第5話 お父様とモリス様、対面する──って、なにこの修羅場面接!?
「さて、今日は少し、お話をさせてもらおう」
開口一番、それだった。
いつもどおりの低音ボイス。けれどその語尾に、あきらかに“戦闘態勢”の気配が漂っていた。
わたしは隣のソファにちょこんと座りながら、喉がカラカラに乾いていくのを感じていた。
──え、ほんとにやるの? この空気、マジなの?
ねえモリス様、心の準備は? わたしはないです!!
だって──
目の前には、わたしの人生で最も恐ろしい存在、お父様。
そして、そのお父様と目を合わせているのが──モリス様。
「キャサリンさんから、話は聞いています。今日はお時間いただき、ありがとうございます」
モリス様は、いつもの“ナチュラル感”をきれいに封印していた。
姿勢はまっすぐ、声のトーンは落ち着いていて、まるで一流企業の最終面接に臨む就活生のようだった。
「……君は、何をして生活しているのかね?」
はい、来ました。お父様の“直球ストレート質問”!
しかも最初から飛ばしてくるとか、容赦なさすぎでは?
モリス様は、微笑を保ったまま、まっすぐ答える。
「現在は、帰国したばかりでして。つい先月まで、海外に留学しておりました」
「どこに?」
「ニュージーランドです。環境やビジネスについて学ぶ、実践型の教育プログラムに参加しておりました」
(わあ……すごい。さすがモリス様……)
心の中でスタンディングオベーションするわたし。
留学って、そんなキラキラワード、反則じゃないですか? それってつまり“グローバルな人材”ってことですよね?
──でも。
お父様は、まったく感情を動かさない顔で、次の質問を重ねた。
「その留学の資金は、どこから?」
……ぎゃあああああ!
それ、聞いちゃう!? さすが理詰め主義の父、全然スルーしてくれない!!
モリス様は、わずかに言葉を選ぶような間を置いたあと──
「祖父の遺産を、一部活用……させていただきました。もともと学びには惜しまないという教育方針の家でしたので」
──あっぶな。
今、ちょっとだけ間が空いたけど、うまく切り抜けた! モリス様、ナイスファインプレー!
「その後の生活費は?」
「……今は、次のステップのために動いているところです。実は、ビジネスの立ち上げも検討しておりまして。まだ詳しくは言えないのですが──“好きなことを仕事にする”という方向で、準備を進めています」
(でたー! モリス様の“夢トーク”!!)
「──曖昧だな」
お父様の声が、ピシリと空気を裂く。
「いずれ、君が何を始めるにしても構わない。しかし──今の君には、安定した収入がないと見える」
「……はい、仰る通りです。ですが、それでも僕は──キャサリンさんと生きていきたいと思っています」
「その根拠は?」
「……気持ちと、覚悟です」
やや沈黙。お父様は、無言でモリス様を見つめていた。
でもその間も、モリス様は視線をそらさず、ちゃんと正面から受け止めてる。
──ああ、もう、好き……。
「僕は──腕一本で食べていく覚悟はあります。ガテン系でもUberでも、なんでもやります。それでも、キャサリンさんを支えていきたいんです」
(──あれ? 今、ちょっとキャラ変わった?)
わたしの中で、さっきまでの“夢追いナチュラル王子”が一瞬で“昭和の男気系青年”に切り替わった気がしたんですけど。
……いやいや、それはそれで、ギャップ萌え?
「ほう。では、君は“好き”という気持ちだけで、娘を支えていくと?」
「“好き”だけではなく──信じています。キャサリンさんの強さも、優しさも。だから僕も、どんなことにも本気でぶつかる覚悟はできています」
お父様は、ふぅ……と、ひとつだけ、ため息をついた。
「……覚えておきたまえ。気持ちと根性で乗り越えられることは多くない。だが、それでも乗り越えたいと思うなら、まずは自分の生活を立てなさい」
それだけ言って、席を立った。
──戦い、終了。
張り詰めていた空気がふっと緩んで、わたしはようやく息をつけた。
でも、なにこれ……なにこの場面。
お父様 vs モリス様の、静かすぎる地雷原バトル。
わたし、ずっと画面録画したかったです。
でもきっと、再生したら音声は
そして、わたしの中で──なにかが、決定的に切り替わった。
お父様がどんなに疑っても、どんなに追い詰めても、
モリス様は、逃げなかった。
あの真っ直ぐな目と、声のトーンと、「なんでもやります」の一言。
──あれが全部“嘘”だなんて、思いたくない。
たとえ、ほんのちょっと……うまく言葉を選んでいたとしても。
ほんのちょっとだけ、違和感があったとしても。
わたしは、信じたい。
──信じるって、こういうことなんじゃないの?
