第57話:『浮気事故調査委員会事務局』
日曜日の午後二時。
本来なら、昼下がりの日差しの中で微睡む穏やかな時間だ。
しかし今日、我が家のリビングは、墜落現場のような重苦しい沈黙と、鉄の檻のような緊張感に支配されていた。
いつものダイニングテーブルは部屋の端へ追いやられ、代わりに長机がコの字型に厳重に配置されている。
上座には私、**ナオミ**。本日の肩書は妻ではなく、**「浮気事故調査委員会・委員長」**だ。
私の右隣には、腕組みをして眉間に深い皺を刻む強面の父(特別顧問)。左隣には、ノートパソコンを開き、冷徹な眼差しでモニターを見つめる親友・美香(事務局長兼データ解析官)。
そして背後のソファには、無言の圧力を放つ兄と、私の高校時代からの友人三人(通称・陪審員団)が控えている。
「それでは、定刻になりましたので」
私は手元の資料をトントンと揃え、氷点下の声で宣言した。
「**『第1回 特定重要浮気事案に関する事故調査委員会』**を開催いたします」
部屋の中央、ポツンと置かれた安っぽいパイプ椅子に座らされているのは、私の夫――いや、本件の被疑者、**和樹**だ。
昨夜まで「仕事が忙しい」と偉そうにしていた男は、今は顔面蒼白で、膝の上で小さく震える両手を握りしめている。
「被告人、和樹。体調に問題は?」
「い、いや……大丈夫、です……」
「よろしい。なお、本委員会は全て記録されます。虚偽の証言、あるいは黙秘は、後の慰謝料算定において重篤な加算要因となります。そのつもりで」
美香が事務的な手つきでボイスレコーダーのスイッチを入れる。赤いランプが、和樹の不整脈のような鼓動に合わせて点滅を始めた。
「さて。今回の『事故』――すなわち、あなたが部下の女性Aとラブホテル『シルキー』へチェックインし、約三時間の滞在を経て退出した件について。事実関係の確認を行います」
私はプロジェクターのリモコンを押した。
リビングの白い壁に、興信所の調査員が命懸けで撮った写真がドアップで投影される。
だらしない笑顔で女性の腰に手を回し、回転扉へ吸い込まれていく和樹の姿。それは決定的な「衝突」の瞬間だった。
「うっ……」
和樹が呻き声を上げて目を逸らす。
「目を逸らさないでください」
父がドスの利いた低音で言った。「事故の原因を直視するのが、再発防止の第一歩だ。逃げるな」
「ひぃっ、す、すみませんお義父さん!」
「和樹さん」
私はあえて優しく、しかし瞳の奥は笑わずに呼びかけた。
「あなたは当初、『魔が差した』『酒に酔っていた』『一度きりの過ちだ』と供述していましたね?」
「は、はい……。本当に、あの日だけ、つい……記憶がなくて……」
和樹は必死に弁明する。その場しのぎの言い訳。舌の根も乾かぬうちに嘘を重ねる、まさに「舌オトコ」の本領発揮だ。
「なるほど。記憶がない、あの日だけ」
私は手元の分厚いファイルをめくった。
「事務局長、フライトレコーダーの解析結果を」
「はい」
美香がキーボードを叩く。画面が切り替わり、細かいスプレッドシートが表示された。
「クラウドから復元したLINEのログ、交通系ICカードの履歴、およびクレジットカード明細のクロス集計です」
美香はレーザーポインターで画面を指し示した。
「過去半年間で、位置情報とカード履歴が一致する『不自然な空白の時間』が、計十二回確認されています。特に五月三日。和樹さんは『実家の母が腰を痛めたので様子を見に行く』と言って外出しましたね?」
「あ、ああ……行ったよ、実家」
「お義母様に確認を取りました。『和樹? 来てへんよ。腰? ゴルフできるくらいピンピンしとるわ』とのことでした」
和樹の顔から、完全に血の気が引いた。
背後の陪審員団から、「うわぁ……」「マザコンのくせに親ダシにするとか最低」「地獄行き確定ね」という容赦ない囁きが漏れ聞こえる。
「これは突発的な『事故』ではありません。長期にわたる計画的な『運行規定違反』です」
私は机に両手をつき、身を乗り出した。
「さて、ここからが本題です。現在、親族およびあなたの会社に対しては『報道協定』を敷いています。まだ、この件は公にはしていません」
和樹がパッと顔を上げ、すがるような目をした。
「な、ナオミ……! ありがとう、やっぱりお前は……」
「勘違いしないで」
私はその希望を冷たく断ち切った。
「あなたの口から全ての真実が語られるまで、情報を止めているだけです。もし一つでも隠し事をしたり、デマを流したりすれば……協定は即時破棄。この資料一式を、会社の人事部と全社員のメールアドレスに一斉送信します」
「そ、そんな……!」
「さあ、和樹さん。事務局は徹底的な究明を求めます」
美香が、電話帳のように分厚い『未解決尋問リスト』をドン! と和樹の目の前に置いた。
「あなたがその嘘つきの舌で、どこの誰と、どんな甘い言葉を囁き、どういう経緯で私たちとの契約を破棄したのか。一分一秒単位ですべて吐き出してもらいます」
リビングの空気がさらに重くなる。
飛び交うデマも、安っぽい言い訳も、ここでは通用しない。あるのは残酷なまでの事実と、それに基づく断罪のみ。
「長い一日になりますよ。……調査開始」
私の宣言と共に、和樹はガックリと項垂れた。
それは、彼にとっての終わりの始まりであり、私にとっての新しい人生への離陸許可だった。
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