、画面には瘴哭鬼(しょうこくき)という、体の節々から瘴気を放つおぞましい鬼が凶悪な必殺技を放つところだった。館内の誰もが小さく声を上げたと思う。


「うわっ!」


その瞬間、棒の先から目に見えない力が伸び、そっとヒナの手を押す。

ポップコーンを持っていたヒナの指先が、ひじ掛けの上の俺の手にそっと触れると、画面の恐怖が手伝ってぎゅっと握りしめてきた。


「あっ、ごめん!」

「いや、全然…」


俺は自然を装いながら、そのままヒナの手を握った。

後ろでルルが、静かにガッツポーズを決める。作戦B成功。


俺とヒナは映画の盛り上がりに合わせ、たまに目を合わせて笑ったり、頷いたりしていた。

そして、俺はせっかく握った手を離すことはなかった。


そして左側では、ルルが俺の手を握っていて、映画に興味ないのか、たまに話しかけてくる。


「ねえ、私とヒナちゃんの手、どっちが柔らかい?」


「同じくらいだよ。喋りかけないで」


物語はクライマックスに差し掛かった。


激闘のなか、一瞬だけ時が止まったように感じられる。

映像は静かに主人公の幼い頃の温かい思い出へと切り替わり、

守りたい人との約束や、失いたくないものへの想いが胸を締めつけた。


再び現実に戻ると、主人公は必死に立ち上がり、

大音量の主題歌が響き渡る中、瘴哭鬼の猛攻を跳ね返す。


そして、瘴哭鬼はかつての自分を思い出しながら、

静かにその命を終える。


スクリーンから切ない音楽が流れ、館内は静まり返った。

ヒナが小さく「泣けるよね…」と囁く。

俺は無意識に頷き、その温もりを確かめるように手に力を込めた。


上映が終わり、館内の明かりが戻る。

外に出ると、ルルは何食わぬ顔でヒナの持つポップコーンを食べていた。


ヒナが首をかしげる。

「こんなに減ってる…私そんなに食べた?」


「俺、左手でちょっと…」


ルルが笑顔でポップコーンを口に放り込む。

「ナイスフォロー、カナメくん」


「お前、しれっと食べすぎだろ」


俺は、ヒナと好きな映画を共有できたことと、その手の温もりの充実感にまだ酔いしれていた。

ルルの作戦は、確かに効果抜群だった。


「ありがとうなルル」


「こんなの当たり前だよ」

ルルはそう言うと、サングラスを外して俺の手を取り直し、じっと見つめてきた。

どうしてもヒナと張り合いたいらしく、その仕草が妙に可愛かった。


館を出ると、外は夕方のオレンジ色に染まっていた。

「じゃあ、約束通り、お茶でも飲みいこうよ」とヒナが言う。

俺はうなずき、ヒナが知ってる近くの喫茶店へ入った。


店内は落ち着いた照明で、映画館のざわめきが嘘みたいに静かだ。

二人は窓際の席に座り、カフェオレとレモンティーを注文する。

ルルは横で何も飲めず不満そうだ。でも、俺に引っ付くように座ってる。


「最後のシーン、本当に泣きそうだった」

ヒナがカップを両手で包みながら言う。

「うん…音楽が反則だったな」

「カナメくん、途中で鼻すすってたでしょ?」

「……あれはポップコーンの粉が…」

「ふふっ、ううん、絶対泣いてた」


俺はカップに視線を落とす。

ヒナの笑顔は柔らかく、スクリーンの光の中よりもずっと近くに感じられた。

その距離感が、ポップコーンよりも甘かった。


「あんなに長いこと男の子の手を握ったの、私初めてだよ」


「俺だって……あの、瘴哭鬼(しょうこくき)のおかげでいい思いしたわ」


「ふふっ」と言って照れ笑いを見せるヒナがいつもの100倍可愛く見えた。けれど隣のルルが負けじとギュッと俺にひっついてくる。


俺はニヤニヤが止まらなかった。


「作戦B、やっぱり完璧だったな」

ルルに言うと、ルルは思いついたように声を上げる。


「じゃあ次は作戦Cね!」


「何だよそれ?」


「家に帰ってからカナメくんは、頑張った私にマッサージをすること」


「作戦じゃねーじゃん」


夕暮れの陽を浴びた、ヒナが優しい瞳で俺を見つめている。また、そっと手を取りたくなったが、その勇気は出なかった。


ルルが外していた《ラブアイズ・スコープ》を再びかけて、ヒナの俺への好感度をスキャンする。


「やっば!192.8だって……」


「うぉ、やりぃ!!」


「ま、まだまだ、だからね……」


そう言ったルルの手が、少し震えていた――それを、俺は見逃さなかった。

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