ループした男

るる

第1話

100回目からは数えていない。無数に続く12時までの3分を永遠と続けている。死はない。否死ねない。

⚪︎⚪︎マンション6階の角部屋寝室その中で。俺はずっと続けている。12時までの3分を。思考を紡ぎ言葉にすることにした。後に解放された時、世界が進み俺に気づき脳の中身を公開できるようになった時のために、俺は自分の論を、展開する。


最初に味わった感情は絶望である。その感情はまるで1歳半ほどに俺の身に訪れたイヤイヤ期と呼ばれるものに近い。子供の気持ちはわからない。いや、わかりたくもない。ぐちゃぐちゃで醜悪。それでいて自己中心的。だがそんな感情を吐き出す中でも共感できる感情があった。絶望だ。生を受けがむしゃらに生き、支えられて、自分がこの世の中に生き、この体の枠からはもう出られず、無限に死から逃げ続け、生という良くも悪くもない常識に縛られて生きていくのだと、全ての一歳半の子供は気づくのである。イヤイヤ期は抵抗だ。この不変的で、何事にも耐え難い苦痛である生きるという行為を否が応でも受けなければいけないという事実からの逃避にも近い。大体の一歳半はイヤイヤ期を迎えると第一次成長とも呼ばれる。それは世界に気づいたからだ。成長は生まれた時からもうしている。掴まり立ちした時も、ご飯をフォークで食べられた時も、親にとってはかけがえのない成長だ。だが世界は、だが人間の作りし制約は、だが、生きとし生けるものに課せられた使命を全うすることを善とし正義とし正しいものとする人間の尺度からすれば、生と死に気づいたイヤイヤ期こそが、最初の成長なのだ。イヤイヤ期の子供の絶望にはこれが深く関わっている。ならばどうするのか。自分と他人と生と死を知覚し心を理解し心と話せるようになった彼らイヤイヤ期にはどうすればいいのか。私たちには解決方法は導き出せない。なぜなら我々大人と呼ばれている人たちもイヤイヤ期の延長だからだ。本質は変わっていない。長く続く生に意味を見出せると本気で思い。足掻き、苦しみ、死からもっとも遠ざかったものを崇める。死は悪く、生は普通だ。よりよりものを求めた時、それがないこの世の中に嫌気がさす人間は後を絶たない。嫌だと言えていた一才の頃が丁度人として完成していたのだろう。


ただ無限に繰り返すと思われる3分に意味を見出すという行為に嫌気がさし、ため息をつくと、また3分前に戻っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ループした男 るる @rurururr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る