ルビーとブギー

花鳥あすか

第1話

 ブギーは、ウエスト・サセックスで待っているだろう。私に拒む道はない。汽車に乗り、土に塗れた彼の裸体を想像する。

 美しかったブギー。

 突拍子もないブギー。

 時々泣いていたブギー。

 女好きだったブギー。

 映画が何より好きだったブギー。

 ブギーはアニサおばさんの牧場を継いで、立派にやっているだろうか。都会に出たまま故郷に戻らなかった私を、彼はどう思っているだろう。汽車を降り、青々しい牧場をわき目に、泥道を歩く。手にぶら下げたバスケットは軽い。中にはサンドイッチと水とハンカチ、そして実験用のキット。あまりに簡素な荷物に、私は突然心配になった。手土産のひとつでも持ってこれば良かったのに。どうしてそうしなかったの? でも汽車はもう行ってしまった。今更後悔しても遅い。

 私は黙って、時々歌を歌いながら歩いた。突然、塀の向こうの牛が私を目掛けて走ってきた。怒りに満ちた稲妻のような走りだった。牛(きっとブギーが可愛がっているラミンだろう)は私の前で急ブレーキをかけると、唾を飛ばして威嚇した。

 ラミンはメスなので、しょうがない。子どもの頃、同じ理由で泣かされたことがある。ラミンの母親のララは、ブギーに近づく私を思い切り殴りつけ、私は頭を数針縫った。親子揃って、気性の荒いメスだこと。

 私はラミンを見据えると「もうすぐお前は肉になるね。肉になったらしゃべることなんかできないし、ブギーもあんたのことなんか忘れるんだよ」と言ってやった。ラミンは乳牛で、肉牛ではない。ラミン自身も、それを知っている。それでも、私は敢えて言うのだ。

「肉になったお前を喰らうのは私だよ。このルビーが、ブギーと唯一愛し合えるこのルビーが、お前の臓物まで余さず食ってやる」

 ラミンは焦り始めていた。ブギーに乳牛として育てられた自信がぐらつき始めているのだろう。牛だって人間と何も変わらない。愛する人の言葉より、憎らしい人間の言うことを間に受ける。私が都会で学んだことはそれだけだけど、この憎らしいメス牛を攻撃するのには最適な学びだった。

「骨は私の犬にあげるわ。自分より小さな生き物に齧られるのはどんな感じかしらね。私の犬はチワワで、獰猛なの。骨をしゃぶるのが大好きでね。そうそう、あんたの母親のララも、どこかの家の犬にそうされたんだよ」

 ラミンはとうとう泣き出した。私はラミンに勝った。もうこのメス牛から乳は出ないだろう。だって私が莫大なストレスを与えてやったから。乳の出ない乳牛になんの価値がある? 馬鹿なブギーでも、役立たずの生き物を飼う趣味なんかないだろう。

 私はすっかりうなだれたラミンを尻目に、ブギーの住む家路へと戻った。

 百エーカーもある土地を、私はヒールで歩いた。これが都会の女の矜持であり、証明だからだ。ヒールの先に泥を凝固させながらブギーの家にたどり着いた頃には、日が暮れかけていた。ドアをノックし、ルビーよ、と声を張り上げると、ブギーは気安い返事をして、ドアを開けてくれた。

「どれくらいいるの?」

「二週間くらいかしら。仕事が終わったら、すぐロンドンに戻らなくちゃ」

「そうか」

 寂しそうに俯いたブギーに、母性がくすぐられたけど、私は堪えた。

「君の部屋は用意してあるから。自由に過ごして」

「ありがとう。部屋に荷物を置いたら、アニサおばさんのお墓に行っても良い?」

「もちろん。きっと母さんも喜ぶ」

 私はおばさんの墓跡に寄りかかると、持ってきたサンドイッチを食べた。マヨネーズをたっぷり入れたキューカンバーサンドイッチは、都会のいつものオフィスで食べるより、何十倍も美味しく感じられた。

「アニサおばさん。ブギーは馬鹿なの。分かるでしょ? ブギーを救えるのは私だけ。だから私にブギーをちょうだい」

 強烈な夕暮れに、いきなり強い風が吹いた。私のサンドイッチは宙に舞い、どこかへ飛んでいってしまった。

「そう怒らないで。私たちは求め合ってるの」

 今度は墓石の周りの砂利が回転し、私の皮膚を小さく裂いた。私は聞かん坊のおばさんを黙らせようと、墓石を思い切り引っ掻いてやった。すると砂利は勢いをなくし、辺りは静かになった。

