春が来るまでに
レイナイ
第1章: 東京 ― ひとりきり
十二月の東京、午後。
雨は降っていないけれど、手をポケットにしまいたくなるほどの冷たさだった。
街はいつも通り、淡々と動いていた。
銀白のビルの間に、灰色の道が伸びる。人々の足取りは揃っていて、まるで見えないリズムに導かれているかのようだ。
地下では、ちょうど渋谷駅を出た電車の金属音が響き、地上にはカフェから流れる音楽と、歩行者の足音が交じり合っていた。
セナは、いつものコンビニの前に立っていた。
ガラス越しに漏れる暖かい光が、冷たい空気を少しだけ和らげてくれる。
彼女は肩をすくめて、茶色のコートの襟を引き寄せながら、ひとつ息を吐いた。
白い吐息がふわりと浮かんで、すぐに空に溶けていった。
「まだ慣れないなあ… 東京の寒さって。」
彼女はベトナム語でつぶやいた。
視線の先には、ドアに貼られた日本語の文字。営業時間や割引の案内、他にもたくさんの言葉たち…
でも、そのほとんどはまだ読めなかった。勉強が追いついていないのだ。
セナが日本に来てから、まだ二ヶ月も経っていない。
自費留学でやって来た彼女が日本に来た理由は、単純だった――「好きだから」。
親に言われたわけでもない、奨学金のためでも、成績のためでもない。ただ、自分の気持ちだけだった。
中目黒駅の近くにある日本語学校で、セナはリンとテルという同じベトナム出身の友人と一緒に勉強している。
二人は明るくて、よく助けてくれるけれど…それでも“親しい”とはまだ言えなかった。
どこかに、まだほんの少しの距離があって、自分がこの街やこの世界に「なじみきれていない」ことを、セナ自身が一番感じていた。
誰のことも嫌いじゃない。
けれど、どこかでひとり取り残されたような、そんな感覚がいつも胸の奥にあった。
周囲の誰もが同じテンポで前に進んでいるのに、自分だけ半拍ずれている気がしてならなかった。
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