バトルが終わって、モリス様が帰ってからも私はずっとそのフレーズを繰り返し続けた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翌日、お父様が突然、旅行に行くぞと言い出した。
「えっ?こんな急に?」
「とにかく一度、外の空気を吸ってみるんだ」とか何とか、お父様はそんなことをおっしゃっていたけれど──本音はたぶん、別のところにある。
お父様は、わたしのことを「心配」している。
そしてお父様の表情とは、逆の人間もいる。
「楽しんでいってらっしゃーい!留守中の事は全く心配しなくて大丈夫!」
そう、ラヴィニア叔母さまである。
私たちを見送るラヴィニアおばさまは、なんだかすっごく楽しそうだった。
移動は、鉄道だった。
行き先は有名避暑地だ。
なのに、当の私はずっと都会に心を置いたままだった。
なぜって?
だって、モリス様とのLINE、止まらないですから!!!
⸻
高原の朝は早い。
お父様と並んで、静かなダイニングで軽い朝食。
昼は人気の観光スポットを巡る──けれど、お父様との会話はほとんどない。
夜になると、温泉で身体を温めてから、お部屋に戻り、ベッドに潜り込むようにしてスマホを開く。
モリス:「キャサリン、こっちは雨だったよ」
モリス:「観光どうだった?写真ちょっと見せてよ」
そんなふうに、モリス様の優しい“おかえり”が届く。
既読をつけるのが嬉しくて、即レスしてしまう。
高原での日々は快適だ。空気も澄んでいるし、ホテルのサービスも申し分ない。
でも、どこにも、心がない。
──私はずっと、ひとりだった。
いや、モリス様とは毎晩LINEしてるし、精神的にはひとりじゃない。
むしろ“ふたりきり”とも言える。会ってすらいないのに。
モリス様へのLINEに既読がつかない時は、ランプをひとつだけ灯して刺繍をすることにした。
「お父様には、わからないかもしれないけど……」
私は、小さく縫い込んだ“M”のイニシャルをなぞりながら呟いた。
「わたしは、わたしの信じる人を、大切にしたいの」
集中していたつもりが、ふと、
「……あっ」
針が、指にちくりと刺さった。
一瞬の痛みに、目が覚めたような感覚。
にじんだ赤い点を、ぼんやり見つめて、私は思わず指先を口に運ぶ。
──こういうときって、誰にも見られてないはずなのに、なんだか恥ずかしい。
「……好きだよ、モリス様……」
誰にも聞こえない声でつぶやいた瞬間、まるで指先から流れる血までが、恋の証みたいに感じられる。
⸻
「ちょっと、外を歩かないか?」
唐突に、お父様がわたしにそう言ったのは、もう滞在も終わりかけの頃だった。
え? いきなり?
っていうか、今? このタイミングで?
なんか、嫌な予感しかしないんですけど──。
私は渋々ついていった。
ルートは、軽くハイキングというよりは、ほぼ“登山”寄りで、
岩肌がゴツゴツした、まるでアルプスのような小道。
ゴツゴツ。
カツカツ。
落ちたら普通に危ないレベルの岩場。
「……あの男は、姉から生活援助受けてるそうだな」
──で、出た。
いきなり、そこ!?
ていうか、やっぱりそれ、言ってくるやつ……!
「ま、待ってください。なんでそんな情報──」
「偶然だ。いろいろな経路がある」
はい、出ました。「いろいろな経路」。
それ、モリス様のお姉さんのアメブロだろ!? っていうか、やっぱりまだ見てたんですか? お父様も!?
