第3話 疑惑の眼差しと、完璧な言い訳

やばい。

人生で感じたことのないレベルの「やばい」が、俺の全身を駆け巡っていた。

目の前の白金姫奈の紫の瞳は、まるで全てを見透かすかのように、俺という存在の核心を捉えようとしている。


「今、何かしたでしょう。あなた」


繰り返される、静かだが必要以上に重い問い。

冷や汗が背中を伝うのを感じながら、俺は脳をフル回転させて、最も効果的な言い訳を検索する。

――検索結果:『全力で凡人を演じきれ』。


「え……? あ、の、な、何のことですか……?」


俺は声と思考を意図的に分離させ、可能な限り情けなく、吃ってみせた。小動物のようにビクビクと怯え、視線を泳がせる。完璧な陰キャムーブだ。


「とぼけないで。あの怪物の腕が、あり得ない軌道で逸れた。まるで、見えない壁に弾かれたかのように。偶然で片付けられる現象ではないわ」

「そ、そんなこと言われても……! 俺のスキル、知ってるでしょ!? Gランクの『消しカス集め』ですよ!? あんな怪物相手に、僕に何ができるって言うんですか!」


俺はほとんど半泣きで訴えた。そうだ、これがGランクの正しい反応だ。腰が抜けて動けなかったのも、恐怖のせい。何もおかしくない。

俺の迫真の演技に、さすがの姫奈も一瞬、眉をひそめた。

彼女の直感が「こいつは怪しい」と叫び、彼女の理性が「いやGランクに何ができる」と囁いている。その葛藤が、彼女の表情をわずかに揺らしていた。


「でも……あのタイミングで、私の視界の端にいたのは、あなただけだった……」

「たまたまです! 本当に、ただの偶然で……!」


俺が必死に首を横に振った、その時だった。


「グオオオオオオオオッ!!」


体勢を立て直した魔鋼腕が、我々の問答など知ったことかとばかりに、再び咆哮を上げた。その怒りの矛先は、先ほど手痛い一撃をくれた姫奈と、その目の前にいる俺に向けられている。


「またかよっ!」


思わず心の声が漏れた。

姫奈は俺を庇うように一歩前に出ると、再び光の剣を構える。しかし、その剣先が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。

先ほどの攻防で、彼女もかなりのエネルギーを消耗している。連戦は厳しいはずだ。


「(ここで見捨てたら、今度こそ本当に死ぬな……)」


そして、俺が手出ししなかった場合、この怪物を倒せる者はここにはいない。つまり、俺も死ぬ。

それは困る。俺の平穏な老後計画に支障が出る。


魔鋼腕の巨大な拳が、姫奈の小さな体めがけて振り下ろされる。

もう選択の余地はなかった。


「あー、もう! 本当に面倒くさい!」


俺は再び、誰にも聞こえない声で悪態をついた。

そして、今度はもっと巧妙に、もっと自然に、ほんの少しだけ世界の理を書き換えた。


――『魔鋼腕が踏みしめている地面の、摩擦係数をゼロにする』。


ツルンッ。


まるで、完璧に磨き上げられた氷の上を全力で走ったかのように。

魔鋼腕の巨体は、自らの勢いを全く支えきれずに、盛大にバランスを崩した。

振り上げた拳は明後日の方向にすっ飛び、巨大な体が無防備な腹を天に晒して、ドッッッシーン!!と派手にひっくり返る。


「……へ?」


攻撃を迎え撃とうと構えていた姫奈が、間の抜けた声を上げた。

目の前で起きたあまりにもマヌケな光景が、信じられなかったのだろう。

だが、彼女は白金姫奈だった。千載一遇の好機を逃すほど、愚かではない。


「――好機ッ!」


彼女の全身から、先ほどまでとは比較にならないほどの膨大な光が溢れ出す。

消耗していたはずの彼女が、最後の力を振り絞っているのだ。


「【天剣解放・第二形態:光輝の奔流(ルミナス・ストリーム)】!」


彼女が天に掲げた剣先から、全てを浄化するかの如き光の奔流が放たれた。それは一本の巨大な槍となり、無防備に転がる魔鋼腕の核――眉間に埋め込まれた魔石を、正確に貫いた。


一瞬の静寂。

次の瞬間、魔鋼腕の体は内側からまばゆい光を放ち、やがて塵一つ残さずに消滅した。

後に残ったのは、破壊された中庭と、呆然と立ち尽くす生徒たち。そして、肩で息をする銀髪の生徒会長だけだった。


「はぁ……はぁ……」


姫奈は、自分が起こした奇跡に、そして勝利という事実に、安堵のため息をついた。

だが、すぐに彼女の脳裏に、強烈な違和感が蘇る。

絶体絶命のピンチ。そこからの、あまりにも都合が良すぎる敵の自滅。まるで、誰かが見えざる手で、完璧な舞台を整えてくれたかのような……。


ハッとして、彼女は振り返った。

自分が庇っていたはずの、あのGランクの男子生徒がいた場所を。

しかし。


「……いない?」


そこに、影山ケイトの姿はもうなかった。

俺は、姫奈が必殺技を放った瞬間の混乱に乗じて、とっくに人混みの中へと紛れ込み、その場から全力で離脱していた。

もうごめんだ。あんな目立つ女のそばにいるだけで、寿命が縮む。


遠くから聞こえる歓声とサイレンの音をBGMに、俺は一人、静かな日常へと続く道を歩いていた。


一方、一人残された白金姫奈は、拳を強く握りしめていた。

偶然ではない。断じて。

二度の奇跡。その中心には、常にあの少年がいた。


「影山ケイト……」


彼女の紫の瞳に、初めて明確な『獲物』を捉えた狩人の光が宿る。


「あなた、一体何者なの……」


その呟きは、戦いの終わりを告げる喧騒の中に、静かに溶けていった。

俺の平穏な学園生活が、終わりを告げようとしていることを、この時の俺はまだ知らなかった。

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