第28話 神童のパシリ

翌日、俺の平穏な日常は、教室のドアがスパン!と開けられる音と共に、木っ端微塵に粉砕された。

「行くぞ、僕のポーター、カゲヤマ・ケイト。ヴァイオリンのレッスンに付き合え」

そこに立っていたのは、学園のアイドル、響レン。その手には、見せつけるようにヴァイオリンケースが掲げられている。

クラス中の視線が、一斉に俺に突き刺さる。憐れみ、好奇心、嫉妬……。


(……殺してくれ……)


俺は、死んだ魚の目で席を立ち、無言でそのヴァイオリンケースを受け取った。


こうして、俺の地獄のアシスタント生活は始まった。音楽室への移動中、廊下ですれ違う生徒たちが、神童にかしずくGランクの俺を見て、ひそひそと噂話をしているのが聞こえる。精神的に、かなりくる。


そして、俺たちの奇妙な主従関係は、当然、黙っているはずのない少女たちの介入を招いた。

「響くん、これはどういうことかしら」

音楽棟の廊下で、俺たちの前に立ちはだかったのは、腕を組んだ生徒会長・白金姫奈だった。

「影山くんは、我々の捜査に不可欠な人材よ。あなたの個人的な召使いではないわ」

「おや、生徒会長」

レンは、悪びれもせずに笑う。


「これも捜査の一環だよ。僕という最重要護衛対象のそばに、彼を『避雷針』として置いているだけだ。君がそう命じただろう?」

「ぐっ……!」

姫奈が、自分の言葉でやり込められて、悔しそうに顔を歪める。


「せ、先輩! 影山先輩、なんだか顔色が……! あの、皆さんで食べようと思って、サンドイッチを作ってきたんです!」

ひまりさんが、心配そうにバスケットを差し出す。

「ほう、気が利くな」

レンは、ひょいとバスケットから卵サンドを一つまむと、美味そうに頬張った。

「カゲヤマ、お前も感謝しろ。心優しい友人を持って、幸せ者だな」

その言い方は、まるで俺が一人では何もできない、哀れな存在だと言っているかのようだ。


すると、それまで黙っていたシオリが、すっとスケッチブックをレンの眼前に突き付けた。

そこには、ふんぞり返って家来を顎で使う、傲慢な王様レンと、その下で涙を流しながら荷物を運ぶ奴隷の姿が、非常にシャープなタッチで描かれていた。

無言の、しかし、痛烈な皮肉。

だが、レンはそれを見て、愉快そうに声を上げて笑った。

「はっ! まさに王と道化師。的確な描写だ、音無シオリ」


少女たちの援護射撃は、この傲慢な神童には全く通用しない。



結局、俺たちは全員、音楽室になだれ込むことになった。

レンは、俺を顎で使いながら、昨夜の蒐集家コレクターの襲撃を分析するためだと言って、ピアノを弾き始めた。

「カゲヤマ、そこの楽譜をめくれ」

「喉が渇いた、水を持ってこい」

「呼吸音がうるさい、黙っていろ」

俺は、いつかこいつの飲み物に下剤を入れてやろうと、心に固く誓った。


レンが、昨夜の不協和音を再現しようと、あるフレーズを繰り返し弾いている。

聞いているだけで頭が痛くなるような、歪んだメロディー。

俺は、壁に寄りかかったまま、あまりの退屈さと疲労で、意識が飛びかけていた。


その、半分眠っているような、思考が停止した状態で。

俺の口から、ぽつりと、言葉が漏れた。


「……その音……旧校舎のピアノと、似てるな……。もっと、テンポが速いけど……」


それは、考えるよりも先に、口から出た言葉だった。

面倒な音楽を二度も聞かされた俺の脳が、無意識に二つの不快な音を結びつけただけだった。


ピタッ。


その瞬間、音楽室の全ての音が、止まった。

レンの指が、鍵盤の上で凍りついている。

姫奈が、ハッとした顔で俺を見た。


「旧校舎……まさか、あの時の呪いのピアノと!?」

「……言われてみれば、メロディーの根幹が、似ている……」


シオリも、目を見開いて頷く。


全員の視線が、俺に集中する。

しまった、と気づいた時には、もう遅かった。


レンは、ゆっくりとこちらを振り返った。

その瞳は、もはや俺をGランクのパシリとして見てはいなかった。

未知の現象を解明しようとする、天才の、獰猛なまでの探求心に満ちていた。


「……お前、音楽の才能は皆無のはずだ。どうして、それに気づいた?」


「え、あ、いや……なんとなく、似てるなー、って思っただけで……。もう帰ってもいいですかね?」

俺が必死にごまかそうとするも、レンはそれを聞かずに、狂気と歓喜が混じったような笑みを浮かべた。


「面白い……。面白いぞ、カゲヤマ・ケイト! 道化師が、時折、真実を突くというわけか!」

彼は、興奮したようにピアノへと向き直る。

「生徒会長、分かったぞ! 蒐集家コレクターは、ただスキルを盗んでいるんじゃない! あいつは、『作曲』しているんだ! 複数の事件に、同じ主題テーマを使ってな!」

そして、彼は恍惚とした表情で、俺を振り返った。


「そして、このGランクの道化師は……もしかしたら、僕にも聞こえないその『総譜フルスコア』を、聞くことができる唯一の耳を持っているのかもしれない!」


(なにを言っているんだ…)

もうだめだ、と俺は思った。

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