「ブギーは私に、牧場の水質検査を依頼してきたの。ブギー自らよ。私が営業をかけたんじゃない。たまたま私のオフィスに電話があって、依頼主がブギーだっただけ。それで私は来たのよ。お分かり?」

 私は爪を緩めなかった。アニサおばさんは、大人しく話を聞いてくれた。

「もうすっかり日も暮れてしまったわ。そろそろ部屋に戻らないと。おばさん、ありがとう。ブギーを産んでくれて。そしてさようなら! もう二度と」

 私は墓石に優しくキスをして、ブギーの待つ家へ走った。

 夕食には、血の滴るローストビーフが出た。添えられたポテトやインゲン、ニンジン、カリフラワーが彩り豊かだった。何と焼きたてのパンもついてきた。

「すごい! ブギーはこんなに料理上手だったの?」

「男の独り暮らしだからね、こういう趣味でもないと、やってられないんだよ」

「狩りをすればいいじゃない。ここには獲物がたくさんいるんだし」

「狩りもするよ。昨日はガチョウのステーキだった」

「まあ。すっかり、大人の男になったのね」

 私の言葉に、会話は途切れた。ブギーは顔を赤らめていたけれど、すぐに持ち直して、こう言った。

「いつまでも子供扱いしないでくれよ」

「しかたないじゃない。会うのは十四歳以来、十年ぶりなんだから」

「でもルビー、君は何も変わってないじゃないか」

 意外な一言に、私は頭に血が上った。

「変わってない? 私が? 変わってないですって? 何が! 何が何のままだと言うの?」

 私の剣幕に気圧されたのか、ブギーは謝った。

「謝って欲しいわけじゃないわ! どういうことなのか説明してよ!」

 今度は私の顔が赤らんでいた。頬の辺りが熱かった。

「ルビー、怒らないで。怒らないで聞いてよ。君は小さな頃から、僕を見下しているよ」

 ブギーの断定した言い方にカッとなったが、堪えて、続きを聞くことにした。

「それで」

「それから、君は獰猛だ。君が飼っている、あの不細工なチワワとそっくりだよ」

「どうして怒らずに聞けるっていうの!」

 次は我慢が効かなかった。私はローストビーフの皿を掴むと、壁に放り投げた。

「乳牛しか育てない好色が! でも残念ね。 あんたの可愛いラミンはもう乳は出ないよ。さっき私が不能にしてやったのさ。あの乳牛はもうただの穀潰しだ。さっさとあいつを始末して、ここにローストビーフにして並べな!」

 ブギーはこの真実にどんな悲しみの顔を浮かべるだろう。期待に笑う私の口は、唾と泡で溢れていた。

 でも、ブギーは無表情のまま、生意気な目で私を見ていた。時折、ほくそ笑むような、私を馬鹿にするような笑顔も浮かべてみせた。

「何を笑ってんのよ」

 私の問いかけにも答えず、小さな笑みはだんだんと大きくブギーの顔を覆っていった。

「君は危険だよ、ルビー。ずっと前から気づいてた。だって、牛たちが僕に教えてくれるんだ。君は悪い子だってね。きっかけはララさ。君を襲って、殺処分された可哀想なララ。僕を守るためだったのに。そう、君はあの時、僕を殺そうとしてたよね? 君の恐ろしさに気づけたのは、ララのおかげなんだ」

