第15話 6月3週目

 雨が降り、秋子を乗せて車で出社した。


 義父が代表取締役社長の会社で、妻が会長、私は専務、他の役員も同じ名前で役員を連ねる同族企業は、小さな国家のようだ。


「室田専務、室田会長、おはようございます」


 役職をつけないと、誰が誰だか分からない。


「室田専務、室田社長がお待ちです」


 もう、室田は外してしまってもいいのではないかと、いつも思う。

 役職だけで充分だろう?笑ってはいけないので、我慢、我慢。


 社長室をノックする。


「おお、夏生君、おはよう」

「おはようございます」

「秋子から、聞いたかね?」

「はい。フランス出張の件、伺いました」


 陽気な人格に威厳を兼ね備えた、尊敬すべき人だ。この義父に恥じぬ生き方をしたい。


「視察と打ち合わせの後、秋子をツールドフランスに連れて行ってやってくれ」


 フランスで行われる、自転車のロードレースで、私も過去に出場経験がある。


「秋子は、ああ見えても自転車が大好きなんだよ。滞在は延長してもらって構わないから、思う存分、楽しませてやって欲しい」

「はい。ありがとうございます」




 雨は終日降り続き、再び秋子を乗せて退社する。

 いつもの守衛の小屋を通り過ぎる時、傘をさした林田君が目に入る。


 思わず、車を止めた。


「何か用かな?」


 運転席から窓を開けて話しかけた。


「え?あ、すみません、あの……」


 私が車に乗っていることが意外なのだろう。


「秋子、すまないが、運転を変わってくれないか?」

「はい……」

「あの方と話しがあるので、先に帰ってて欲しい」

「分かりました」


 折り畳み傘を開き、車を降りる。

 助手席に回り、運転席まで秋子に傘をさした。


「さて、今日は何のご用かな?」

「す、す、すみません!」

「別にいいよ。私のことを待っていたんだよな?」

「はい!」


 駅まで、林田君と歩く。


「大変、恐縮なのですが……僕にも、じ、自転車を、え、選んでいただけない、かと、思いまして」

「君もロードバイクに乗るのかい?」

「はい!」


 帰り道にある、ロードバイクの専門店に寄る。


「夏生さん!最近、よく来てくれますね」

「はは。原田さんはあの後、どう?」

「よく来てくれますよ!装備品やメンテナンス用品を買っていただいて、彼女、すごいですよ!」

「それはよかった」


 さて、林田君はどうしたいのかな。


「今日は、彼に自転車の選定を頼まれてね」

「あの、室田さんと同じ自転車を……」

「え?室田さんの……は、カスタム仕様で、同じのはまず君には無理だし、なんだかんだで100万超えるよ?」

「そんなにするんですか?!」

「あ、ああ」


 まあ、自転車に100万はビックリするよな。それにしても、林田君は原田さんより面白いかもしれない。


「じゃあ、はる……原田と同じ自転車はありますか?」

「原田さんにはね、これの色違いをご購入いただきましたよ」


 林田君は、原田さんの為に自転車を購入する気なのか。

 他に来客があったので、店員との話を引継いだ。


「彼女には少しハードルが高いかと思ったんだが、最初から決めていた様だったので、他を勧めても無駄だった。悲しそうな顔をするばかりで、結局、それを買って、乗って帰ったよ」

「そうだったんですね」

「乗りこなせないだろうと思っていたんだ、正直、その時はね」

「はぁ」

「でも、近くのヒルクライムに、それで付いて来た、なかなかのガッツだと思ったよ」


 林田君が、ふっと笑った。


「はい。あいつは、やると言ったらやるやつなんで」


 ちゃんと分かってるじゃないか、彼女の良いところ。


「ああ。大したもんだ」

「あの。僕も彼女と同じのを買います。今日は乗って帰れませんけど……」

「それがいい。調整は手伝いましょう。私も来週からしばらく出張でいないので、今日中にやってしまいたいですが、どうですか?」

「よろしくお願いします」


 林田君は他のロードバイクには一切またがることなく、原田さんと色違いのを購入した。


「配達も出来ますよ?」と、店員が言ったが、林田君は「雨じゃない日に乗って帰ります」と言い張って、売却済みの紙を貼って店を出た。


「ありがとうございました。お礼に、夕飯をご馳走させていただけませんか?」

「では、お言葉に甘えて」


 こんな事は初めてに等しい。

 室田に姓が変わってから、同期のみならず、先輩も後輩も態度が変わってしまい、仕事帰りに飲んで帰る同僚などいない。


「なぜ、君もロードバイクを?」

「春香の好みに寄せていこうかと……へへ」


 照れくさそうに笑う林田君、君はカッコイイよ。


「ここ、よく、春香と来るんです。そして、いつも、あなたの話をしています」

「そうですか」

「春香はあなたにベタ惚れで……」


 何を言おうとしてるんだ。


「僕はそんな彼女にベタ惚れなことに、つい最近、気が付いたんです」


 そういう事か。


「だから、今から頑張ります」

「ガンバレよ」



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