Ep7. 光

 結局その日、なっちゃんはうちまでついてきて、そのまま泊まっていくことになった。


 昔からたまーにこういうことがあったから、お母さんも深くは聞かずに了承してくれて、私たちは一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、アイスを食べた。


 そして今、私の部屋に布団を二つ並べて横になっている。なんだかんだ、中学に入ってから初めてな気がするから、二年か三年ぶりかもしれない。


 明かりを落とした部屋で、ふたりして天井を眺めていると、なっちゃんがいつにも増して優しい声で言った。


「ねぇ、ひかり。『鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす』ってことわざ、知ってる?」


 それは意外な、と言うとなっちゃんは怒るかもしれないけれど、なっちゃんらしくない質問だった。


 なっちゃんが頭が良いのは知っているけれど、普段がああいう感じなだけに、こういうことを聞いてくるのは珍しい。


「あ! 今、あたしにしては珍しく、小難しい質問だって思ったな?」


 このやろー! と小声で言いながら、なっちゃんが私の布団に侵入してきた。図星を突かれた私は、謝りながらその領土侵犯を許すしかない。


 自然と向き合うかたちになったところで、改めてなっちゃんが同じ質問を私にしてきた。聞いたことのなかった私は、素直に首を横に振る。


「これはね、表にあらわすものよりも、内に秘めているもののほうが、はるかに切実だ、って意味。蛍は鳴かないけれど、その強い想いで身を焦がしながら光ってるんだぞ、ってこと」


 なっちゃんは、右手をそっと私の左手に重ねて、ぎゅっと握った。


「あたしね、ひかりは、蛍だと思うんだ」


「……私が?」


「うん」


 それは力強い肯定だった。なっちゃんは、空いていたもう一方の手も重ねて、包み込むようにして握ってくれる。


「確かにひかりは、引っ込み思案なところがあるし、しぐれと比べたら、クラスで目立つ存在じゃないのかもしれない。だけどその分、誰にも負けない想いを持ってる。……そうでしょう?」


 そのぬくもりに包まれながら、しかし私は、なっちゃんが言うようには自分を肯定できずにいた。


「……そういう風に言ってくれるのは嬉しいし、確かにその……気持ちはあるけど。でも……どうかな。蛍みたいに、綺麗に輝けているとは思えない、かも」


「どうして?」


「だって、私が持ってるものって、全然綺麗じゃない気がするから」


 それは、心からの本音だった。


 確かに私は、しぃくんが好きだ。明確な理由なんてない。もしかすると、ただ、一番近くにいた男の子だったからってだけなのかもしれない。


 でも、幼稚園の頃から一緒にいて、気付いたときにはもう好きだった。それは本当で、いつの間にか芽生えていたもので……だからこそ純粋で、美しいものかもしれないと、私も思う。


 だけど、それが原因で渦巻くもやもや……今、私の胸を焦がしている一番の悩みは、到底綺麗なものには思えなかった。


 私は、なっちゃんの優しさに甘えて、それを懺悔する。


「今日のこと――道端で、泣いちゃったこと。なっちゃんが吐き出させてくれたおかげで少し冷静になれて、思ったんだ。……なんて自分勝手な涙だったんだろうって」


 ひとつずつ、ゆっくりと、言葉を選びながら、並べた。


「山埜さんは、転校前からやっていたハードルを続けたくて、陸上部に入るだけ。しぃくんも、自分の記録を伸ばすために、毎日部活動を頑張っているだけ。それなのに、そのふたりを勝手に近づけたのは、他の誰でもなく……私」


 私はなっちゃんのおかげで、真実に気付けていた。


「わかる? なっちゃん。私は、同じ部活になるってだけで、勝手にふたりを近づけて、勝手に嫉妬して、勝手に泣いたんだ。しぃくんが山埜さんを好きって言ったわけでも、山埜さんがしぃくんを好きって言ったわけでもない。ただ『そうなるかも』ってだけで、怖くて、怖くて……泣いた」


 私は勝手な妄想で、勝手に涙を流しただけの、ばかな女だった。


「自分が選ばれる努力なんて何もできてない。この気持ちを、伝える勇気すら持てない。ただ震えて、怖がるだけ。こんなの……こんなの……蛍だなんて言える……?」


 気付くと、言葉と一緒に、また涙が流れてきた。この涙がなんの涙なのか、それすらも分からないまま、ただなっちゃんの胸の中で、私は泣いた。


 私はどうしようもなく弱い。今もこうして、自分では抱えきれないものを、なっちゃんに渡してしまっている。なっちゃんの優しさに、甘えてしまっている。


 そんな自分を自覚できているのに、それでもなっちゃんを頼ってしまう自分が、たまらなく嫌になった。


「――やっぱり、ひかりは蛍だよ」


 ……けれどなっちゃんは、そんな私に呆れもせず、いつものように、そっと頭を撫でてくれた。


「そうやって、どこまでもどこまでも、苦しみながら人を思うから蛍なんだ。――ひかり、それが、身を焦がすってことなんだよ」


 なっちゃんの腕が、私の頭を抱き寄せる。またあのときのように、どくん、どくんと彼女の<音>が聞こえた。


「自分勝手な悩み? 好きな男の子の近くに、可愛い女の子が現れたら不安になる。そんなの当たり前じゃんか。しかも相手はしぐれなんていうチートだぜ? あたしがひかりの立場でも、勝てるわけないって思っちゃうさ」


「なっちゃんでも……?」


「うん、きっとね。そりゃあたしも美少女だけど、残念ながらしぐれにゃ負ける。でもさ、それでもやめらんないじゃん? どこまでもぐるぐる考えちゃうじゃん? ……それがさ、多分、『好き』ってことなんだと、あたしは思うな」


 彼女の一言一言が、私の心にすっと入ってきた。


 全部染みこんで、私の心を軽くした。


 今回も、彼女は私を掬い上げてくれた。


 ふがいない。ふがいないけれど、そのぬくもりに支えられ、その鼓動に寄り添われて、私は何とか立ち上がる。


 私には、なっちゃんこそが光り輝いて見えた。


「ありがと……なっちゃん……!」


 私は、なんとかお礼を絞り出した。気付くと涙は止まっていて、代わりに奥底からどっと疲れが吹き出してくるのが分かった。


 私はなっちゃんの腕の中で、いつしか眠りに落ちていく。


 意識を手放すほんの間際、うっすらと、声が聞こえた。


「起きたら、作戦会議しよう。ひかり――」


 ……それに返事ができたのかは、分からないけれど。


 暖かい太陽に照らされて、自分も輝く勇気が少しだけ芽生えるのを、私は感じた。

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