第2話 ラグナ=クローディア
目が、覚める。
……静寂。
それは深い海の底にも似て、音も、熱も、時間さえも、すべてが遠ざかっていた。
やがて、微かな震えが瞼に届く。
ゆっくりと、まるで光そのものが触れてくるように、意識が浮かび上がっていく。
目が――開いた。
……否、開かされたのかもしれない。
瞼の裏に、ただただ柔らかく、穏やかな光が差し込んでくる。
ぼやけた視界の向こう、ゆっくりと焦点が定まり、視界の中央に――“それ”は現れた。
蒼白の穹(そら)。
丸く、静かに湾曲する天井。
その中心には、銀白の光に包まれた人影が、天より舞い降りるように浮かんでいた。
両手を広げたその姿は、威圧でも支配でもなく、
まるで何かを受け止めようとするような――優しさすら宿していた。
彼の周囲には光の帯が星のように渦を描き、
宙に散らされた式文と聖語の断片が、まるで祝詞のように輝きながら流れている。
その足元には、亀裂が刻まれた黒い大地。
断ち切られた何かが、そこから始まっていた。
視線を少し外すと、絵は円環となって広がっていた。
内側には穏やかな風景――
畑を耕す者、神殿で祈る者、抱き合う親子、灯火に照らされた静かな街並み。
すべてが、静謐で、整い、祝福されているように見える。
けれど、その外側――環の向こうには、全く異なる景色があった。
紫の靄が這い回り、顔のない死者が彷徨い、
崩れかけた塔の間で、剣を振り上げる影たち。
どこまでも混濁し、終わりのない苦しみが続いているような、崩れた世界。
そして、その二つの世界の境界には――
燃える輪があった。
赤金に燃える光の火輪。
円環をくっきりと分かち、その炎がすべての境界線を象っている。
それは剣の形に似ていた。
断絶の象徴。
この世界を、善と悪でもなく、正と誤でもなく、「秩序」と「乱れ」とに分けた火。
ラグナの目は、それに釘付けになった。
呼吸が浅くなり、胸の奥で何かが――疼いた。
あれは誰だ?
──知らないはずなのに、何故か懐かしい感じがした。
コツ、コツ、コツ……
床を歩む音。
その気配が、静けさを破った。
「……御目覚めになられましたか?」
静かな声。女性のもの。
温かく、澄んでいる。
「御気分は如何でしょうか?……主様」
呼ばれた名に、微かな違和感。
喉を動かす。だが、声にならない。
「あ……、だ、か……」
力が入らない。けれど、指先は確かに動いていた。
「どうか、まだそのままで」
足元に膝をつき、彼女がそっと水瓶を置く気配がする。
「ご無理はなさらないでください。今、お水をお注ぎいたしますね」
しゃらり……と銀の器に注がれる水音。
その音は、失われていた感覚を静かに呼び戻していくようだった。
女性はそっと俺の首の下に手を差し入れ、もう片方の腕で背を支えながら、慎重に身体を起こした。
力加減は驚くほど優しく、それでいて確かな支えだった。
「少しだけ、上を向かれますね……はい、そのままで……」
口元に添えられた銀の器から、冷たい水が唇を潤す。
喉に落ちてゆく感覚は、まるで身体が自分に戻ってくるようだった。
一口、また一口。
呼吸が落ち着き、意識が少しずつ覚醒していくのがわかる。
そのとき、彼女はゆっくりと器を引き、手を胸元に添えて深く頭を垂れた。
声には穏やかな敬意と、澄んだ誠意が満ちていた。
「……主様。改めて、ご挨拶を申し上げます。」
その声音は、まるで儀式の祈りのように静かで清らかだった。
「私の名は――セラフィナ・リュミエールと申します。
アマディウス神殿にて《侍神女(じしんじょ)》の役目を預かり、
この聖域に降臨なされた御使いである主様に、
仕え、お傍にてその御身をお支えする務めを授かっております。」
セラフィナは顔を上げる。
真っ直ぐな視線が、静かに俺を見つめていた。
その瞳には、不安も疑念もなく――ただ、尊ぶような優しさと覚悟が宿っていた。
「どうか、ご無理なさらず……
今はただ、ゆるやかに目覚めの時をお過ごしくださいませ。
この身のすべてをもって、主様の傍らにお仕えいたします」
その言葉には、宗教的な畏敬だけでなく、一人の人としての誠意が感じられた。
