第20話 保健室の四角関係

西日が差し込む保健室は、消毒液の匂いと、気まずいほどの静寂に満たされていた。

ベッドの上では音無シオリが静かに筆を走らせ、その傍らでは白金姫奈が書類の山と格闘し、甲斐甲斐しく動く小鳥遊ひまりさんが時折、甲高い椅子を軋ませる。

そして、そんな三人の美少女が織りなす空間の隅っこで、俺、影山ケイトはひたすらスマホの画面をタップしていた。完璧な布陣だ。俺という異物が、この繊細な均衡を壊さないための、完璧なポジショニング。


(……気まずい。気まずすぎる。なんで女子三人と男子一人が、こんな狭い空間にいるんだ。何の罰ゲームだこれは)


俺の心の悲鳴が聞こえたかのように、その均衡を破ったのはひまりさんだった。

「あ、あの、影山先輩!」

彼女は、緊張をほぐそうとする小動物のような仕草で、可愛らしくラッピングされたタッパーを俺の前に差し出した。

「クッキーです! よかったら、どうぞ!」


(ここで俺だけが受け取って食べ始めたら、絶対後で会長あたりに『緊張感がない』とかネチネチ言われるパターンだな……)

俺の面倒ごと回避センサーが、けたたましく警報を鳴らす。恋愛やなんやの機微には一切反応しないこのセンサーだが、こと平穏を脅かす面倒の種に対しては、超高性能なのだ。こういう時の最適解は、全員を巻き込んで責任を分散させることだ。


「お、マジか、サンキュ! ちょうど腹減ってたんだ」

俺はタッパーを受け取ると、さも当然の流れであるかのように、ベッドの上のシオリに向けた。

「なあシオリ、お前も食うか? 小鳥遊さんの手作りだってさ。美味いぞ、たぶん」


俺の行動は、ひまりさんの「二人を繋げたい」という健気な意図とは全く別のベクトルから、しかし結果的に、彼女のパスを完璧に繋ぐ形となった。

シオリは、俺が差し出したクッキーを無言で一枚、つまんだ。そして、お返しだとでも言うように、自分のスケッチブックをこちらに見せる。

そこには、デフォルメされた可愛らしいグリフォンと、その隣に立つ、棒人間に毛が生えた程度の俺が描かれていた。不器用だが、どこか温かい線だった。

「……これ、あげる」

「へぇ、うまいじゃん。俺よりは」


計算も下心もない、思ったままの感想。それが良かったのか、感情を滅多に見せない彼女の唇の端が、本当に微かだが、持ち上がったように見えた。


その、ほんの一瞬だけ生まれた穏やかな空気を、鋭利な刃物のように切り裂いたのは、やはりこの女帝だった。

「影山くん」

氷のように冷静な声。だが、完璧な微笑みの裏で、瞳だけが全く笑っていない。

「護衛任務中に、他の生徒と必要以上に親しくするのは感心しないわ。それに、あなたには昨日の事件の報告書を清書してもらう必要がある。こっちに来なさい」

それは、公私混同だと自覚しつつも、そうせずにはいられないという、彼女の内心の苛立ちの表れだった。

「えー、報告書……超面倒くさい……」

俺はぼやきながらも、巨大な権力には逆らえず、とぼとぼと彼女の隣の椅子へと移動した。姫奈の綺麗な銀髪から、ふわりとシャンプーのいい香りがして、なんだか落ち着かない。


そんな甘いお菓子と消毒液の匂いが混じり合う、奇妙な均衡を破ったのは、無遠慮なノックの音だった。

入ってきたのは、険しい顔をした風紀委員長の黒鉄ゴウ。その手に持つ一枚のレポートが、穏やかな午後の空気に、不吉な影を落とした。


「会長、昨日の件で緊急報告です」

彼が差し出したレポートに目を通した姫奈の顔から、すっと血の気が引いた。

「分析の結果、犯人が使ったのは対象の精神に直接干渉するスキルだと判明しました。それだけではない。同時に、対象のスキルデータをスキャンし、抜き取る機能も確認されています」

「!」

部屋の空気が、一瞬で凍り付く。

「犯人の目的は、やはりスキルデータの『蒐集』……!」


黒鉄委員長は、さらに苦々しい表情で、決定的な事実を告げた。

「そして、もう一つ。……音無くんのスキルデータの一部が、すでに抜き取られた後でした」

「なんですって!?」


姫奈の悲鳴に近い声が、静かな保健室に響いた。

「我々の介入で、犯人は完全にデータを抜き取る前に中断せざるを得なかったのだろう。だが、これはつまり……」


姫奈が、震える声でその言葉を引き継いだ。


「……犯人は、不完全なデータを完成させるため、必ずもう一度、音無さんを狙ってくる……!」


その絶望的な結論に、ひまりさんが息を呑み、シオリが自分の体を強く抱きしめる。

そして俺は。


(マジかよ……。てことは、この面倒くさい護衛任務、期間延長確定じゃねえか……。最悪だ……)


一人だけ、全く違うベクトルの絶望に打ちひしがれ、顔面蒼白になっているのだった。

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