2025年7月28日 13:28
教員 ≠ 聖職者への応援コメント
「正しさ」とは曖昧なもので、人間はそんに「正しく」は出来ていないのですよね。しかし、表面的な地球では、いつでも「正しさ」が求められる。そうなると、数学ですら正しいのか怪しくなっていく。表面的な地球の、表面的につくられた数学。何をもって解となすか。そんなことを考えさせられました。素敵です。
作者からの返信
ありがとうございます。まさに「正しさ」とは、文脈や立場によって揺らぐ、とても不確かなものだと感じます。それゆえに、絶対解を求めたくなってしまう――だからこそ数学の「解」が、ときに救いに思えるのかもしれません。数学すらも「表面的な地球」に寄せて“正しさ”を演出されているのだとしたら、私たちはどこに「本当の解」を求めればいいのか……。そんな根本的な問いに立ち返らせてくれるコメントでした。深い気づきを、ありがとうございました。
教員 ≠ 聖職者への応援コメント
「正しさ」とは曖昧なもので、人間はそんに「正しく」は出来ていないのですよね。しかし、表面的な地球では、いつでも「正しさ」が求められる。そうなると、数学ですら正しいのか怪しくなっていく。表面的な地球の、表面的につくられた数学。何をもって解となすか。そんなことを考えさせられました。素敵です。
作者からの返信
ありがとうございます。
まさに「正しさ」とは、文脈や立場によって揺らぐ、とても不確かなものだと感じます。
それゆえに、絶対解を求めたくなってしまう――だからこそ数学の「解」が、ときに救いに思えるのかもしれません。
数学すらも「表面的な地球」に寄せて“正しさ”を演出されているのだとしたら、私たちはどこに「本当の解」を求めればいいのか……。
そんな根本的な問いに立ち返らせてくれるコメントでした。
深い気づきを、ありがとうございました。