第47話「粉々にしてやるよ!」



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### 1.妻の視点【冷たい執着】


あの方、田中隆の葬儀。私は、喪主として静かに祭壇を見つめていました。

白木の棺の中に横たわる「それ」は、もはや私の知る夫ではありません。これから真に私のものとなるための、ただの素材です。


生前、あの方はいつも私の手の中から砂のようにこぼれ落ちていきました。その優しさも、その言葉も、その体温さえも、私以外の誰かのためにあった。私は知っていました。ええ、すべて。その度に私の心は静かに凍りつき、憎しみは氷柱のように鋭く尖っていったのです。


「『清めの儀式』を執り行います」


司会者の声が、始まりの合図。黒服の者が恭しく差し出したバールを、私は迷いなく受け取りました。ひんやりとした鉄の感触が、燃え盛る激情を鎮め、思考をクリアにしてくれます。


「…やっと、私のものになるのね」


誰に聞かせるでもなく、ただ真実を口にしただけ。

私が振り下ろした一撃は、私たちを隔てていた最後の壁――棺の蓋を打ち破りました。鈍い破壊音。ああ、なんて心地の良い音でしょう。


親族たちが獣のように群がり、醜い所有欲を剥き出しにします。けれど、どうでもいい。彼らが手にするのは、ただの肉片に過ぎません。あの方の魂ごと、その存在のすべてを所有する権利は、妻である私にしかないのですから。


私は、あの方が他の女に触れたであろう右手を狙いました。指輪の嵌まっていた薬指を、バールで的確に砕きます。骨が砕ける感触が、腕を通じて脳髄にまで響き渡る。快感でした。

次に、嘘ばかり囁いたその唇を。甘い言葉で私を欺いたその舌を。もう二度と、私以外の名前を呼べないように。


やがて、祭壇の上には赤と白のオブジェだけが残りました。ええ、美しい。完璧です。誰の目にも、あれが「田中隆」だとは分からないでしょう。

それでいいのです。


「これならば、もはや焼却の必要もございませんね」

葬儀屋の言葉に、私は淑女の笑みで応えます。

「ええ、この子は私が持って帰りますわ。もう二度と、どこへも行けないように」


この肉塊こそ、私が生涯をかけて手に入れた、裏切ることのない永遠の愛の形なのですから。


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### 2.嫁はんの視点【泥濘の愛憎】


「ほんま、ええ気味やわ、隆」


うちの甲斐性なしの葬式やっちゅうのに、涙の一滴も出えへん。周りの連中が神妙な顔してるのが、おかしくてたまらんかった。あんたが生きてた時、誰も助けてくれへんかったくせに。


金は無い、甲斐性も無い、そのくせ女にだけはだらしなかったあんた。何度、この手であんたをどないかしたろ、と思ったか知れへん。それが今日、やっと叶う。こないな形でな。


「ほな皆様、『道具』は馴染みましたか?」


司会者の気取った声が腹立つわ。うちの手に握らされたんは、ずっしり重い鉄のハンマー。ああ、これや。これやないとあかん。あんたみたいな石頭には、これくらいが丁度ええ。


棺に群がる親戚どもの浅ましいこと。けど、うちも同じや。

「この浮気者の足は、うちが貰うで!」

最初にどついたんは、夜な夜なよそ様の女のところへ通った、その両足やった。ゴキリ、と嫌な音がしたけど、胸がスッとしたわ。


「この口か!うちを言いくるめよったんは!」

「その目や!うちやない、別の女を見てたんは!」


殴るたびに、あんたとの暮らしが蘇る。しょうもないことで喧嘩して、くだらんことで笑い合うて。腹が立って、憎らしくて、それでもどこか放っとけんかった。アホや、うちもあんたも。


気づけば、あんたはもうあんたの形をしとらんかった。ただの赤くてぐちゃぐちゃの塊。汗だくでハンマーを杖みたいにつきながら、それを見とったら、なんやろな、急に寂しゅうなって。

「…なんや、もう、どこにも行かれへんのやな」


葬儀屋が「お見事です」とか言うとる。父親が「庭に埋めよう」と言うとる。

「アホ言いなさんな」

うちは、ぐちゃぐちゃの塊を指さして言うた。


「こいつは、うちが連れて帰る。うちの家の仏壇の横にでも置いといたるわ。これでやっと、あんたも観念して、うちに捕まってくれるやろ」


それが、うちがあんたにあげられる、最後の愛情やった。


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### 3.愛人の視点【独占の美学】


彼の葬儀に、私は「友人」という偽りの仮面を被って参列していました。

祭壇に横たわる彼、田中隆。奥様やご親族の悲しみに満ちた(ように見える)横顔を、私は冷ややかに見つめていました。偽善者たち。あなた方を欺き、私の腕の中でだけ本当の顔を見せていた彼のことを、何も知らないくせに。


「さあ、始めましょう」


その声は、私に与えられた祝福でした。手渡された鉄パイプの冷たさが、私の指を、心を、恍惚で満たしていく。これは、私が彼を本当に理解していた唯一の人間であることの証明。日陰の存在だった私が、彼のすべてを白日の下に手に入れるための、神聖な儀式。


最初に手を下したのは、やはりあの女でした。憎しみに満ちた一撃。野蛮で、醜い。

でも、私は違う。私のこれは、破壊ではない。創造です。彼という素材を使い、私たちの愛を永遠の芸術へと昇華させるための行為。


「隆…あなたの一番美しい顔、私にしか分からないわよね…」


他の誰も気づかない、彼の左の頬骨の完璧なライン。そこに、私はそっと鉄パイプを当てました。ゴツリ、という硬質な手応え。白い肌に走る、鮮烈な赤い亀裂。

ああ、なんて美しい。壊れることで初めて現れる、真実の美。


私は夢中で「筆」を振るいました。彼が私に愛を囁いた唇を、私の髪を優しく撫でた指を、一つひとつ、慈しむように砕いていく。それは、私たちの秘密の思い出を、彼の肉体に永遠に刻み込む作業でした。


やがて、原型を留めない抽象画が完成した時、私は汗と返り血に塗れながらも、至上の幸福を感じていました。

奥様が「私が持って帰る」と微笑むのを、私は静かに見ていました。ええ、どうぞ。抜け殻はあなたにあげる。


私は、誰にも気づかれないよう、鉄パイプの先に付着した、ひときわ美しい肉片をそっとハンカチに包み取りました。

それは、彼の頬骨の一部。私が最初に「作品」にした、私たちの愛の証。


これで、彼は永遠に私だけのもの。

一片でもあればいい。この世界で、彼の真の美しさを所有しているのは、他の誰でもない、私だけなのだから。

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