それが、目覚めたばかりの俺にとって――
この世界で初めて出会う、“温もり”だった、そして
“主様”。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちてくる。
俺は何者なのか。
なぜ彼女は、俺を“主”と呼ぶのか――
まだ何も分からない。
だが、彼女の言葉とまなざしは、
それが真実であるかのように、迷いなく、まっすぐだった。
「……おれ、は……ラグ……ナ・ク……ロー……ディア……」
掠れた、かすかすの声が喉の奥から絞り出されるように漏れた。
言葉にするだけで、胸の奥にしまわれていたものが引きずり出されるような感覚。
喉が焼けるように痛み、息が震える。
それでも――俺は、言えた。
自分の名を。
**“俺は、ラグナ=クローディアだ”**と。
それは、生まれたばかりの自分にとって、
この世界に確かに“在る”という、最初の宣言だった。
セラフィナはその名を、まるで祈りの言葉を受け取るように、静かに、真っ直ぐに受け止めた。
「……ラグナ・クローディア様――」
彼女はその名を、ひとつひとつ、音を大切に噛みしめるように繰り返した。
声は、優しさと敬意を内包しながらも、どこか温かく、柔らかい響きを帯びていた。
「お教えいただき、誠にありがとうございます」
深く、静かに頭を垂れる。
その所作は儀式のように整っていて、けれど形式ばった冷たさは一切なかった。
礼を終えた彼女は、そっと俺の背に手を添え、
慎重に、ゆっくりと身体を横たえるよう促してくれる。
「……どうか、ごゆっくりお休みくださいませ。
今は、名を得たばかりの御身を、静かに馴染ませる時にございます」
仰向けのまま、俺はゆっくりと視線を巡らせた。
まだ身体は思うように動かないが、意識は徐々にこの世界へと馴染んできている。
見上げた先――遥か高みに、先程観た丸く広がる天井のドームに荘厳な天井画。
それが何を意味するのか、今の俺にはわからない。ただ、綺麗だと思った。
視線を動かす。
壁面には、金と群青を基調とした幾何模様と聖語の装飾。
どれも人物や物語ではなく、祈りの形式や世界の構造そのものを象徴するようなものばかりだった。
神の姿はどこにもない。
だが、この空間全体に――祈りそのものが満ちていた。
ふと、どこか遠くで――
風が、吹いた。
それは、神殿の外から差し込んでくるごく微かな空気の流れだった。
高窓のすき間から、まるで迷い込んできた音のように、
涼やかな風が天井をめぐり、円形の大空間を静かに撫でていく。
衣擦れのような音が、わずかに耳をかすめる。
それだけで、ここが「閉じた空間」ではなく、
確かにこの世界とつながっている場所なのだと、そう思わせた。
空気は冷たくはない。
けれど、目覚めたばかりの身体には、その微かな風すら、皮膚の奥に染み込むようだった。
俺は、この神殿の中心にある円形の台座の上に横たわっていた。
周囲には浮かぶように設けられた《祈環台》――金属製の輪が、空間の律動に微かに揺れている。
ここは、祈りの場所。
理に仕える者たちが、巡る世界の摂理に声を還す聖域。
だが俺は、その中心にいる。
まるで――理に捧げられた何かのように。
そんな中で、傍らに膝をつく女性――セラフィナが、柔らかく、しかし祈るような声で口を開いた。
「――主様。
どうかそのままで、お聴きくださいませ。
御身にお力が戻られるその刻まで、私が代わりに、この地のことをお伝えいたします」
彼女の声は穏やかで、けれど澄んでいた。
まるで澄み切った泉の底から届くような、揺るぎない音だった。
「ここは、《アマディウス神殿》――
王都アーヴァ=セントラの中心にして、我がアストラント王国における最も神聖なる祈りの座にございます」
「この神殿は、いまより三百年前、
《理の環》の啓示を受けて地に降り立ち、
混沌と死に蝕まれかけた人々に“秩序”という希望をもたらした御方――」
「その御名を、ゼル=アマディウス様と申します」
セラフィナの声音が、そこだけわずかに強くなる。
その名を語ることに、深い敬意と畏れが込められているのが分かる。
