「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜

片山アツシ

コンドームちゃんと奇妙な職場

カレンダーの3月も、もう下旬。本来であれば、春からの新しい生活に胸を躍らせ、卒業旅行の思い出話に花を咲かせているべき季節。


なのに、私の手元にあるのは、一枚の紙切れ。


正確には、高級そうな和紙の質感を持つ、A4サイズの封筒から取り出したばかりの、冷たい手触りの便箋だ。そこには、流麗ながらも感情の一切を排した明朝体で、こう記されている。


『前略 この度は、数ある企業の中から弊社にご応募いただき、誠にありがとうございました。慎重なる選考を重ねました結果、誠に残念ながら、今回はご期待に沿いかねる結果となりましたことを、ご通知申し上げます。末筆ではございますが、近藤眠夢様の今後のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。』


いわゆる、「お祈りメール」の、郵送バージョン。


これで、記念すべき30社目。


エントリーシートで落ちたものまで含めれば、とっくに三桁の大台に乗っているだろう。私の就職活動は、まるで出口のないトンネルの中を、ヘッドライトもつけずに彷徨っているようなものだった。


「はぁ……」


誰に聞かせるともなく、深いため息がフローリングの床に落ちて溶けていく。ワンルームの小さな城は、静寂そのもの。壁に貼ったままの、就活イベントでもらった「必勝!」と書かれたハチマキが、やけに虚しく見えた。


私の名前は、近藤 眠夢(こんどう ねむ)。二十一歳。

都内でも名門と謳われる私立、蓮京大学法学部の四年生。つまり、今春卒業予定の、どこにでもいる女子大生……と言いたいところだが、その実態は「内定ゼロ」という崖っぷちに立たされた、社会不適合者の烙印を押された人間だ。


客観的に見れば、私のスペックは決して悪くないはずだった。

大学の成績は常に上位をキープし、在学中には国家資格である行政書士の資格も取得した。教授からは「君なら、このまま大学院に進んで研究者の道も……」なんて、お世辞を言われたこともある。真面目さだけが取り柄。それが私のアイデンティティだった。


けれど、その「真面目さ」が、社会という巨大な組織の前では、まったくもって無用の長物だったらしい。


面接官「近藤さんは、学生時代に最も力を入れたことは何ですか?」


私「はい。私は、法律の勉強に最も力を注ぎました。特に、民法の債権分野における判例研究に没頭し、〇〇教授のゼミでは……」


面接官「(少し退屈そうに)なるほど。勉強、ですか。サークル活動やアルバイトなど、チームで何かを成し遂げた経験はありますか?」


私「はい。学園祭の実行委員として、模擬店の会計管理を担当いたしました。予算の策定から、日々の売上計算、最終的な収支報告書の作成まで、一円の誤差もなく完遂し……」


面接官「(さらに退屈そうに)はぁ……。つまり、ここでも管理業務を、と。もっとこう、仲間と協力して困難を乗り越えた、みたいなエピソードは……」


こんな調子だ。

嘘がつけない。話を盛ることもできない。サークルやバイトの経験を、あたかも壮大な冒険譚のように語る同級生たちを横目に、私はただ、事実を事実として述べることしかできなかった。


