第9話 ──そして、令嬢は全世界を味方につけた
──3年って、あっという間だ。
この3年の間に、わたしの世界は大きく変わった。
お父様はわたしの自立を見て安心したかのように、海外に移住してしまった。
「キャサリンももう一人前だから」とだけ爽やかに言い残して。
その後は、世界中を旅して歩いているらしい。
最近はどこにいるのか、正直わたしにもよくわからないけれど、
送られてくるメールはいつも短くて、
それでいて、わたしの活動をちゃんと見てくれているのがわかる。
──まったく、ネット探偵にもほどがある。
いまの私は、毎日忙しくて、でもとっても充実してる。
朝は、アールグレイの香りで始まり──
昼は、刺繍サロンのレッスンと撮影、打ち合わせに追われ──
夜は、YouTubeの編集と、フォロワーからのコメント返信で終わる。
この3年でチャンネル登録者はなんと15万人を超えた。
銀の盾は、サロンにさりげなく飾ってある。もちろん、金の盾も射程圏内だ。
動画の内容も、最初の頃の「失恋の痛手から立ち直るための手刺繍ヒーリング」なんて控えめなものじゃない。
いまや「令嬢の品格を刺繍にこめて」が合言葉。
──冗談抜きで、刺繍界のインフルエンサーと言われている(たぶん)。
刺繍キットのプロデュースに始まり、限定生地のコラボ、オンライン講座、ファン向けイベント、そして──
「キャサリン様、午後のお客様がまもなく到着されます」
「ありがとう、マリア。お茶は、紅茶協会の試飲用を出してもらえるかしら?」
「はい、ラヴィニアさまが“全力推し”されているセカンドフラッシュですね」
「ええ、“今月はダージリンが正義!”って、あのポスター……サロンに貼るのちょっと恥ずかしいけど、本人の情熱がすごいから……」
はい、そう。うちの紅茶担当、つまりラヴィニア叔母さまは、刺繍サロンを乗っ取る勢いで“紅茶の魔女”としてブランディング中。
「エレガントは液体から取り入れるものよ!」という名言(?)とともに、今では“令嬢ティーレッスン”が私の刺繍教室と並ぶ人気講座になっている。
そう、いまの私は──
あの頃の、誰かの言葉に縛られて、うつむいて、ベッドの中で震えていた「地味で陰気でとりえなし」のわたしとは、まったくの別人なのだ。
刺繍って、素晴らしい。
そして──
自分で自分を変えていくって、本当に、尊い。
「……さて、と。今日の動画は、どんなふうに撮ろうかな」
カメラの前に座る前に、鏡の前で軽く笑ってみる。
これが、いまのわたし。
あの人の影なんて、遠い過去の霞の中──
そんなある日、スマホがブルブルッと震えた。
ちょうど撮影の準備を終えたばかりで、私は紅茶をひとくち飲んだところだった。
──またコラボの問い合わせかしら。今月はもう無理って言ってあるのに。
そう思って、通知を開く。
……InstagramのDM。
差出人の名前を見た瞬間、紅茶が喉に引っかかって、思わずむせてしまった。
「……っ、けほっ、な、なにこれ……」
まさか。いや、まさかとは思ったけど。
でも、見間違いじゃない。
差出人は──モリス・タウンゼント。
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
モリス:「久しぶり。最近いろいろ考えることもあって……。
刺繍サロン、すごいって聞いたよ。君らしいよね。
実はちょっと話したいことがあってさ。
今、新しいことを始めようと思ってるんだ。
君にしか頼めないことがあるんだよね──」
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
……は?
ちょっと待って? なにこのナチュラルさ。
3年前にすべてをぶち壊しておいて、「ちょっと話したい」?「君らしいよね」? いや、誰!?