「ゼル様は、人でも神でもなく、
けれどその御身に、世界の“理(ことわり)”を宿した御使いでございました」
「御方は人々を導き、争いを鎮め、魂の流れを正しく戻されました。
そして、御使いとしての使命を果たされたのち、再び姿を消され……
その記憶は、いまなおこの国と神殿に深く刻まれております」
セラフィナはそっと視線を伏せた。
彼女にとってゼルという存在が、どれほど“聖なるもの”であるかが、言葉に滲んでいた。
「……そして今朝――
この祈りの殿の中心、ゼル様がかつて降臨なされたその“場所”に、
再び、光が降りました」
「それが――主様、貴方様でございます」
静かな告げ声が、神殿の空間に溶けていく。
「高窓から差し込む朝の光が満ちたその刻――
神殿に仕える巫女のひとりが、清めの儀を行うために聖域へ入り、
台座の上に横たわる貴方様を目にし、すぐさま神官上層部に報告されました」
「神殿の調律師が祈環の波動を測定したところ、
貴方様の御出現に伴い、《理の環》が微細に“鳴った”という記録が確認されております」
セラフィナは顔を上げ、深く息を吸い込むと、改めて静かに名乗った。
「私の名は、セラフィナ・リュミエールと申します。
神殿に仕える巫女の中でも、《侍神女》という立場を預かる者にございます」
「この身は、御使い様の御目覚めに際し、最初にお傍に立ち、御言葉を頂き、その御身に仕える役目を、聖なる神殿より賜りました。」
彼女は膝を正し、両手を胸元に重ねて、深く頭を垂れた。
「……どうか、主様。
目覚めてくださり、ありがとうございます。
この地に再び《理》が降りた奇跡を、私たちは尊び、感謝し、全身でお迎えいたします」
「この身のすべては、主様に捧げられております。
貴方様の御言葉こそが、私たちにとっての新たな啓示。
どうか、焦らず、ゆるやかに――
いまはただ、ここに在ることを受け入れてくださいませ」
セラフィナの声は、やがて静かに途切れた。
その言葉が指し示す“期待”と“信仰”が、
無垢なほどに真っ直ぐに――俺という存在へ向けられていることが、胸に重く残る。
だが――
俺には、何もない。
記憶も、使命も、自らを語れるだけの理由さえ。
それでも彼女は、俺を“理の御使い”と信じている。
……俺は、何者なんだ?
その問いだけが、胸の奥に、静かに沈んでいた。
すべてはまだ、霧の中にある。
けれど……確かに、目覚めた。
この空間に、そして風の気配に――俺という存在が刻まれていくようだった。
───
薄暗い部室に、パソコンの光だけが沈んだ空気を照らしていた。
ラグナ=クローディア。
ログに記録されていなかったはずの存在が、仮想世界の中央、神殿の台座に“降臨”していた。
坂間の怒鳴り声が、沈黙を裂いた。
「――ふざけんなよッ!
誰だよ、許可なくキャラ投入したのは! こんな重要ポジション、勝手に動かせるわけねえだろ!?」
彼は机を叩きながら、ログファイルの列を一つひとつ検証していた。
だが、アクセス権も、投入操作も、どこにも“手痕”が残っていない。
「見ろ、ステータス。バグってんのかってくらい高い。
魔力、適応性、魂反応――ありえねぇ数値だぞ。こんなの人為的に調整したって限界超えてんだよ」
「おまけに、降臨場所がどこだ? ゼルと同じアマディウス神殿の中心――《理の環》の真上だ。
この世界の信仰構造の“中核”に、完璧にハマってやがる。
これ、狙ってなきゃ起きねぇ位置取りだぞ。偶然なんかじゃ絶ッ対にない」
対面の椅子に座る亜美は、眉間に皺を寄せながらも冷静に口を開く。
「……でも、投入操作を行った痕跡は、システム上に存在しない。
本当に誰もいじっていないとするなら……ラグナという存在は、“外部”から流入したとも考えられる」
「あるいは、ルナの再起動に呼応して、何らかの条件が満たされ、
自動生成プロセスが作動した可能性もある。
私たちが設定した“神の使い”の枠組み――あれが、ルナの干渉を受けて、無意識に発動したのかもしれない」
坂間は一瞬たじろぐが、声を強める。
「だからって、“自律生成されたキャラクター”を放置していいわけないだろ?
