半妖白狐と契約婚〜旦那さまは神使の末裔〜『契約嫁』の作る〈鎮めの手料理〉は妖を救う!?

ことは りこ

プロローグ〜第一話


 それは最初、緋色の花びらに見えた。


 ゆらりゆらりと舞い落ちては消える音のない世界で。


 それは緋い雪のようにも思えた。


 ああ、またこの夢か。


 璃夜りよは気付いた。


 あのときのことを夢に見ているのだと。


 だとしたらあれは花弁でも雪でもなく火の粉だ。


 みんなみんな、何もかも燃えてしまったあの夜の出来事。


 燃えてしまえ、消えてしまえ。


 私はあのとき、そう願っていたように思う。


 本当は怖かったのに。


 もしもこの炎に包まれたら、楽になれるのではないかと、そう思ってもいた。


 このまま、炎に包まれてしまっても。


 きっと悲しむひとは誰もいない。


 私を慈しんでくれた人はもういない。


 このままひとりぼっちで生きるのは寂しくて辛い。


 だからもういいや。


 ぜんぶ手放して終わりに………。


 あのとき、私はそんなふうに思っていた。


 心を手放そうとしていた。


 けれど同時にあの声が、私の心を呼び戻した。


 どうしてそう思うんだい?

 まだ出会ってないだけだ。


(………だれ?)


 少なくとも僕は心配だし、悲しいよ。

 君のこと気に入ったからね。


 知らないひとの声がして。

 そのひとは動けなかった私を、炎の中から救い出して言ったのだ。


 諦めなくていいんだ

 君を必要としている者たちがいるから。


 だから生きてていいんだよ。


 私はあのとき、とても安心した。


 そしてあの声と言葉が、とても嬉しかったのだ。



◇◇◇第一話◇◇◇



 今朝の玉子焼きは、なんだかいつもの味にならなかった。


 鮭を焼く香ばしい匂いの立つ台所で、璃夜は小さなため息をついた。


 形も色艶も良く焼けているのに、味見をしてみたらいつもの玉子焼きと違う。


 あれはまだ戦前、璃夜が小さくて幼く、信州の田舎町で祖父母と暮らしていた頃。

 初めて祖母に玉子焼きの作り方を教わってから、もう何度も作っていたはずなのに。


 でもこの家の台所で作ったのは、まだ数えるほどしかないのだが。

 それでも玉子焼きには自信があった。


 だからといって不味いわけではない。


 甘さが少なかったのかも……。


 そう気付いたけれど。


 甘さが足りないなんて、贅沢なことだ。


 終戦から五年が経ち、食糧不足が改善されてきているという話は聞くが、依然として闇市も配給制度も無くなってはいないし、必要としている国民は多い。


 それなのに、このお屋敷には甘味料だけでなく、塩や醤油、味噌はもちろん、璃夜が知らない異国の珍しい調味料もあり、米や野菜などの食材も足りている。


 このお屋敷〈傅雲つくも邸〉に来て二ヶ月が経ち、台所をひとりで使わせてもらうようになってからは一ヶ月になる。

 まだまだ驚くことも落ち込むことも多い。


 とはいえ玉子焼きを前に、どうしたらいいかなどと、いつまでも考えていても仕方ない。


 食べ慣れた味に作れなかっただけで、決して失敗作ではない。

 けれど気分は落ちる。

 昨夜、あの悪夢を見たせいもあって余計に気が滅入る。


 夢のせいだ。だから味付けが狂ったのかも。


 そう、夢のせいにしてしまおう。


 璃夜は心の中でそんな言い訳をしながら、残りの献立を作り終えた。


 今日の朝ごはんは焼鮭と玉子焼き。作り置きしてあった〈ほうれん草の胡麻和え〉と昨夜余った〈茄子の揚げ浸し〉も小皿に盛っておく。それから〈胡瓜の浅漬け〉。

 お味噌汁は小松菜、大根、人参と具沢山だ。


 白米も羽釜の中で艶よく炊けている。


 急須と湯呑みも戸棚から出し、家主が食後に好むお茶も用意する。


 家主の名は傅雲つくも 蒼玥そうげつ


 蒼玥は璃夜の夫ではあるが、ワケあって契約上の『旦那さま』だ。



 璃夜の旧姓は望月。生まれは信州の田舎町だった。


 幼い頃に亡くなったという両親の代わりに、父方の祖父母が、たくさんの愛情を注いで育ててくれた。


 贅沢な暮らしではなかったが、優しい祖父母との生活は穏やかで幸福だった。


 けれど終戦を迎えてから三年後、璃夜が十六歳になった春、高齢だった祖父母が相次いで亡くなった。

 そして疎遠だった叔母の君江がやってきて半ば無理矢理、璃夜は東京へ連れて行かれ、君江は内縁の夫と暮らす邸で璃夜を使用人として扱うようになった。


 それから二年。邸での辛い仕事や、冷酷な伯母からときどき受ける嫌がらせにも璃夜は耐えてきたが、邸で何より恐ろしかったことがある。

 それは佐久間 泰造という名の君江の内縁の夫が人間ではなかったことだ。


 人外、妖怪、魑魅魍魎。


 璃夜は幼い頃から、そういった類いの生き物を見ることができた。


 けれど「そういう力は、なるべく隠して生きるんだよ」と祖父母に言われて育った。


 泰造は人間の姿に化けているようだが、璃夜に見えていたのは人間とは程遠い姿だった。


 赤くドロドロとした塊が不気味に揺れながら人の輪郭を作り、そこには目も鼻も口もないという異質な存在。


 泰造が邸に来るのは週に一、二回程度で、泰造に関しては君江が自ら甲斐甲斐しく世話をしていたので、使用人たちを呼ぶことは少なく、璃夜もその姿を遠目に見るだけで済んでいた。