「真面目すぎるね」「もっと柔軟に考えられない?」「君、面白いこと言えなさそうだね」


面接官たちから投げかけられた言葉が、ボディブローのようにじわじわと効いてくる。しまいには、ある企業の最終面接で、人の良さそうな役員にこう言われた。


「近藤さん、君はとても優秀だ。それは書類を見ればわかる。でもね、なんていうか……君と一緒に働いているイメージが、どうしても湧かないんだよ」


それは、死刑宣告にも等しかった。


優秀。でも、いらない。

その言葉は、私の心を粉々に砕くには十分すぎる威力を持っていた。


そして、私のこの絶望的な状況にさらに追い打ちをかけているのが、学生時代から続くあるトラウマだ。


それは、私の名前「近藤 眠夢(こんどう ねむ)」に起因する。


中学時代の担任教師は、ひどく滑舌が悪かった。彼が私の名前を呼ぶと、どういうわけか、こう聞こえるのだ。


「――コンドーム」


教室に、くすくすという笑い声が漏れる。最初は気のせいだと思った。でも、それは日に日に大きくなり、やがてあからさまな揶揄に変わった。


「おい、コンドーム、教科書見せろよ」

「コンドームちゃん、今日の体育、見学? 生理?」


男子も、女子も、面白がって私をそう呼んだ。

「近藤眠夢」という、両親が「眠るように安らかな夢を見てほしい」と願ってつけてくれたはずの名前は、その響きだけで笑いの対象になった。


私は抵抗できなかった。

何か言い返せば、「冗談じゃん」「ノリ悪いな」と言われるのがオチだ。だから、ただ俯いて、嵐が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。


その経験は、私の自己肯定感というものを、根こそぎ奪い去っていった。

人前に立つのが怖い。自分の名前を名乗るのが怖い。誰かが私の名前を口にするたびに、ビクッと体がこわばる。面接で「近藤さん」と呼ばれるたびに、あの頃の嘲笑がフラッシュバックするのだ。


だから、面接でうまく話せないのは、ただ不器用なだけじゃない。根深い恐怖心が、私の喉を締め付けているせいでもあった。


ピロン、とスマホが軽快な音を立てる。

SNSのグループチャットの通知だ。大学の友人たちで構成された、その名も『祝!全員内定!卒業旅行計画』という、今の私には地獄のような名前のグループ。


『みんな、おつー! 卒業旅行の件、そろそろ宿決めないとヤバくない?』

『あ、私、〇〇商事の研修、4月1日からだから、3月中に行きたい!』

『わかるー! 私も△△銀行だから、結構タイトなんだよね』


キラキラした会話がタイムラインを流れていく。

誰も、私の状況なんて知らない。知られたくもなかった。私はそっとスマホの画面を伏せた。


未来がない。

蓮京大学法学部卒、行政書士資格保有、就職先なし。

まるで出来の悪いジョークだ。


親不孝者。社会の落ちこぼれ。

そんな言葉が頭の中をぐるぐると回る。


「……もう、どうでもいいや」


ぽつりと、声が漏れた。

自分でも驚くほど、乾いた声だった。


今まで、私はずっと「べき論」で生きてきた。

学生は勉強すべし。ルールは守るべし。人に迷惑はかけるべしからず。

その結果が、これだ。


もう、いいじゃないか。

一度くらい、道を踏み外したって。

いや、もうすでに、私は王道から大きく逸脱しているのだから。


私は重い腰を上げた。

クローゼットの奥から、くたびれたスウェットに着替え、財布とスマホだけをポケットに突っ込む。向かう先は、近所のコンビニ。


自動ドアが開くと、軽快な入店音が鳴り響く。

目的は、ただ一つ。


アルコール飲料のコーナー。

色とりどりの缶が並ぶ中、私は一番安いストロング系のチューハイを手に取った。9パーセント。今の私には、これくらいがちょうどいい。


レジで無言のまま会計を済ませ、コンビニを出る。

向かったのは、アパートの裏手にある、小さな公園。夜の公園は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。古びたブランコに腰を下ろし、プシュッ、と小気味良い音を立てて缶のプルタブを開ける。