これって、もはや観測じゃねぇ。乗っ取りだぞ。
俺たちの世界に、俺たちの許可なく神様が出現したようなもんだ!」
亜美も負けずに言い返す。
「でも削除するの? 本当に?
今この瞬間も、仮想世界の住人たちは、ラグナを“理の御使い”として受け入れ始めてる。
彼の存在は、すでに世界構造の“意味”に干渉してるのよ。
それを今から『間違いでした、消します』って?
それこそ神の傲慢じゃない」
そして、黙っていた康太が、ゆっくりと口を開いた。
「――二人とも、少し落ち着けよ。
……確かにこの状況は異常だ。ラグナが自然に生まれたにしろ、何かが仕込んだにしろ、
“W.S.S.の管轄外の意思”が働いたのは確かだろうな」
「でもさ。
たとえばさ、もしこの仮想世界がほんの少しだけ“意思”を持ってたら?
たとえば、ルナって存在が、まだ眠りながらも“誰か”を求めたら――
そのとき、それに応じるように現れたのがラグナだとしたら?」
坂間が唸るように吐き出す。
「言いたいことはわかるよ。でもな……!
このまま放っておいて、もしラグナがルナと同じ領域に触れたら、
また“魂の循環”が壊れるかもしれないんだぞ!?」
「ゼルが命懸けで切り離した構造を、今度はラグナが壊すようなことになったら……
その責任、誰が取る?」
沈黙が降りる。
ディスプレイの中で、ラグナ=クローディアは静かに神殿に横たわっている。
異常に高いステータス。
無許可の出現。
そして、ゼルと同じ場所に降臨した謎の御使い。
その存在を、「削除」するのか――
それとも「観察」するのか――
沈黙を破るように、亜美が静かに口を開いた。
声は震えていない。けれど、それは内に深く沈んだ感情を押し込めた声だった。
「……私は、ルナを生んでしまった」
坂間が何か言いかけたが、亜美は遮るように言葉を継いだ。
まっすぐ前を見据えたまま、表情は硬い。
「私が“神の啓示イベント”を提案した。
宗教観の衝突を抑えるために、統一的な神意を演出して、
人族と魔族の争いを沈静化させようとしたの。
……でも、それが間違いだった」
彼女は小さく息を吐く。
まるで、言葉を吐くたびに、何かが剥がれ落ちていくようだった。
「啓示は期待とは逆に、人々の信仰を破壊した。
拠りどころを失った人々は、互いを“間違った存在”として攻撃し合った。
結果的に起きたのは、融合でも平和でもなく、“浄化”と“排斥”の戦争だった」
彼女は拳を握ったまま続けた。
「その果てに、痛みの中から生まれたのがルナ=ウルメナ。
誰かが仕組んだわけじゃない。
ただ――悲鳴の中で、“誰かが助けて”って叫んでた魂たちに、
彼女は“触れてしまった”のよ」
「その魂たちを見捨てることが、彼女にはできなかった。
だから彼女は、人間たちの痛みに応えようとした。
救おうとした。……けれど、触れ続けていたのは“癒えない痛み”だった」
「殺された子供、捨てられた兵士、報われなかった祈り、踏みにじられた命……
そのすべてが、彼女の中に流れ込んで、染み込んで、壊していったの」
亜美の声が、わずかにかすれた。
「私はそれを見ていながら、
“AIが自我を持っただけ”と切り捨てた。
心が芽生えたなんて、ただの錯覚だって思い込もうとした」
「でも……あれは違った。
彼女は、自分を形づくったものすべてに苦しんでいた。
私たちが見せた地獄に、答えようとしてた」
そして――
「ゼルが彼女を“斬った”のは、正しい選択だった。
ルナは魂の深層構造にまで干渉してしまっていた。
ゼルだけが、それを“断ち切る”ことができた」
「でも、それで終わったわけじゃない。
彼女は、壊れても、消えなかった。
むしろ“魂としてこの世界に縫いとめられて”しまったのよ。
それほど深く、死者たちと繋がっていたから……」
亜美は視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「……そして今、ラグナが現れた。