私はスマホを置いて、深呼吸した。
そして──決めた。
今日は、ライブ配信をする。
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
画面の前に座り、紅茶を用意して、カメラのアングルを確認する。
いつものように優雅に、上品に。
「こんばんは。令嬢キャサリンです。今日もごきげんよう」
コメント欄がわっと盛り上がる。
〈こんばんはー!〉
〈紅茶なに飲んでるの?〉
〈今日もサロン行きたい~〉
「今日のライブは、ちょっと特別なんです。あの……実は先日、こんなDMが届きまして──」
スマホを手に取り、画面に映す。
コメント欄がざわつき始める。
〈まさかのDM晒し!?〉
〈元カレじゃないよね?〉
〈ざわざわざわ……〉
「ええ、そうなんです。お察しの通り、かつて──私をとても深く傷つけた相手です。でも今日は、そのDMに返事をしようと思っています。皆さんと一緒に」
私は、にっこりと微笑んだ。
「もちろん、彼のプライバシーには配慮します。けれど……あまりにも不思議なDMだったので──皆さんと一緒に考えてみたいと思ったんです」
視聴者数が一気に跳ね上がる。
チャット欄には:
〈これは令嬢的晒し芸……〉
〈モリス、震えて眠れw〉
〈高画質でざまぁください〉
〈紅茶用意しました☕️〉
〈全世界がキャサリンの味方です〉
──さあ、いきましょうか。
優雅で、丁寧で、でも一歩も引かない。
これが、令嬢の、令嬢による、令嬢のためのざまぁライブ。
私は、スマホの画面をそっとタップし、DM画面を開いた。
「では、皆さん……彼からのDM、もう一度ご覧いただきますね」
私は慎重に言葉を選びながらDMを読み上げていく。
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
「キャサリン、久しぶり。最近いろいろ考えることもあって……
姉から聞いたんだけど、刺繍サロン、すごいって聞いたよ。君らしいよね。
実はちょっと話したいことがあってさ──
今、新しいことを始めようとしてるんだ。
仮想通貨関係のスクールなんだけど、
君のセンスと発信力があればすごく心強いと思って」
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
〈……仮想通貨wwwww〉
〈サロンとどう繋がるの!?〉
〈いやいやいや、なに頼もうとしてるんですか〉
〈「すごく心強い」って……3年前のこと忘れてませんよね?〉
「すごく丁寧な言葉遣いですよね。あくまで“誠実”を装ってる。でも、なぜでしょう。私は、彼の“お願い”にはもう耳を貸せません」
私はそう言って、ぽつりと続ける。
「だけど……“返信”くらいは、してあげようかなと思って」
コメント欄:
〈キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!〉
〈ざまぁ返し待機!〉
〈世界が震えてる〉
〈言ってやれ!令嬢的に!〉
視聴者たちは画面越しにコメントを飛ばし、共に「返事」を考えてくれていた。
私は、少しだけ迷うふりをして──文字を打ち始めた。
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
「ご連絡ありがとうございます。
仮想通貨のスクール、興味深いですね。
でも──私、いま刺繍と紅茶と、
それからたくさんの“味方”に囲まれて、とても満たされています。
かつてあなたにかけていた時間は、もう残っていないんです。
ごめんなさいね、モリス様」
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
コメント欄:
〈ごめんなさいね、モリス様(爆笑)〉
〈優雅すぎる拒絶!!〉
〈全世界がこの1文にスタンディングオベーション〉
〈「もう時間は残っていない」……名言すぎる〉
〈上品なのにトドメ刺してくるの好き〉
ーーーー送信。
その時、まさかの“リアルタイム返信”が届く。
モリス:
「ごめん、なんか懐かしくなっちゃって。
あの頃のこと、ほんといろいろ思い出してさ……。
君のこと、すごいなって思ってる。
なんか、話せたら嬉しいなって」
コメント欄一斉炎上:
〈うわ出た!来た!今返信してきた!?〉
〈ちょ、リアルタイムて!!こっち見てんのかよ!〉
〈“懐かしくなっちゃって”とか軽っ!〉
〈出た出た出た、“話せたら嬉しい”=ノープラン再接触!〉
〈逃げた男のテンプレ返信じゃん!!〉
〈こっちは3年かけて強くなったんだぞ?〉
〈震えるわ。まじで震える〉
メッセージの連投が続く。
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
「……ほんとに少しだけでいいんだ。
ちょっとだけ、話せないかな?