「とうとう馬鹿も極まって、牛とお話しできるって?」

「君は歪んだ子だ。欲しいもののために、何でも殺す。欲しいものでさえも、手に入れるために殺す。僕の母さんを殺したのも君だろう」

「やめてよ。アニサおばさんとは仲良くやってたわ」

「母さんが君の狂気に気づくまではね。君は隠すのが上手い子だよ。可愛いルビー、いい子のルビー、可哀想なルビー。母さんもすっかり騙されてた。僕は気づいていたけどね」

「私がおばさんを殺した証拠はあるの?」

「そんなもの、本人の口から聞けば分かることだよ。証拠なんて必要ないんだ」

「お馬鹿のブギーちゃん。今度は死人と話せるって? 狂ってるのはあんたよ。こんな馬鹿みたいに広い牧場で独りでいたから、頭がおかしくなったのね」

「母さんは言ってた。君は頭のいい子だって。でも心はとっても悪い子だってね。君に渡されたジュースを飲んでしまったことを後悔しているって」

 死んでからもおしゃべりなメス女。私はため息をついてから、テーブルに頬杖をついた。

「びっくり。ブギーは本当に死人と話せるのね。牛の話も本当なのね」

「ラミンは大切に飼い続けるよ。なにせ、僕の恩人の娘なんだから」

 ブギーの優しい瞳の奥底で、怒りが濁っていた。次の瞬間には、テーブルに置いていた手の甲に、電流のような痛みが走った。手の甲から上に伸びる、銀色のナイフ。を、掴んでいるのは、紛れもなくブギーの逞しい拳だった。

 美しかったブギー。

 突拍子もないブギー。

 時々泣いていたブギー。

 女好きだったブギー。

 映画が何より好きだったブギー。

 ナイフを手に微笑む彼には、かつてのブギーの影がしっかりと残っていた。

「映画の見過ぎよ。冗談はここまでにして、夕飯の続きをしましょう」

「そうだね、まるで映画みたいだ。でも冗談じゃないさ。ここで君を殺しておかないと、ラミンたちが可哀想だからね」

 ブギーは泣いていた。私には分かっていた。私を殺すことに関して、ブギーは泣いているわけじゃない。私以外のメスを思って、自分が殺人を犯す気持ち良さに泣いているのだ。

 ブギーは私の手の甲からナイフを引き抜くと、一突きに私の心臓を刺し抜いた。


 ブギーからルビー討伐の話を聞いたとき、牧場のみんなはお祭り騒ぎだった。パマも、リリーも、カリアンも。もちろん、誰よりも喜んだのはわたし。だってルビーはママの敵だし、昨日の昼、わたしにすごく意地悪なことを言ったから。そのせいでお乳の出が悪くて、もしかしたらブギーに捨てられるかも、なんて心配する羽目になった。でも、よく考えたら、こんなにも愛に満ちた人がわたしを肉になんてするわけない。ブギーは少し出の悪くなったお乳を優しく撫でてくれた。ルビーがすまない、とも言ってくれた。つまり、わたしにとってルビーなんてライバルでも何でもなくて、わたしとブギーは母親をルビーに殺された絆で結ばれた、唯一の存在だったってわけ。ブギーは、ルビーを殺した時の話をいっぱいしてくれた。ナイフで心臓を一突きにしてやったって。プライドをぐしゃぐしゃにへし折ってやったって。最後、血をいっぱい吐いたって。それから、わたしたちの餌の栄養になるように、ルビーの粉末を土に蒔いたって。くすくす。ルビーったら、自分は肉にすらなれてないじゃない。自分よりもずっと小さな、植物の種に食べられちゃうんだ。ふふふ。植物はやがて大きくなって、わたしたちのごはんになる。その日が楽しみ!


 やっぱり、ルビーは恐ろしい女だった。この奇形の作物は、ルビーの粉末の仕業だろう。あのルビーが、何の手土産もなしにここに来るはずがない。あの女の中には、僕に殺される未来が計算されていたんだ。十四歳の時、神経質な母親に連れられて都会に出ていった時の、あのルビーの目。僕と引き離されて、怒りに滾り、それでいて興奮はなく、ただ伶俐に、相手をどうするか、つめたく見つめる目。きっと、ハービーおばさんはとっくに生きていないのだろう。

 奇形のトウモロコシには、唇のような赤いヒダがぎちぎちと実を分けて咲いていた。ポーン! トウモロコシの一粒が、圧に耐えきれなくなって飛んだ。ポーン! ああ、また一粒。ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! 「ああ、やっと喋れる」「苦しかった」赤いヒダが満足そうに言う。赤いヒダはその後も何かぶつぶつと喋り続けていたが、僕はさっさとナタを持ってきてトウモロコシを微塵切りにして、畑を焼いた。


