夜道の釘打ち-2

 勢いよく開け放たれた扉の向こうに、白衣を身にまとった一人の女性が立っていた。私たちと二回りほどしか変わらないであろう若さと、その、手入れが行き届いていないのであろう、ボサボサの長髪は、自堕落な大学生を思わせる。であるのに、その目は「全てを見通しているのではないか」と思うほどに鋭く光っており、そのアンバランスさが、この人の非凡である事を語っている。

 彼女こそ、このサークルの顧問にして、本大学の「異界研究科」教授、若き天才 灰走はいばしり 白頭はくとう、その人であった。

「なんだい、なんだい。誰が地獄の鬼だってぇ?」

「いや、何でもないっす。」

 条件反射的に答えていた。まるで、猛禽類にでも睨まれているかのような、圧迫感を感じる。

「ふぅん?まぁ、良いだろう。わしは、寛大だからねぇ。ところで、肉まん君。進捗の程はいかがかねぇ?」

 そう問われた、望山改め、肉まんは、

「ぼちぼちでござる。」

と、目を合わせずに答えていた。やはり、この非人道的量のタスクを投げてきたのは、この鬼のようである。

「なるべく早めに頼むよぉ。わしの研究に活用させてもらう予定だからねぇ。」

「了解したでござる。」

 もはや、声に生気は感じられなかった。望山のことを不憫に思いながらも、かねてから思っていた疑問を問うてみることにした。

「しかし、こんな大量の書籍をデータ化させて何に使うんです?元々、教授の持ち物でしょう?」

 目線の先にある大量の書物。これら異界見聞録は、全て「異界」に関する資料である。いつ、どこで、どんな異界が存在していたのか画、事細かに手書きで記述されている。異界オタクの望山にとってそれは、お宝の山であり、この部屋に入り浸っては読みふけっていたのだった。

「いやぁ、これはこの部屋にわしが来たときには既にあったよぉ。多分、前任者の持ち物なんじゃないかねぇ。」

 マジか、てっきり教授執筆であると思っていた。であれば、これは勝手に読んで良い類いの物であるのだろうか。

「まぁ、誰の物だって良いじゃないかぁ。使える物は、全て使うのがわしの本分だからねぇ。というわけで、君もレポートを適時書いていってくれたまえよぉ。」

 そう言いながら、「多田ノート」と書かれた大学ノートを差し出された。

「分かりました。」

 そう答え、手に取る。これが、本サークルにおける私の仕事である。すなわち、自身が出会ってきた異界のレポートだ。こんなに異界に迷うような奴は、やはり珍しいようで、教授にとって貴重な研究資料になっていたのだった。

「では、諸君引き続き作業を進めるようにぃ。わしは、自分の研究に戻るからねぇ。」

 そういって、灰走 教授は元の部屋へと引き返していった。


 どれくらい時間がたったであろうか。私が、直近の異界に関してのレポートを書き終える頃には、周囲はすっかり暗くなっていた。そろそろ、帰る頃合いであろう。

「おろ、多田氏。そろそろ帰るでござるか。であれば、拙者も途中までお供するでござる。」

 そう言いながら、望山も身支度を始める。こいつとは、家の方向が同じなので、良く一緒に帰宅している。とても優しい奴である。だからこそ、下手にタスクが降ってくるのだろう。

 望山の準備を終え、部屋を出ようとした時、

「おやおや。二人ともご帰宅かいぃ。お疲れ様ぁ。」

灰走 教授から声を掛けられた。ひょっこり、部屋から顔を出しこちらを覗いている。

「「お疲れ様です。」でござる。」

 二人して面倒事を押しつけられる前に、そそくさと帰ろうとしたのだが、

「あぁ、ちょっと待ちたまえぇ。」

何かを思い出したかの様に、部屋をゴソゴソ物色し始めた。今のうち、逃げ出してしまおうかと考えていると、灰走 教授は、「おう、あったあったぁ。」と声に出して、こちらに手に持った物を差し出した。

「これは、ハンマーですか。」

 一般的に想像できるような、金属の柄に打撃面と釘抜きのある頭が取り付けられている。何故こんな物を、と問いかけると、

「まぁ、持っておいて損はないだろうぅ?」

と返された。いや、荷物が重くなるので損しかないのだが。


 そんな不思議なやりとりを終え、帰路につく。望山からは、先日の異界の事を根堀り葉掘り聞かれていた。他言無用、噂にしない、という条件付きであの日あった事を話して聞かせる。これが、望山との日課であった。

「いや~、相変わらず多田氏の話は臨場感があっていいでござるな~。」

 すごく、楽しそうな顔をしてやがる。まるで、映画を見ている小学生のような顔だ。

「こっちの気も知らないで、こちとら死にかけてんだぞ。」

「まぁ、多田氏なら大丈夫でござろう。何せ、経験値が段違いでござるからな~。」

 そんな軽口を言い合うのもまた、私にとって心地よい時間であった。

「そういえば、ハンマーで思い出したんでござるが、近頃こんな噂が流れているようでござる。」

 一通りの説明を終えた後、今度はこちらがと言わんばかりに望山が口を開いた。

「噂?」

「なにやらこのあたりで、夜な夜な、釘を打つ音が聞こえるそうでござる。ある人曰く、"誰かが丑の刻参りをしている"とも。」

 この現代に丑の刻参りとは、なんと古風な。というよりも、

「その噂の元って、多分、ここ最近の工事だろう? それも、数日前に終わったからなぁ。」

ここ数日、大学の裏手で工事が行われていたのだ。しかも、木造家屋の。多分原因はそれなのだろう。

「多分、そうでござろうな~。噂が流れ始めたのも工事開始のすぐ後でござったし。」

 やはり、臨場感がたりないでござるな、と望山が唸る。

 そう、所詮噂の根幹などその程度の物なのだ。よほど大規模の噂、それこそ都市伝説にでもならないかぎり異界には繋がらないとされている。よほどの事がない限り。

 日はとうに暮れ、夜風が心地良い。蝉も眠りについたのだろう、あたりは静寂に包まれ、雲一つない夜空には、ぽつぽつと星が輝いていた。そんな透き通るような夜に、「カーン」と何かを打ち付けるような音がどこからともなく響き渡った。まるで、釘を打ち付けるような、そんな音であった。

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