第2話 第一天使アラステール戦

――第一天使 アラステール《光の断罪者》

 かつて神の名のもとに世界中に裁きを下した審問官の魂が天使と化した存在。

 名をアラステール・グレイヴ。厳格で冷酷な正義を体現した男だった。

 アラステールは、銀色の目と髪を持つ容姿端麗な少年だった。だがその珍しい容姿が人目を引いたのか、悪魔崇拝者の集団に標的にされてしまう。


「アリー、ほらもう帰るわよ」


 アラステールは土遊びで汚れた顔で母の方を振り返る。


「でもお母さん、まだ4時だよ?全然お日様も沈んで無いし……もう少し遊んじゃダメ?」


「今日は父さんの誕生日でしょ。みんなで出かけるって話だったじゃない」


「分かったよ…もう」


 そういうとアラステールは膝についた土を手で払い母の元へ歩き出す。

 それは世界のどこにでもある親子のささやかな一幕だった。だが彼らはこの後、悲劇に見舞われる。


 玄関のドアを勢いよく開け、アラステールは家にいるであろう父を呼んだ。


「父さん!帰ったよ!早く出かけ……………えぁ?」


 そこにいた……いや、あったのは彼の父だったものだった。もはや人間としての面影もないほどにぐちゃぐちゃに叩き潰された肉塊に、赤いローブを纏った数人の男がまるでハエのように群がり吸い付いていた。


「どうしたのアリー、いきなり固まって。何かあったの?」


 そう言って近づき、事態を理解して悲鳴を上げ狂乱する母などお構いなしに、その男たちは肉にしゃぶりつく。そうして混沌とした時間が少し経った後、一人の男がふと立ち上がる。

 その瞬間、男の背中からローブを突き破って肉が飛び出し、その肉に押しつぶされてアラステールの母は肉塊となった。そうして肉塊になった元母にやはりハエのようにたかる彼らに少年時代のアラステールはただ恐怖で縮こまることしかできなかった。


 だが神が彼を助けた。肉にたかる蛮族を光で焼き殺し、アラステールを救ったのだ。


 その後彼は神殿に拾われて育ち、その中で神の律法こそが世界を救う唯一の道だと信じ、自身が救われたことによる神への狂信的な崇拝で審問官の座へと上り詰め、数多の異端者を裁いてきた。

 しかし、彼が処刑した者たちの多くは、神の都合で罪人に仕立てられた無実の人々だった。

 それを知ったときには既に遅く、自身の手が多くの血で染まっていた。

 絶望と後悔、そして安堵の中、彼は自室で死に絶えるが、神は彼の魂を“正義の天使”として再構築しもう一度この世に顕現させる権利を与えた。


 彼が振るう〈断光剣ルチヴラ〉は、信仰の光を圧縮し、純粋な熱と質量へ変換する武器。

 神の裁きとしての象徴であり、触れた瞬間に対象を塵と化す力を持っていた。

 中央円下型の祭壇のような様相を呈した巨大なホールの中心の尋問椅子にアラステールは座っていた。壁面は神書の言葉が隙間なく書いてあり上は紙を模したステンドグラスで満たされていた。


 戦闘開始早々、アラステールが放った〈 光の律オルディネ・ルチェンテ〉によって辺り一帯が純白に染まり、影という影が完全に消失した。光によって視覚を奪われ、熱波により空気が歪み、聴覚すらも幻惑されたリュカたちは、五感のほとんどを失ったまま戦わなければならなかった。


「影なき世界こそが、神の御心だ」


 その言葉とともに、アラステールの姿が光の中に紛れ、まるで神そのもののように彼らを見下ろしていた。

 しかし、エリシアは予め準備していた〈対光魔陣ジオメトリア・ディ・オンブラ〉を発動する。

 影の概念を魔力的に再定義する結界を張ることで、仲間たちとアラステールの輪郭をかろうじて視認できるようにした。


 ガルドは光の中心へ正面から突撃。全身を重装鎧で固めたその姿は、まさに一歩ごとに命を削る覚悟の象徴だった。


 アラステールの〈断光剣ルチヴラ〉を真正面から受け止めると、その衝撃で鎧が砕け、皮膚が焼けただれる。

 フィオナは即座に癒しの魔法を展開。熱傷と神経損傷を再生魔法で補い、ギリギリの状態でガルドを再度戦線に戻す。

 そんな緊迫した状況の中、リュカの背中が膨らみ一対の艶やかな黒い翼が現れる。そしてその羽の付け根に手をやり無造作に引き抜くと、翼は一本の剣へと変貌する。


 禁呪である《黒翼》を変形させた武器である《翼剣》、それは闇の属性を極限まで凝縮した魔剣であり、光を切り裂く唯一の手段だった。

 その刹那、アラステールの目が見開かれ、微かに震えた。


「……その剣……まさか……《黒翼》か……!」


「とある古代遺跡群で見つけてな……最初こそ翼が制御できず肉が飛び出てるようになったり、自分の意思とは関係なく翼が出てきたりと大変だったが今じゃもう完全に制御できてる。神を殺す力を俺は得たんだ」