 ルビーが死んで、ラミンとブギーの絆は深まるばかり。ラミンのママのことは知ってる。ルビーにけがをさせたから、ルビーのママのハービーのひと声で殺された。同じくルビーにママを殺されたブギーにとって、ラミンが特別に映るのはしかたがない。もう潮時だわ。ピービーやロッタあたりに声をかけて、みんなで蹴り殺してしまおう、いつもみたいに。ブギーが、新しく生まれた子牛に「ハニー」と名付ける時みたいに。ブギーは確かに、ルビーの言うとおり、少し馬鹿なのかもしれない。「ハニー」なんて名付けたら、わたしたちが蹴り殺してしまうのを知ってるのに、三回も同じことをしたんだから。違う? もしかして、ブギーはわざとやってるのかも。わたしたちのこころがちゃんとブギーに向いているかどうか、定期的にテストしてるんだ。表向きは悲しそうな顔で「ハニー」を抱き上げるくせに、裏では満足して小躍りしてるんだ。だって、わたしたちは「ハニー」を蹴り殺しても、ブギーに罰されたことなんて一度もない。それどころか、優しくだきしめられて、あまい口付けをもらうんだ。ブギーは卑劣漢。でも、そういうところもわたしは愛してる。

 

 ルビーの夢を見た。生きている時の姿で、妙に淑やかな声で、僕にこう言った。

「私が恋しいでしょ?」

 ルビーを殺したことに一切の後悔はない。あれは牧場を守るためだったし、母の敵討ちでもあったのだから。それなのに、夢に出てくるなんて、僕の心は、本当は参っているんじゃないか? 美しい幼馴染を殺した事実を、未だ飲み込めていないんじゃないか? 弱気になった僕は、瓶に入ったルビーの粉末を見つめる。ルビー、君はもう死んだんだ。今さら負け惜しみは不細工だよ。心で語りかけてみた。すると返事があった。愛していたのよ。ブギー、あなたは本当は、私を殺したくなんてなかったの。今からでも遅くないわ。私を生き返らせて。めそめそと懇願する姿は、僕の知らないルビーだった。もしかして、君は都会の男にそう振る舞っていたのか? 僕と言う存在がありながら。そうよ。あなたは私の全部を知らないまま、殺してしまったの。殺さなければ見られた私の姿はいくらでもあるわ。負け惜しみを。負け惜しみじゃないわ。あなたの心を代弁してるの。あなたは思ってる。ルビーを殺すんじゃなかった! 結局のところ、いちばん愛していたのはルビーだったんだ! あなたはそう思ってる。あなたはそう思ってる。だから、生き返らせて。何でもいい、あなたの知る方法で、私を生き返らせて。濡れた喘ぎ声に身体が疼く。でも僕は、すんでのところでこらえてみせた。


 今日は母さんの夢を見た。ブギー、助けて! ルビーに首を絞められているの! 母さん! 僕は飛び起きた。広げた両手が宙に固定されて、ガチガチと震えていた。激しい汗をかいて、ようやく夢だと気付いたとき、僕は怒り狂った。二度までも、よくも母さんを! 僕はルビーの粉末の瓶を床に叩きつけた。瓶は割れて、中から白い粉が這い出てくる。窓は閉め切って風はないと言うのに、白い粉は自由に動き回り、僕の穴という穴に入りたがった。やめろ! やめろ! この淫売! 死んでもまだ男が欲しいか! 僕は必死に逃げまどい、階段を降りて真夜中の外に出ると、家に火を放ち、燃えさかるその最中に飛び込んだ。するとルビーの粉末は僕から離れ、苦しみの断末魔を上げて燃え尽きた。僕は火消しを呼び、牛舎で可愛い牛たちと共に消火の様子を見守った。家は奪われてしまったが、この牧場と牛たちがあれば、何度だってやり直せる。宵闇に光る放水のきらめきを眺めながら、僕の瞳もまた輝いていた。


 ルビーは美しい子だった。でも、悪い瞳をしていた。追い求めるような、抗うような、打ちひしがれているような瞳だった。哀れでたまらず、私はよくルビーを慰めた。ルビーと仲のいい牛は私だけだ。メラニー、メラニーと呼ぶブロンドの童女の声が心に蘇る。ブギーはルビーを殺したと鼻高々に語っていたが、あの馬鹿はルビーを何一つ分かっちゃいない。ルビーはルビーでも、ルビーは最高級のピジョン・ブラッドだ。馬鹿者の血に塗れる運命しか、あの子には用意されていないんだ。ああ、哀れ、哀れでしょうがない。


