星をみるひと
稲岸ゆうき
第1話【星の声】
夜空にまたたく星々。それはひとつひとつが地上に生きる人間の命の光。
【星読み】候補生の少女――アレサは、観測所からそのまたたきを見上げていた。
星の輝きを見ていると、アレサはいつも思い出す。それは、彼女が星読みになろうと決心するきっかけになった出来事だった。
『あなたには星の声が聞こえるのね。それは特別な才能なのよ。あなたは、きっと良い星読みになれるわ』
ひとりで泣いていた幼いアレサの頭をそっと撫でてくれた人。見知らぬ声におびえ、異端視されていたアレサを救ってくれた素敵な星読みの女性。
「でも、今はほとんど聞こえなくなっちゃったんだよなぁ」
17歳になったアレサは、星読みの候補生になった。
夜空の秩序を守る星の管理者である星読みになるためには、正規の星読みである監督官の下で共同生活を送る候補生になる必要がある。候補生としての訓練を終えたと監督官が判断すれば、晴れて正規の星読みになることができる。
早ければ数年、悪ければ何年経っても正規の星読みになることはできない。それほどまでに、星読みの使命は重い。
コンコン、と、背後でノックの音が聞こえ、アレサは振り返る。
ドアにもたれかかるように、同期でありルームメイトのクラリスが立っていた。
「先生が呼んでこいって。もうとっくに授業の時間よ」
「もうそんな時間? ごめん、夢中になっちゃって」
クラリスは大げさにため息をつく。
「まったく。星の観測は候補生の大事な役目とはいえ、そこまで没頭できるのは素直に感心するわ」
「うん」
観測日誌を束ね、アレサはあいまいな笑みで返事をする。
かつては毎日のように聞こえていた星の声。ここ数年、アレサにはそれがほとんど聞こえなくなっていた。
『ここにいれば、また聞こえるかも。なんて、言えないよね』
星の声が聞こえると告白したアレサは、幼いころに凄絶な迫害にあった。星が声を発するわけがないと、誰もがアレサのことを信じなかった。たったひとりを除いて。
クラリスとともに教室のドアを開けると、教壇にひとりの女性。その前に並べられた机にも、すでにひとりの少女が座っていた。
机に座っているのは、ルームメイトのシンシアだった。アレサとクラリスとシンシアは3人同室で同じ監督官の下で指導を受けている。
教壇に立っているのは正規の星読みであり、監督官のハンナ。
「先生、連れてきました」
「また観測所?」
「はい、すみません」
「熱心なのは良いことです。でも、時間を守ることも星読みには大事なことですよ」
「はい」
ハンナは柔和な笑みを浮かべ、ふたりに着席を促した。
「さて、全員揃ったところで星読みの基礎をおさらいしましょう。もう聞き飽きたかもしれないけれど、本当に大事なことですからね」
そう前置いてから、ハンナは慣れた口調でとうとうと語り始める。
「星は地上に生きる人間の命そのもの。星には定められた寿命があり、その最期を看取ることが星読みの使命です。必要とあらば星の延命をすることもありますが、原則禁止されています。その理由は――シンシアに答えてもらおうかしら」
「はい。星読みは星の寿命を左右する力を持っていますが、それをみだりに使用することは夜空の秩序を乱します。星読みの責任を認識するため、延命行為は原則禁止とされています」
シンシアは背筋を伸ばし、はっきりとした口調で答える。
ハンナはにっこりと笑って、両手を叩いた。
「完璧です。星読みは、夜空の秩序を守るもの。だからこそ、秩序を守る私たちには、より厳しい守るべき規律があるのです。星の光はとても儚く、ともすれば無条件に手を差し伸べたくなるでしょう。しかし、それでは夜空の秩序は保てません。かといって、冷徹すぎてもいけない。星読みに求められるのは、いつでも『正しさ』なのです」
正しさとは何か。その明確な答えを得ることが、星読みになる最初の条件だ。
むろん、アレサにはまだその答えが見つかっていない。
――たすけて。
アレサはハッと窓の外に視線を向ける。
「今、声が……」
「声?」
隣に座っていたクラリスがいぶかしむ。
「助けてって」
アレサは立ち上がり、窓に張り付くようにして夜空を見上げた。
暇さえあれば、目を閉じてもまぶたに焼き付くほど見上げ続けた光景。その瞳が、不規則にまたたく一つの星をとらえた。
星は本来であれば規則的なまたたきを放つ。だからこそ、夜空は秩序だった美しい光景を持つ。不規則なまたたきは、その星に異常が発生している証拠だった。
「アレサ! 待ちなさい!」
ハンナの制止する声も聞かず、アレサは観察日誌を手に教室を飛び出した。
「アレサ!」
クラリスとシンシアもアレサを追って教室を飛び出す。
ハンナもやや遅れて、教室を飛び出した。
アレサは廊下を走りながら観察日誌をめくる。さきほどの不規則なまたたきを放っていた星の記録を探し出し、確信した。
「やっぱり、まだ寿命じゃない。どうして」
まだ寿命を迎えていない星が消えようとしている。そして、確かにアレサに助けを求めた。
アレサは玄関から飛び出し、岸に拘留してある船の綱を外す。星読みは船で夜空を渡り、星のもとに向かう。
候補生であるアレサは、まだ訓練で数えるほどしか櫂を扱っていない。たどたどしい手つきで櫂を操作しながら、船を星のもとに向かわせる。
――たすけて、ぼくはまだ……。
先ほどよりもずっと弱々しい声がアレサの耳に響く。
「聞こえたよ。大丈夫、絶対に助けるから!」
息を切らせたアレサの前に、不規則にまたたく星が近づいてきた。
