自己責任法 | ディストピア短編集 #6

りんりん

自己責任法

「自己責任法」が制定された。

条文は、たった一文だった。


"すべての選択は個人の自由であり、その結果はすべて本人の責任に帰する"


政府は言った。

「自立とは、自らの責任を引き受けることです」

「真に成熟した社会では、国家が個人の失敗を肩代わりすべきではありません」


明文化されたのはそれだけだったが、国民の生活は激変した。


労災は、労働者の注意不足とされた。

犯罪被害は、自己管理の甘さとされた。

借金は、判断力の欠如とされた。


そして、政府は福祉をやめた。

医療費は全額自己負担。

年金も失業保険もない。

貧困者のための制度はすべて廃止された。


すべてが“自業自得”の社会となった。


転落した者には、こう言えば済んだ。

「努力しなかったあなたが悪い」


誰もがそう言って、冷たく微笑んだ。

そして、自分にだけはその理屈が降りかからないよう、そっと祈っていた。


それでも最初のうちはうまく回っていた。

無駄な支出も減り、税も下がった。


だが、ある年から奇妙な現象が起き始めた。

若者たちが、突然、仕事も人間関係もすべてを放棄し、姿を消すようになったのだ。

山奥、廃墟、無人島──彼らはそこで、静かに生きていた。


病気かと思われたが、違うようだった。

脳波も正常。むしろ生活能力は高かった。

研究者はその症状に名前をつけた。


"責任放棄症(Abandonment Syndrome)"


特徴はこうだ。

社会に期待せず、信頼せず、責任も共有せず、ただ黙って"人生から降りる"


彼らは法にも倫理にも従わないが、犯罪も犯さない。

ただ、社会から消えるのだ。


国は慌てて対策を検討したが、“自己責任”が法律である以上、強制保護はできなかった。


やがてこの症状は広がった。

若者だけでなく、会社員、教師、医師──

誰もが静かに、何も言わずに、社会から離脱していった。


「これは…困るな…誰も責任を取ってくれないじゃないか」

そうこぼした大臣も、ある日ふと議事堂から姿を消した。


誰も探さなかった。

だって、それは──「本人の意思」だったのだから。


【あとがき】

「自助・共助・公助」という言葉がありますが、なぜかいつも「自助」だけが肥大化していきます。


本来、社会とは互いに助け合うもののはずなのに、助けを求めること自体が“悪”とされる風潮が、じわじわと私たちの価値観を蝕んでいるように思えます。


弱さをさらけ出すことが、責められる世の中に未来はありません。

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