 私に蓄積された猛毒は、まだ鼓動している。私にはその余裕があったから、もうブギーの夢に出るのはやめてあげたし、アニサおばさんの首を絞めるのもやめてあげた。手持ち無沙汰で過ごしていると、メラニーの声がした。私は牛舎へ急いだ。闇の中、メラニーの泣き声が聞こえる。私はメラニーの名前を呼んだ。メラニーは私の姿を見て、一層強く泣いた。ごめんよ。私だけがあんたの味方だったのに。私はメラニーに言った。お願いがあるの。メラニーにしか頼めないこと。私の願いを叶えて。メラニーは小さく頷いてくれた。私はメラニーを抱きしめると、長いこと話し合った。


 ルビーが死んで、三週間が経った。もう夢にルビーは出てこない。やっと厄介払いが済んで、働くエネルギーが強く湧いてきた。僕はご機嫌に、太陽の下で水を飲み、大きく伸びをする。気持ちのいい朝だ。納屋暮らしもすっかり慣れて、家の再建の業者とも話が進んでいる。万事がうまくいきはじめた。風は僕の背を押すように吹いている。

 可愛い牛たちに餌をやる。ワラとトウモロコシだ。もちろん、奇形のトウモロコシは全て処分したから、間違い無く安全だ。ゆっくりと美味そうに食べる牛たちの姿は特別可愛く、僕は座り込み、一息つこうとした。でも、違和感が僕を襲った。牛が一匹、いない。ラミンだ。昨日の夜、確かに柵に戻したのに。なぜ今の今まで気づかなかったんだ? 他の何よりも愛しいあの子の不在に!

 僕は牛舎を飛び出すと、裏手にある牧場をめがけて走った。嫌な予感は的中した。ラミンは「ハニー」と同じように、蹴り殺されていた。ラミンの無惨な姿に僕の膝は崩れ落ち、嗚咽を漏らそうとした。しかしその瞬間、今度は牛舎から牛たちの悲鳴が散乱した。  

 惨劇の幕開け。頭の中に、ルビーのけたたましい笑い声が響いた。

 あの女はまだ生きている! 僕は牛舎へ駆け出した。あの悪魔め! 一体どれほどの死が欲しいんだ! 僕はほとんど絶叫のうちに、牛舎にたどり着いた。そこで見たのは、苦しみにのたうち回る牛たちだった。僕は叫んだ。ありったけの雄々しさを込めて。でも、僕の絶叫は牛たちの絶叫と重なって、音にならなかった。僕は静寂の中で崩れ落ちた。違和感。血の気の引いた頭は、ある意味冷静だった。ゆっくりと立ち上がり、納屋へ戻って、ルビーの死体を保管している木箱を開けてみた。ところどころ肉を削いで骨を取り出したルビーの体は腐り始めていたが、毛根は頭皮にしっかりと残っていた。僕は細い茶髪をもぎ取り、鼻に近づけた。うっすらと銅貨のにおいがする。やられた! ルビーはブロンドだったのに!

 牛たちの死因は銅中毒だ。でも、ルビーはどうやって? うなだれつつ考えていると、ガシャン、と遠くで音がした。そして突然、背中をトン、と押され、僕はゆっくり振り返った。僕の目の先にいたのは、老牛のメラニーだった。メラニーは震える足で、一生懸命に立っていた。メラニー! お前だけでも無事で良かった! 僕はメラニーを抱擁しようとした。ところがその瞬間、どこからか鋭い蹴りが飛んできて、僕の急所を根こそぎもいでしまった。僕はここで絶命した。死んでから目覚めると、メラニーは股間から血を流す僕の横で死んでいた。メラニーの口には、ルビーの髪が数本、絡まっていた。

 

 死んだ僕の隣で、死んだルビーが頬杖をつきながら微笑む。

「もうめそめそしないで、お馬鹿さん。呪われた運命は、今終わらせた。私たち、生まれ変わるチャンスを得たのよ。そうね、次は西じゃなくて、日が昇る東の方で出会いたい。もちろん、ルビーとブギーじゃない名前でね」

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ルビーとブギー 花鳥あすか @unebelluna

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