第2話 琴音の誘い

 期末考査が終わり、夏休みへと突入した週末。竜馬は自宅で参考書を広げながらも、どこか集中しきれないでいた。部活で体を動かすことがなくなったせいか、有り余るエネルギーが内側でくすぶっているような感覚だ。時折、視線がスマートフォンへと向かう。真琴からの連絡はない。蓮からは、遊びの誘いが来ていたが、断ってしまった。凛も、きっと真面目に受験勉強に打ち込んでいることだろう。


 そんな昼下がり、一本の電話が鳴った。画面には『佐伯琴音』の文字。竜馬は少し意外に思いながら通話ボタンを押した。琴音とは親戚付き合いがあるとはいえ、普段から頻繁に連絡を取り合うような関係ではない。

「もしもし、琴音か?」

「竜馬くん、今、大丈夫?」

 琴音の声は、いつも通りの明るさの中に、どこか含みがあるように聞こえた。

「ああ、大丈夫だけど。どうした?」

「あのね、凛とも話してたんだけどさ。夏休み中に、一緒に勉強会しないかなって思って」

 竜馬の思考が停止した。勉強会。しかも、凛と一緒だと?

「勉強会、か?」

「うん。私、一人だと全然集中できないタイプだからさ。みんなで集まってやれば、効率も上がるかなって。凛ちゃんも乗り気だったんだけど、竜馬くんはどうかな?」

 琴音の声はあくまで自然で、至って真面目な提案に聞こえた。だが、竜馬の胸の内では、期待と戸惑いが入り混じった感情が渦巻く。凛と勉強会。それは、憧れの凛と親密になれる絶好の機会だ。しかし、琴音が絡んでいる。彼女の自由奔放な性格は知っているし、その裏に何か意図があるのではないかと、警戒心が頭をもたげた。

「琴音の家で?」

「うん、そう! 私の部屋なら広さもあるし、静かだから。どうかな、竜馬くん?」

 琴音の声が、甘く響く。竜馬はゴクリと唾を飲み込んだ。

「……分かった。凛が一緒なら、俺も参加するよ」

「やった! ありがとう、竜馬くん! じゃあ、日程とかはまた凛ちゃんと相談して連絡するね」

 琴音は嬉しそうな声を弾ませて電話を切った。


 電話を切った後も、竜馬はしばらく受話器を握ったまま固まっていた。凛と一緒の勉強会。それ自体は、夢のような話だ。彼女の真面目な姿を間近で見られる。わからないところを教えたり、教えてもらったり……想像しただけで胸が高鳴る。

 しかし、同時に琴音の顔が脳裏をよぎる。あの飄々とした、何を考えているか読めない笑顔。本当にただの勉強会なのだろうか? どこか、彼女の企みの匂いがした。だが、凛が一緒だ。きっと大丈夫だろう。凛の誠実さが、琴音のどんな思惑も跳ね除けてくれるはずだ。竜馬は自分に言い聞かせるように、参考書を再び広げた。だが、文字はもう頭に入ってこない。


 その日の夕方、凛から竜馬にメッセージが届いた。

『琴音ちゃんから勉強会の話、聞きました。竜馬くんも参加してくれると聞いて、安心しました。日程はまた相談しましょうね。私も頑張ります!』

 凛からのメッセージは、琴音とは対照的に、何の裏もない真っ直ぐなものだった。その文面から伝わる凛の純粋さに、竜馬の胸は温かくなった。ああ、やっぱり凛は、俺の憧れだ。彼女のためなら、どんなことでも頑張れる気がする。琴音の思惑がどうであれ、凛と一緒に勉強できるのなら、それだけで十分だ。

 竜馬は返信を打ちながら、知らず知らずのうちに、口元を緩めていた。この勉強会が、彼の夏を、そして彼らの関係性を、思わぬ方向へと導いていくことになろうとは、まだ想像すらしていなかった。

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