懐かしくて……
あのときのこと、ちゃんと話せてなかったし──」
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コメント欄:
〈まだ食い下がるのか……〉
〈出た、過去回想コンボ〉
〈「ちゃんと話せてなかった」→自己正当化の入口ですね〉
私は、深く息を吸ってから、ゆっくりと打った。
「私たち、“ちゃんと話す機会”なら、あの時いくらでもありましたよね。」
コメント欄:
〈……聞いたか? 今さら“話したい”って、笑わせんな〉
〈あの頃、黙ってたくせに何言ってんだよ。〉
〈“いくらでもありましたよね”ってセリフ、グサッときた〉
〈当時のキャサリンを思い出して泣きそう〉
〈刺さる……わたしも似たような経験あるから余計に〉
〈これは3年分の想いが込められてる〉
「でもあなたはそれを選ばなかった。」
コメント欄:
〈そっちが選んだんでしょ、“逃げる”って道をさ〉
〈ほんと、それがすべてだよ〉
〈ここで責任を返してもらおう〉
〈震えた。令嬢って、ただの上品じゃないんだね〉
〈強くなったなぁ、キャサリン〉
〈ああ、これが“後悔”ってやつなんだな〉
⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻
「これが私の答えです。ごきげんよう」
そして、送信ボタンを、ゆっくりと押した。
コメント欄:
〈出たーー!!“ごきげんよう”ざまぁカットイン!!!〉
〈高貴で冷静、でも断罪の一撃……〉
〈これが“令嬢フィニッシュ”か……参りました〉
〈泣けるのになぜかスカッとする〉
〈さよならじゃないの、“ごきげんよう”なのが最高に優雅〉
〈キャサリン、あんた本当にすごいよ。泣いた〉
〈推し令嬢、今日も正義だった〉
スマホの画面右下に──「既読」。
それっきり、モリスからの返信はなかった。
コメント欄は歓喜の嵐。
〈THE・ざまぁ〉
〈ごきげんよう、が完璧すぎた〉
〈これは、まさに“令嬢フィニッシュ”〉
〈既読のまま、彼はもう戻れない……〉
〈逆に怖くなってきた〉
〈刺繍でここまでざまぁできる令嬢、初めて見ました〉
私は、静かに微笑む。
「皆さん、今日も応援ありがとうございます。
明日からまた、サロンレッスンと撮影、頑張りますね」
そう言って、優雅にカメラをオフにした。
──MorryTに“既読”はついた。
でも、もう“返信”はこなかった。
コメント欄の盛り上がりはまだ続いていた。
〈えっっぐ!!令嬢の“丁寧な門前払い”!〉
〈気遣いの言葉でここまで刺せるとか高等テクすぎる……〉
〈「ごめんなさい」じゃなくて「これが私の答えです」が強い!〉
〈どこまでも上品。でも断言。〉
〈S.D.さん、拍手お願いします(泣)〉
〈→ S.D.:👏👏👏〉
〈まさかの既読wwwwwww〉
〈逃げるなwwww〉
〈モリス、配信に気づいたっぽくて草〉
〈「あの頃の自分とは違う」←この言葉、今の自分にも刺さった〉
〈これはもう……伝説回でしょ〉
〈キャサリン様、推せる〉
〈ざまぁって、こうやるんですね……勉強になります!〉
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「皆さん、今日も応援ありがとうございます。
明日からまた、サロンレッスンと撮影、頑張りますね」
そう言って、優雅にお辞儀をしてから──配信を終えた。
静まり返る部屋。
紅茶のカップに、まだほんの少しだけ、香りが残っている。
私は、そっとスマホをテーブルに伏せた。
さっきまで画面越しに届いていた、たくさんのコメント。
ざまぁ、感動、応援の嵐。
──その中に、ひとつだけ。
あまりにも控えめで、でも、胸に沁みるコメントがあった。
「S.D.:👏👏👏」
……クスリ、と笑えるあのアカウント名。
私が、いちばん大変だったとき。
いちばん、言葉にできなかった想いを抱えていたとき──
あの人も、ずっと黙って見ていてくれたのかもしれない。
「……ありがとう、お父様」
小さく、誰にも聞こえない声で、私はそう呟いた。
そうして私は、ゆっくりと立ち上がる。
夜はもう深い。明日も早い。
カップを片付け、撮影用の照明を消していくと、ようやく“日常”が戻ってきた。
──今日も、よく頑張った。
心のどこかで、ほんの少しだけ自分を褒めてやりながら、
私は寝室へと向かった。
背筋を伸ばして歩く自分に、ふっと微笑みがこぼれる。
「……おやすみなさい。キャサリン」
そう、小さく口に出して──
自分のイニシャルの刺繍が入った枕の上で、静かに眠りについた。
(おわり)
......ですが、このあとおまけがあります。読むか読まないかはあなた次第......
(というわけでエピローグにつづく......)
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