でも言わない。絶対言わない。
お父様だって言わない。ふたりして、黙ってアメブロチェックしてる関係、どういう親子なの……。
風がひゅうっと吹いて、髪が乱れた。
足元の岩がゴツゴツしていて、歩きづらい。
なのに、お父様は平然とした顔で前を歩いていく。
「……キャサリン、君は」
ふいに、お父様が振り返って言った。
「──あの男のことを、どう思っているんだ?」
一瞬、何のことか分からなかったふりをしたかった。
でも、わかってた。モリス様のことだ。
「……好きです。信じてます」
口が勝手に答えていた。
「そうか」
お父様は、足を止めることも、振り返ることもなく、ただそれだけを言った。
また風が吹いた。
黙ったまま歩く時間が続いた。
でも、心の中ではずっと、何かがぐるぐるしていた。
──そのとき。ポン、とスマホが震えた。
足元の石に気を取られながら、画面をのぞく。
《叔母さま》からのLINEだった。
『キャサリン、元気にしてる?こっちは楽しくやってるわよ〜』
『久々にうちで女子会!モリス君も顔出してくれて〜』
……は?
え、ちょ、ちょっと待って……。
添付されてたのは──
うちのリビングで、ワイングラス片手にくつろいでるモリス様の写真だった。
しかも、ちょっと笑ってる。
リラックスしすぎじゃない!?
そこ、わたしのクッションじゃん!? え、何それ??
──そして追伸。
『やっぱり、恋のチャンスって、お留守番のときに来るのね♡』
……は?
ちょ、叔母さま!?
それ、わたしの留守中って意味ですよね!?
なんでそんな *『旅に出た彼の彼女が帰ってきたら、すべてが変わっていた』*みたいな背徳ラブのテンションなんですか!?
「どうかしたか?」
お父様の声。すぐ背後。
「えっ!? な、なんでもないです!!」
私はスマホを即座に胸に引き寄せ、ポケットに突っ込んだ。
──あっぶな……!!
見られてたら終わってた。いや、色んな意味で終わってた。
だって、お父様、今さっき「あの男をどう思ってるんだ?」って訊いたばっかじゃん!?
その直後に、モリス様がわたしの家でくつろいでる写真って、タイミング悪すぎるにもほどがある。
──いや、モリス様は悪くない。
これは……女子会に巻き込まれただけ。うん、たぶん、そう。
私は無理やり心を落ち着けながら、岩を踏みしめた。
でも、どんなに深呼吸しても、顔の火照りはおさまらなかった。
長かった旅行がようやく終わる。
出発の日の朝、わたしは静かに荷造りをしていた。
モリス様との旅の思い出──ではない。
このホテルの部屋で作り上げた数々の“モリスグッズ”が、思った以上にスペースを取っている。
刺繍入りのハンカチに、手縫いの巾着、イニシャル入りの小さなクッション。
気づけば「推しのいる生活セット」みたいになってた。
自作で。
……わたし、何してたんだろう、この旅。
いや、違う。
ちゃんと意味はあった。
だって、モリス様への気持ちを、改めて“信じ抜く覚悟”に変えられたんだから──。
⸻
ふと、視線の先。
ベッド脇に置かれた、お父様の旅行カバン。
そのすぐ横に、カバーのかかった分厚い本が一冊、無造作に置かれていた。
なんとなく……嫌な予感がした。
吸い寄せられるように、そっと手を伸ばし、カバーの内側をめくる。
──その瞬間、目に飛び込んできたタイトル。
『改訂版 脱マインドコントロール完全ガイド』
……は?
頭が一瞬、真っ白になった。
え、なにこれ。
これって、え? モリス様のこと? わたしのこと?
まさか。まさか。
いやでも、お父様……もしかして、誤解してる?
モリス様は、違う。
ぜんぜんそんな怪しい人じゃないし、あんな優しい言葉、普通じゃ言えないし──
「……おい、もう出るぞ」
ガチャッとドアが開いて、お父様が入ってきた。
「……っ!」
わたしは咄嗟に本を閉じ、表紙を下にして置き直した。
何も見ていないふりをして、いつも通りの顔で振り向く。
「う、うん。準備できてる」
うなずきながら、鼓動がバクバクしてるのを、なんとか抑え込む。
お父様は、何も気づいていないみたいだった。
でも、わたしの中で何かが音を立ててずれた気がした。
──“信じてるモノ”を、否定されるって、こんなにも怖いことなんだ。
その怖さに、いまはまだ蓋をしておこう。
だってわたしは、
モリス様を──信じてるから。
(つづく)
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