ほかの星に比べて明らかに弱々しく、今にも消え入りそうな光は、まるで死を目前にした息遣いのように見える。
「アレサ!」
星に手を伸ばしたアレサの肩が後ろから突然掴まれ、引き戻される。追いついてきたクラリスだった。
引き戻され、伸ばされたアレサの手の先で、星がふっと力を失い、弱く長い光の尾を引いて夜空の闇に落ちていく。そこにはただ静寂だけが残され、アレサとクラリスの荒い息遣いだけが痛いほどに響いている。
呆然とするアレサの頬を、クラリスの平手が打った。
「あんた、何考えてんのよ、死にたいの!」
「あ……」
打たれた頬の熱を感じながら、アレサもやっと自分が何をしでかしたのか状況を呑み込んだ。
星に触れるという行為は、星の寿命を左右する。
当然ながら、候補生にそんな資格はない。
正規の星読みでない候補生が星に触れれば、強烈な反発が発生し、最悪の場合死に至る。候補生になった初日から何度も聞かされた、候補生としての最も基本的な規律だった。
クラリスが引き戻さなければ、今頃どうなっていたか想像に難くない。
それでも、
「助けてって、あの星は私に助けを求めていたのに。私には、その声が聞こえたのに、何も、何もできなかった」
アレサは両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。
「そんなのはあなたの思い上がりよ。候補生である私たちに星の寿命を左右することなんてできない。あなたが熱心に夜空を見てたのは知ってる。だからこそ、こうやって星の異常に気付いたことも認める。だけど、それでも、候補生としての立場をわきまえなさい。本当の星読みになりたいならね」
クラリスは唇をかみしめてから、突き放すような言葉をアレサに投げかけた。
「うん……ごめんね、ありがとう」
シンシアを同乗させたハンナの船が追い付いてくる。
いつもだったらその優雅な櫂使いに見惚れるアレサも、ハンナの硬い表情に胸が重くなった。
「アレサ、あなたの行動は重大な規律違反です。もしもクラリスが止めなければ、もっと深刻な事態になっていたかもしれません」
そう言ってからハンナはクラリスに向き直る。
「よくアレサを止めてくれました。本来であれば私の役目だったのに、監督官として恥ずかしい限りです」
「いえ、私も夢中で……」
「アレサ、あなたには3日間の謹慎処分を命じます。クラリス、シンシア両名を監視役に任命します。3日間、アレサの行動をよく監視するよう、お願いしますね」
アレサはがっくりとうなだれた。
アレサのルームメイトであるクラリスとシンシアは、アレサが謹慎処分を受けている間は授業を受けることができない。名目は監視役だが、実質の連帯責任だった。
「クラリス、拝命します」
「シンシア、拝命します」
「アレサ、謹んで承服いたします……」
「結構。クラリスとシンシアは先に戻っていなさい。アレサには話があります」
「わかりました」
シンシアはクラリスの船に、アレサはハンナの船に乗り換え、クラリスとシンシアは先に岸へと戻って行った。
その後ろ姿を見送り、見えなくなったころにハンナは深いため息をつく。
「星の声が、聞こえましたか」
「……はい」
「10年前のあの日、星の声を聞いたあなたを星読みに誘ったのは私でしたね」
ハンナはゆっくりと舟を漕ぎだす。
アレサの脳裏に、はっきりとその時の記憶が浮かんでくる。
誰も信じてくれなかったあのころ。気持ち悪いと、うそつきだと迫害されていたアレサを、唯一認めてくれたあの声。
「期待を裏切ってしまって、申し訳ありません。私、きっと星読みに向いてないんです」
秩序を守る星読みは、より厳しい規律を守らなければならない。
アレサはその規律を破ってしまった。
「期待を裏切られた覚えはありませんよ」
ハンナの言葉に、うなだれていたアレサは顔を上げる。
そこには、いつもと変わらない柔和な笑みがあった。
「あなたは規律を破った。それは覆しようのない事実です。でも、星読みに求められることは正しさ。あなたはあなたの正しさに従った。これもまた疑いようのない事実」
「でも、それじゃあ」
「そうですね。規律を破ることは正しくない。では、正しさとは何ですか?」
「それは……」
「そう、それにすぐ答えられるようなら、あなたはもう星読みであるはず。しかし、あなたはまだ半人前の候補生。答えられなくて当然です」
「だから」とハンナは言葉を続けた。
「探しなさい。あなたにとって本当の正しさを。それが星読みになるということ」
そう言ってから、ハンナは近づいてきた岸に視線を向ける。
つられてクラリスが岸に視線を移すと、心配そうに二人を見つめるクラリスとシンシアの姿があった。
アレサは口元を抑え、その両目から涙があふれる。
「よいルームメイトに恵まれましたね。3日間しっかり反省して、彼女が守ってくれたものの大切さをかみしめなさい」
「……はい!」
船が接岸し、飛び降りたアレサは待っていたふたりに抱き着く。
「ちょ、どうしたのよ。まったく」
「私、心臓が止まるかと思ったんですからね、もー!」
シンシアにぽかぽか叩かれながら、アレサはハンナに会釈して自室に向かう。
自室に向かう道すがら、廊下の窓からアレサは星空を見上げる。
星々はいつものようにまたたき、美しい夜空を形作っている。
『なんでだろう、胸騒ぎがする』
再び聞こえるようになった星の声。
ひどく、嫌な予感がした。
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