無題。道中。

 目に染みる紫煙と、舌に残る弱い刺激。靴先に落ちた灰にまだ、小さな火種が残っていた。

 軽いもん吸ってたんだな。

 まだ数ミリしか減っていないそれを地に落として、靴裏で殺した。

 目の前に高く聳え立つ死体の山。早まった馬鹿たち。明日世界が終わります、なんて、なぜ信じることができたのだろう。

 燃え尽き損なった会社員の草臥れた鞄に、血塗れたエプロン、ひしゃげた学生用自転車、腕のとれたぬいぐるみ。

 地獄絵図と言えるかもしれないし、これが案外天国の光景なのかもしれない。

 踏み出そうとした足に、湿気たマッチの箱が当たった。先ほど拾った煙草の持ち主の物だとするのなら、その点だけは趣味がいい。

 何本かが情けなく折れたが、ようやく点いた火を消えないうちに倒木へ移した。

 すべて燃えるべきだろう。仮にここに自分のようにうっかり生き延びてしまった誰かがいたとして、炎に巻かれる前に逃げてくれるよう、自分は祈るだけだ。

 太陽は、随分遠くに行ってしまった。きっともう、帰ってきてくれないのだろう。

 それでも俺は生きている。道と呼べなくなった道の先に白い花が咲いているのが見える。どこか遠くで犬が吠えた。地球は死んでなんかいない。

 死へ向かうことは大変なことではない。寧ろ、邪魔する人がいなくなったのだから簡単だろう。

 それでも俺は、生を選ぶ。

 ラジオもテレビも砂嵐で、ネットも使えない。きっと生きている人間も長くないだろう。それでも命があるのなら、地球が生きているのなら、歩き続けようと思う。

 ごうごうと炎が巻き上がり始めた。鼻につく死臭と肉の焦げる匂いに背を向けて、ポケットから煙草を取り出した。高い炎で煙を立たせようと思ったが、匂いが移りそうだから諦めてライターを探す。

 今日から死ぬまで、俺は一人で歩くのだろう。いつか隣を歩く存在が見つかるかもしれない。それを受け入れるか受け入れないかは、その瞬間の自分次第だ。今はまだ、何も考えられない。ただ、歩くしかない。

 海岸沿いの堤防に、寄り添うようにして二台の自転車が停めてあった。片方の籠には口の空いた鞄が取り残されていて、はみ出た紙が穏やかな風に靡いていた。引き抜いて、原稿用紙に綴られた文字に目を落とす。

「……『一緒に見に行こう』……それだけか」

 走り書いたようなそれは、何かで滲んでいた。

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しき 鯨池 @kujiraike

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