空からの声」

志乃原七海

第1話『なにもかも、が変わる!』


叩きつけるような雨が、両親のいた世界と、いなくなった世界を隔てるカーテンみたいに思えた。黒い服を着た大人たちのひそひそ話と、鼻をすする音だけが響く斎場で、おれはただ、隣に立つ姉さんの手を強く握っていた。姉さんの手は氷のように冷たかった。妹の結衣(ゆい)は、まだよく分かっていないのか、疲れて眠ってしまったおれの腕の中で、すうすうと小さな寝息を立てている。


その日の夜、僕らは母さんの兄、つまり伯父さんの家に引き取られた。がらんとした客間に通され、「今日からここがお前たちの部屋だ」と無愛想に告げられる。そこは、両親と笑い合った家の、温かい光に満ちたリビングとは何もかもが違っていた。夕食の席で、伯父さんと伯母さんは僕らを値踏みするような目で見ていた。食卓に並んだおかずは、明らかに僕らの分だけが少なかった。


「それで、今後のことなんだが」


食事が終わると、伯父さんが切り出した。


「お前たちを大学まで出す余裕はうちにはない。高校を出たら、働いてもらうからな。それまでは、うちのルールに従って大人しくしているんだ」


その言葉に、それまで黙っていた姉さんが顔を上げた。高校二年生の姉さんは、いつもは穏やかなのに、その瞳には鋭い光が宿っていた。


「伯父さん。父さんと母さんの生命保険があるはずです。その手続きは、どうなっていますか?」


空気が、ぴんと張り詰めた。伯母さんがわざとらしくお茶をすする音が響く。


「保険?……さあ、なんのことだか。そんな話は聞いていないが」


伯父さんはしらを切った。その言い方が、嘘をついているのだと、子供のおれにも分かった。


「そんなはずありません!父さんが言っていました。万が一の時のために、お前たちが困らないようにって……。証券は、家の金庫に……」

「ああ、あの家はもうじき処分するからな。こっちでよしなにしておくよ。お前たちは子供なんだから、余計な心配はしなくていい」


それは、優しさなんかじゃなかった。おれたちを黙らせるための、冷たい壁だった。それから何度も、姉さんは保険金の話をしたが、伯父さんたちは「知らない」「そんなものはない」の一点張りで、しまいには「いつまで親の金を当てにするんだ」「お前たちを養ってやっている恩を忘れたのか」と、姉さんを罵るようになった。


悔しくて、情けなくて、おれは何度も唇を噛んだ。何もできない自分がもどかしかった。結衣が「お父さんとお母さんは、いつ帰ってくるの?」と泣くたびに、胸が張り裂けそうになった。


そんなある夜だった。

伯父さんたちの怒鳴り声が聞こえなくなった後、おれと結衣が眠る部屋の襖が、静かに開いた。姉さんだった。


月明かりに照らされた姉さんの顔は、ひどくやつれて見えた。でも、その瞳だけは、諦めていなかった。姉さんは、おれたちが眠る布団の横に静かに座ると、まず結衣の頬をそっと撫で、次におれの頭を優しく撫でた。


「ごめんな。怖い思いさせて」


か細い声だった。おれは眠ったふりをしながら、姉さんの言葉を聞いていた。


「……姉ちゃん、もういいよ。あんな奴ら……」

言いかけたおれの言葉を遮るように、姉さんはおれたち二人を、ぎゅっと抱きしめた。その腕は細かったけど、とても力強かった。


「ううん、諦めない。絶対に」


姉さんの声は、震えていた。でも、それは絶望からじゃなかった。決意の震えだった。


「あれは、お父さんとお母さんが、私たちに残してくれた最後の愛情なんだから。ずるい大人たちに、好きにさせてたまるもんですか」


姉さんは一度言葉を切り、おれたちの体をさらに強く抱きしめた。その背中が、小刻みに震えているのが分かった。きっと、泣いているんだ。でも、おれたちの前では決して涙を見せないと決めているんだ。


「姉さんが、必ず取り戻す。必ず、受け取ってみせる。だから、信じて待ってて。大丈夫。お前たちは、姉さんが絶対に守るから」


その夜、姉さんの腕の中で、おれは誓った。姉さん一人に戦わせない。無力な弟かもしれないけど、この手で、姉さんを支えるんだと。


冷たい親戚の家で、おれたち三人の、静かで長い戦いが始まった。

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