 けれどあの日。

 今から三ヶ月ほど前、三月の末。


 邸に異変が起きた。


 覚えているのは真夜中に大火事が起こり邸中が炎に包まれたこと。


 それ以外のことを璃夜はよく思い出せずにいる。

 記憶障害は一時的なもの、大火の影響、精神的ショックによるものと診断されているが。


 なぜ火事が起こったのか。


 あのとき自分はいったい………。


 思い出そうとすると酷く体が痛む。


 とくに喉の辺りが。


 炎の中で焼けた空気や煙を吸い込んだせいで、声が上手く出せず、運良く助け出されてからも、しばらく入院していた。

 退院後、最近まで通院をしていたけれど。声の調子も戻り、他に怪我はなかったので、今はもう通院も薬の必要もないと医師に言われていた。


(この痛みも、精神的なものかもしれない)


 璃夜のほかに邸で働いていた使用人たちは皆、火災の犠牲になり、君江も亡くなったと聞いている。

 ただ、遺体は見つかっていない。

 遺体すら残らないほど、炎は邸もろともすべて跡形もなく燃やし尽くしたのだろうか。


 しかしそんな火災は異常だとも思える。


(私だけが助かった)


 助けられたのだ。


 助けてくれた彼は、傅雲 蒼玥と名乗った。


 禍々しく燃え盛る緋色の炎の中に、突然差し込んだ眩しい銀色の光。

 璃夜は一瞬、光が風のように感じた。

 そしてその風の中から現れたのは神主のような白装束姿の人で……。


 ひと……?


 違う。人ではないとすぐに思った。


 璃夜を見つめる瞳は濃い藍色で。

 真っ直ぐ肩にかかる長さのある髪は白銀色に輝いていた。

 しかも頭にはふっくらとした大きな獣の耳。

 そして腰の後ろからふっさりと伸びて揺れる、もふもふした尻尾まであったのだから。


 そのときはまだ名前も、なぜ璃夜を助けたのかも、知らなかったけれど。


 璃夜を抱き抱え、蒼玥は言ったのだ。


 生きていていいんだよ、と。


◇◇◇


 その後、入院をしている間に分かったことが幾つかある。


 蒼玥は璃夜に、自分は『妖類 怪異 追捕部隊』に属している者だと言った。


 怪異の原因究明、そして関わっているとされる妖の存在を把握し、追って捕獲、又は祓うことを仕事とする組織。

 けれど政府はその部隊の存在を公にしていない。

 怪異や妖の存在が国民に恐怖と混乱を与えかねないから、というのが理由だとか。


「部隊って言ってもね。隊員なんかほんと少なくてさぁ。まぁ、隠密に動くこと多いし、大勢いればいいってものでもないけど」


 入院中ほぼ毎日、璃夜のいる病室へ顔を出していた蒼玥の話では、佐久間邸の火事は怪異扱いとなり、火災は妖が起こした事件とされ、現在はまだ調査中とのことだった。


「あの妖は逃げているんですか?」


「……そう。まだ行方不明なんだ、佐久間泰造は。でも君はあの男が妖だと言うんだね?」


 蒼玥の言葉に、璃夜はハッとした。


 あの妖、なんて言ってしまった。


 それは妖が見えることを自ら露呈したようなものだ。


「それじゃあ、僕が隠してる部分も、もしかして見えてるのかな?」


 蒼玥のさらりとした言い方に驚いた。

 妖が見えるという奇異な娘を前にしても動じるところがない。

 そのうえ浮かべている表情も柔らかな笑みで。不思議とこちらに警戒心が起こらない雰囲気を持っていた。


 璃夜は困ったが言い訳も思い浮かばず、仕方ないと思い、正直に答えた。


「隠してるというのは、髪の色とその……狐のような耳と、大きな尻尾のことですか?」


 あの火災の中、璃夜の前に現れたときの蒼玥の髪色は闇夜に輝くお月様のように綺麗な銀色だった。

 けれど今、目の前にいる蒼玥の髪は真っ黒だ。


 じっと集中して彼を見ていると、本来の色であろう銀髪が見えてくる。

 そして狐のようなふっさりとした耳も、モフりとした尻尾もぼんやりと見える。


 ただ、瞳の色はあのときと同じ、濃い藍色だったが。



「当たりだ」


 蒼玥はなぜかにこにこしながら答えた。


 彼は確かに燃え盛る炎の中から、私を救ってくれたひとだ。


 あのときは神職が着るような白装束だったけれど、今は洋装で背広姿だった。


 よく見れば顔立ちも整っていて、上背がありしっかりとした体つきなので、洋装でも和装でもなんでも似合いそうだと思った。


「それじゃあ決まり」


「え……?」


 いったい何を決めたというのか。


 病室のベッドの上で首を傾げる璃夜に向かって蒼玥は言った。


「傅雲家で君を保護しよう。それから僕のお嫁さんになってほしいな」


 は?


「とりあえず契約婚ね。だからそんなに心配することはないよ」


 いや、心配もなにも。


 何言ってるんだろう、このひと………じゃなくて。この妖……?とも少し違うような。


 半妖白狐?


 そしてお嫁さん?


 それから契約婚!?


 あろうことか病室で、出逢って間もない不思議な彼の突然すぎる申し出が、その後の璃夜の生活を一変させるような出来事となった。






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