第43話「浮気させないわよ」



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### **小説「浮気させないわよ


月曜日の朝。週末の気だるさを引きずったままオフィスにたどり着いた俺、健司は、自分のデスクからふわりと漂う微かなフローラル系の香りに気づいた。


香りの元は、昨日、妻の由美から「仕事中に癒やされてほしくて」と渡された、卵型の白いオブジェ。ただのアロマディフューザーだと思い、出社してすぐに何気なく自分のPCにUSBケーブルで繋いだのだ。てっぺんの小さな穴から、白いミストが静かに立ち上っている。


「愛してるわ、健司。だから、あなたも私だけを愛して。浮気なんて、絶対に許さないからね」


結婚式の前夜、由美はそう言って俺の胸に顔をうずめた。もちろん、俺に浮気する気なんて微塵もない。ただ、時折見せる彼女の執着の強さには、少しだけ戸惑うことがあった。俺のスマホのスケジュールを全て共有したがったり、飲み会に参加する同僚の顔写真を全て見せろと言ったり。まあ、それも愛ゆえの心配なのだろうと、俺は深く考えないようにしていた。


「お、なんだそれ、佐藤」


背後から声をかけられ、びくりと肩が跳ねた。振り返ると、コーヒーカップ片手の田中課長が、俺の机の上を興味深そうに覗き込んでいる。


「いい匂いじゃないか。お洒落なアロマディフューザーだな。…ん?」


課長は眉をひそめ、その白いオブジェをまじまじと見つめた。


「あれ、これ…俺が家で使ってるペットカメラとそっくりだな。うちの猫を見守るやつ。お前、犬かネコでも飼い始めたのか?」


課長の何気ない一言が、俺の思考を凍りつかせた。


ペット…用…カメラ…?


「え?」


思わず、間抜けな声が出た。


「え?だ、だって課長、これ、妻がアロマだって…え?」


「いやあ、最近のは色々機能が付いてるからな」と課長は笑いながら自分の席に戻っていく。


俺は椅子に崩れ落ちるように座った。心臓が嫌な音を立てて脈打つ。背中にじっとりと冷たい汗が滲んだ。

まさか。いや、そんなはずはない。でも、あの正面の黒い小さな点は…?


——もしかして、おれを観察?


自分の手で、自分の監視カメラを設置してしまったというのか?


頭に浮かんだ最悪の仮説を、必死で打ち消そうとする。俺は何もやましいことなんてしていない。金曜だって、同僚の鈴木さんと帰りがけに少し話したくらいだ。彼女が新しいプロジェクトで困っていると言うから、少しアドバイスを…。


その時、ポケットのスマホが『ピロン♪』と軽快な音を立てた。

画面に表示された通知。送り主は、由美だ。


『健司へ♡ プレゼント、早速使ってくれてるんだね♪』


心臓が鷲掴みにされる。指が震えるのを抑えながら、メッセージアプリを開いた。


『会社のデスクにも、癒やしは必要でしょ?』

『あ、ちなみに防犯監視機能付きだから(笑)』

『これで私がいない時も、健司のことはちゃーんと見守ってあげられるからね♡』

『さっき田中課長と話してたでしょ?楽しそうだったね♪』

『あ、でも金曜みたいに経理の鈴木さんとあんまり話し込んじゃダメよ?彼女、ちょっと距離感近くない?(笑)』


「…………っ!」


息が詰まった。金曜のことまで、見られていた?

全身から血の気が引いていくのがわかる。俺は恐る恐る、デスクの上の白いオブジェに視線を向けた。中央で黒く光る小さな点が、まるで由美の瞳のように、じっと俺を見つめている気がした。


(笑)


メッセージの最後に付けられた、その二文字。

それはもはや、笑い話の記号ではなかった。


「浮気させないわよ」


あの夜の誓いの言葉が、耳の奥で不気味に響く。

それは愛の囁きではなく、決して逃れられない呪いだったのだと、俺は今、思い知らされていた。


愛という名の鳥籠の鍵を、俺は自らの手で掛けてしまったのだ。

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