ごくり、と一口。

喉を焼くようなアルコールの刺激と、人工的なグレープフルーツの香りが一気に鼻腔を突き抜けた。


「……まずい」


思わず声に出た。

でも、私は飲むのをやめなかった。二口、三口と、まるで薬でも飲むかのように、無心で液体を喉に流し込んでいく。


酔いは、思ったよりも早く回った。

視界がぐにゃりと歪み、地面が揺れているような感覚に陥る。


ブランコを軽く漕いでみる。

ぎぃ、ぎぃ、と錆びついた金属が悲鳴を上げる音が、やけに大きく聞こえた。


――コンドームちゃん。


不意に、忌まわしいあだ名が脳裏に響く。


――君と一緒に働いているイメージが、どうしても湧かないんだよ。


面接官の冷たい声が、追い打ちをかける。


「うるさい……うるさい、うるさい!」


私は頭を振って、幻聴を追い払おうとした。

でも、声は消えない。それどころか、どんどん大きくなっていく。


『眠夢は真面目だから、きっと良いところに就職できるわよね』

それは、母の期待に満ちた声。


『さすが、俺の娘だ。自慢だよ』

それは、父の嬉しそうな声。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


涙が、ぼろぼろと溢れ出してきた。

チューハイの缶を握りしめる手に、爪が食い込む。


なんで、私だけ。

なんで、こんなことに。


真面目に生きてきただけなのに。

誰も傷つけず、ただひっそりと、息を潜めるように生きてきただけなのに。


神様、もしいるのなら教えてください。

私の人生、どこで間違えたんですか?


アルコールのせいか、それとも絶望のせいか、思考がどんどんまとまらなくなっていく。

世界が、ぐるぐると回転している。

気持ち悪い。頭が痛い。


それでも、私は残っていたチューハイを、一気に煽った。

空になった缶を、ぐしゃりと握りつぶす。


もう、何も考えたくなかった。

このまま、意識がなくなってしまえばいい。

明日なんて、来なければいい。


そんなことを考えながら、私はブランコからずり落ちるようにして、地面に倒れ込んだ。

冷たい砂の感触が、妙に心地よかった。


夜空には、星一つ見えない。

ただ、どこまでも深い、闇が広がっているだけだった。


私の人生みたいだな、なんて。

そんな、陳腐な感想を最後に、私の意識は、ぷつりと途切れた。



――ちゅん、ちゅん。


小鳥のさえずりが聞こえる。

なんて、のどかな朝なんだろう。

昨日の夜の喧騒が、まるで嘘のようだ。


……ん?

待って。小鳥?


重たい瞼を、ゆっくりとこじ開ける。

最初に目に飛び込んできたのは、見たこともない豪奢なシャンデリアだった。無数のクリスタルガラスが、窓から差し込む柔らかな光を反射して、キラキラと輝いている。


「……え?」


混乱する頭で、ゆっくりと上半身を起こす。

すると、自分がとんでもなくふかふかしたベッドの上に寝かされていることに気がついた。シルクのような滑らかなシーツ。羽毛がたっぷりと詰まった、雲のように軽い掛け布団。


ここは、どこだ?

私の、築30年の木造アパートではないことだけは確かだ。


慌てて自分の服装を確認する。

幸い、昨日の夜に着ていた、くたびれたスウェットのままだった。乱暴された形跡もない。


しかし、状況はまったくもって理解不能だ。

公園で意識を失ったはずの私が、なぜこんな高級ホテルのスイートルームみたいな場所にいるのか。


誘拐?

いや、私のような貧乏学生を誘拐したところで、身代金なんて一円も取れやしない。


それとも、誰かの悪質ないたずら?

だとしたら、あまりにも手が込みすぎている。


きょろきょろと部屋の中を見渡す。

アンティーク調の家具。壁には、有名な画家が描いた……ように見える、美しい風景画。床にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。広さは私のワンルームの軽く5倍はありそうだ。


「……夢?」


そう、きっとこれは夢だ。

昨日の夜、やけ酒を飲んで、そのまま悪夢を見ているに違いない。

私は自分の頬を、思いっきりつねってみた。


「いっ……たぁ!」


鋭い痛みが走り、涙が滲む。

どうやら、これは紛れもない現実らしい。


どうしよう。

警察に電話すべき?

でも、なんて説明すればいい?

