川辺の無言者
@saikokuya
川辺の無言者
荒川の奥、藪をかき分けてたどり着く、
誰もいないポイントで釣りをするのが私の聖域だ。
夕暮れの川面にルアーを投げ、水音に耳を澄ます。
だが、こんな場所でも、ふと気付くと
30メートル先に釣り人が立っていることがある。
釣り人の考えることは一緒か、と苦笑しつつ、
驚きながらも無言で会釈する。暗黙の礼儀だ。
その日も、汗と虫に耐え、静かな川辺で竿を振っていた。
1時間ほど経ち、ルアーを巻いていると、
背後の藪がガサリと鳴った。
振り返るが誰もいない。気のせいか?
だが、妙な寒気がする。視線を感じる――
30メートル先の木陰に、男が立っていた。
古びた帽子、色褪せた服、竿を握っている。
顔は影で隠れている。
驚いたが、いつものように会釈した。
男も無言で頷く。
目が見えないのに、視線が刺さる。
男は動かない。
ルアーを投げず、ただ川を見つめる。
……変だ。
1時間経っても石像のよう。
気味が悪くなり、道具を片付け始めた。
ふと見ると、男が10メートル先にいる。
――いつ移動した?
心臓が跳ねる。
「いい場所だな」
掠れた声が、耳元で響いた。
振り返ると、男はまた30メートル先に。
幻聴か?
「毎夕、ここにいる。誰も来ないからな」
誰も来ない?
――なら、なぜここに?
笑顔でごまかし、「じゃ、帰ります」と藪を抜けた。
背後で、ガサガサと音が追いかけてくる。
振り返れない。
家に着き、落ち着かずXで呟いた。
「荒川の奥で変な釣り人に会った。
ルアーも投げず、近くにいるのに遠くに現れる。怖かった」
数分後、リプライが来た。
「それ、噂の『無言者』じゃん。
昔、荒川で流された釣り人。
夕方、同じポイントで竿持って現れるって。
ルアー持ってないだろ?」
背筋が凍った。
男の竿には、確かに何もついていなかった。
さらに別のリプライ。
「そいつ、会釈すると追いかけてくるってよ。気をつけな」
――会釈した瞬間、視線が刺さった感覚が蘇る。
翌朝、Xで見た投稿が頭から離れない。
「無言者に会ったら、絶対話しかけるな。
次の夕方、また現れる」
外から、ガサリと藪の音がした。
凍りついたまま、窓の外を見つめた。
誰もいないはずなのに――
影が、揺れた。
川辺の無言者 @saikokuya @saikokuya
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