「そんなもので我が神を殺せるものか!汚らしく醜い生き物の頭脳ではそんなこともわからないのか!」


《黒翼》。

 アラステールにとって忌まわしき名。

 母を殺し、自らの人生を狂わせた唾棄すべき存在。


《黒翼》、それはかつて神に叛いた大魔導師が、神の光そのものを断つために鍛え上げた反逆の刃。

 その記録はすでに禁書扱いとなっていたが、若き日のアラステールは審問官候補として密かに閲覧を許された異端の文書群の中で、その存在を知っていた。


 あの頃の彼はまだ純粋だった。いや、純粋すぎたのだ。正義とは神の言葉であり、神の律を疑うことは即ち“罪”であると信じていた。


《黒翼》を巡る過去の異端審問。自分と同じ年頃の青年が、拷問で爪が剥がれ落ちた手を握りしめて震える声で言ったことを思い出す。


「お前の信じてる正義って、本当に“お前の”ものか? それは、神が用意した答えだろう……」


 その言葉を聞いたとき、アラステールは何も感じなかった。否、感じる前に、剣を振るって沈黙させたのだった。

 しかし今、同じ言葉がリュカの口から投げかけられる。


「正義に随分と執着があるようだがなぁ、お前の正義は誰のものだ!?お前のものか!?……違うだろう!」


《黒翼》が闇を振りほどき、光の結界を裂いていく。アラステールの信じてきた“神の光”が、その刃の前で軋む。


「黙れ……! 私は、正義を成してきた! 世界を守ってきたんだ!」


 怒声の中に、怯えと後悔が混ざる。裁いてきた者たちの顔が、目の裏に浮かぶ。正義の名の下で処刑した女魔導師。ただ異端の本を読んだだけで焼かれた学者。家族を守るため神の命に背いた兵士――


「私は……間違ってなど……!」


 だが、言い切れなかった。

 アラステールの心にかつての“異端者たちの叫び”が蘇り反響する。神の光で塗りつぶしてきた罪。声を聴くことを拒んだ信念。それらが黒い影となって、彼の中の“正義”を蝕んでいく。

 自身の正義が蝕まれる怒りにまかせアラステールが叫ぶ。


「ッッ…………すぐに………すぐに貴様も私が屠ってきたものたちと同じ運命を辿らせてやる!」


「残念だが、そんな運命を辿る気は俺には無いね!お前のような自身の正義が誰のためのものかもわからないやつに、俺は負けねぇ!」


 リュカの叫びと共に、《黒翼》が光を断ち切り、アラステールの〈断光剣ルチヴラ〉と激突。

 衝撃でお互いが弾かれるとアラステールが上空へと駆け上がり〈光弾ルチェオ〉を放つ。リュカも《黒翼》と背中の片翼で〈光弾ルチェオ〉を防ぎアラステールの首元へと剣先を伸ばす。


 間一髪かわしたアラステールだったがその後切り返してきた《黒翼》に翼を打たれ地面へと叩きつけられてしまった。


 起き上がったアラステールは上を見上げながら言う。


「退け!貴様が上にいると神の光が遮られる!」


「俺は世界から神の光を消し去るためにここにきたんだ!いくらでも翼を広げて遮ってやるよ!」


 そう言うとリュカは片翼を大きく広げ、アラステールに影を落とす。


「貴様ァ!我が神は至上なのだぞ!?それを遮るどころか消し去るだと!?愚弄するのも大概にしろ!!」


 そう言うとアラステールは勢いよく〈断光剣ルチヴラ〉を下段に持ちかえ、光を凝縮させる。それを見たリュカも空中で回転し天井に足をつけ、自身のもう片翼をちぎり《黒翼》に吸収させる。


 両者とも、次で決着がつくと感じていた。


 数瞬の後、リュカが天井を蹴り《黒翼》を構え突貫するのと同時にアラステールも断光剣を切り上げる。


 剣先が交わったその刹那、両者の武器が砕け散り、衝撃波が周囲を揺るがせた。武器の破片が衝撃の波に乗り周囲に破壊を撒き散らす。

 アラステールの意識が完全にリュカに向いている隙に、エリシアが光の位相を乱す魔法を放ち、アラステールの姿を強制的に顕現させる。


 そこには砕け散った《黒翼》の破片が身体中に刺さり血を流す天使がいた。

 砕けてなお神の光を断とうとする《黒翼》に彼の光は徐々に霞んでいき、ついには膝から崩れ落ちた。痛みに悶え仰向けになったアラステールの首元に、リュカが刀身が半ばほどで折れた《黒翼》を突きつける。


「…あぁ……頭の中が、静かだ…。俺は……赦されるのか……?」


 彼の問いに、誰も答えなかった。

 トドメを刺そうとするリュカを制止し、フィオナがアラステールに静かに手を伸ばす。フィオナの手が触れた瞬間、アラステールの身体が崩れ始めた。


「神よ……正義など…私には必要無かったのです……私に必要だったのは…きっと…」


 かつての審問官は、光と共に塵となり、消えていった。

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