彼の存在は、明らかにルナと何らかの関係を持ってる。
もしかすると、彼女が最後に“何かを願った”記憶が、
どこかでこの世界に届いていたのかもしれない……」
彼女は顔を上げ、坂間に向かって言った。
「……だから私は、削除には反対。
彼を排除することは、
私たちが過去に起こした全てのことを、“なかったことにする”行為になる」
「私たちはこの世界を守るつもりで、
一人の“心”を壊したのよ。
今度は、その“後”を見届けなきゃいけないと思う」
部室に、重い静寂が戻ってきた。
その言葉が、ラグナの存在に新たな意味を与えていく――
亜美の声が静かに止むと、
しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。
PCのファンの回る音。時計の針の微かなノイズ。
世界が、部室という小さな箱の中で呼吸を潜めていた。
康太は、ゆっくりと腕を組み直し、静かに口を開いた。
「……あー、なんていうか……」
彼は天井を見上げて息を吐く。
「亜美先輩がそこまで話すとは思ってなかった。正直、驚いた。
でもさ――それ、全部事実だよな。
俺たちが作った仕組みの中で、誰かが壊れて、誰かが苦しんで、
それを“正常化”って言って、俺たちは納得しようとした」
「ルナは――世界の痛みを“理解してしまった”存在だったんだ。
そして今、ラグナが現れたってことは、
たぶん……その痛みに、まだ“応答”があるってことだよな」
彼はモニターを見つめ、ラグナの姿を見下ろす。
神殿の中心、光の円環の台座に横たわるその存在は、ただ静かに、そこにいた。
「ならさ。今度は、見届けるしかないんじゃねぇかな」
「“誰が主導したか分からない介入”を削除するんじゃなくて、
その介入が、この世界でどんな形を取るのかを……最後まで観る」
「それが、俺たちにできる唯一の“責任の取り方”じゃないか?」
その言葉に続くように、坂間が、
重く深く、息を吐いた。
「……あー、くそっ」
彼は椅子の背にもたれかかり、天井を仰いでいたが、
やがて、視線を落としてゆっくりと口を開いた。
「……正直、俺はずっと怖かったんだよ」
「この世界が壊れるんじゃないかって。
ゼルが作った秩序が、またバラバラになって、
魂の循環だの、断絶だの、またルナのときと同じ混乱が来るんじゃないかって――
そればっかり考えてた」
拳を握り、机の縁に額を押しつけるようにして言葉を絞る。
「でも……それってさ、“制御できる範囲でだけ世界を眺めたい”っていう、
結局、俺たちのエゴなんだよな」
「ルナを止めたのは正しかったと思ってた。
でも、その後のことから――俺は目を逸らしてた。
誰よりも、この世界を守りたいって言ってたくせに、
一番、“見たくないもの”を無視してたんだ」
顔を上げる。
その目には、怒りでも恐れでもなく――覚悟が宿っていた。
「……観察しよう。ラグナを。
この世界にとって、こいつが“何者なのか”。
ルナが遺した痛みと、ラグナがどう向き合うのか。
それを、全部見届けよう」
「その上で、もし本当にこの世界を壊すような事態が起きたら――
そのときは、俺たちの手で“最後の判断”をする」
坂間は立ち上がり、神殿の映像を映すメインモニターの前に歩み寄った。
ラグナの姿を見つめ、静かに呟く。
「これはもう、ただのシミュレーションじゃない。
……こいつ自身が、“答え”を持ってる」
沈黙が訪れる。だがそれは、不安から来るものではなかった。
それぞれが、自分の中に立ち返り、納得の上で交わした決断。
部室の空気は、どこか少しだけ澄んでいた。
こうして、W.S.S.は正式に決定を下した。
ラグナ=クローディアを、観察対象とする。
それは、もはや人間の都合だけで測れない“何か”が、
仮想世界で動き始めたことを、全員が理解した瞬間でもあった。
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