「公園で酔い潰れていたら、知らない豪華な部屋で目が覚めました」なんて、まともに取り合ってもらえるだろうか。下手したら、私が不法侵入で捕まる可能性だってある。


パニックに陥りかけた、その時だった。


カチャリ、とドアノブが回る音がした。


ビクッと、心臓が跳ね上がる。

私は咄嗟に、ベッドから飛び降りて、いつでも逃げ出せるように身構えた。


ぎぃ、と重厚なドアがゆっくりと開く。

そして、そこに立っていた人物を見て、私は完全に思考を停止させた。


「あら、お目覚め? 眠れる森の美女は、王子様のキスがなくちゃ起きられないのかと思ったわよ」


現れたのは人間というよりは、極彩色の鳥かなにかのようだった。

床に届きそうなほど長い、真っ赤なスパンコールのドレス。これでもかというほど盛り付けられた、プラチナブロンドの縦ロールのウィッグ。顔には舞台メイクのような濃い化粧が施され、目元には青いアイシャドウ、唇には深紅のルージュがべったりと塗られている。


そして、その巨体。

身長はヒールを履いているせいか190センチ近くあるだろうか。肩幅もがっしりとしていて、とても女性とは思えない。


いや、女性ではないのだろう。

世に言う、「オカマ」というやつだ。


その人物は私を値踏みするように、上から下までじろりと眺めると、にやりと笑った。その笑みは分厚い化粧の下からでもわかるほど、不気味だった。


「……だ、誰ですか、あなたは」


絞り出すように、声を出す。

恐怖で声が震えているのが自分でもわかった。


「私? 私は、ここのママよ。よろしくね、お嬢ちゃん」


ママ、と名乗ったその人物は、低い、それでいてよく通る声で言った。見た目とのギャップがすさまじい。低音ボイスというやつだ。


「ここは……どこなんですか? 私、どうしてここに……」

「あら、覚えてないの? あんた、昨日の夜公園で無様に突っ伏してたじゃない。カラスにでもつつかれたら大変だと思って、親切な私が拾ってきてあげたのよ」


公園……。

そうだ、私は公園でチューハイを飲んで……。


「ご、ご迷惑をおかけしました! すぐに出ていきます!」


私は深々と頭を下げ、ドアに向かって駆け出そうとした。

しかしママは巨大な体でピシャリと出口を塞いだ。


「まあ、待ちなさいよ。そんなに慌てなくても、取って食ったりしないわよ。……今のところはね」

「……っ!」


冗談めかして言うが、目が笑っていない。

私はゴクリと唾を飲み込んだ。


ママは部屋の中央にある豪華なソファにどっかりと腰を下ろすと長い脚を組んだ。スパンコールのドレスのスリットから、たくましい筋肉のついた脚が覗いている。セクシーだ…せくしーか…?

恐怖と混乱で思考がまとまらない。


「まあ、そこに座りなさいよ。話があるの」


有無を言わさぬ、威圧的な口調。

私はまるで蛇に睨まれた蛙のように、その場から動けなくなった。

おそるおそる、ママの対面にあるソファにちょこんと腰を下ろす。ソファが柔らかすぎてお尻が沈み込んでしまいそうだ。


「さて、と」


ママはテーブルの上に置いてあった細長いタバコに火をつけた。紫色の煙がゆらりと立ち上る。


「あんた、名前は?」

「……近藤、眠夢です」


自分の名前を名乗るのが、これほど怖かったことはない。

この人は、私の名前を聞いて、笑ったりしないだろうか。


しかし、ママの反応は私の予想とはまったく違うものだった。


「近藤眠夢……ねむ。ふぅん、良い名前じゃない」

「え……?」


意外な言葉に、思わず顔を上げる。

ママは紫煙をくゆらせながらじっと私の目を見ていた。その瞳は化粧に埋もれてよく見えないが、鋭い光を放っているように感じた。


「あんた、就活、うまくいってないんでしょ」

「……! な、なんでそれを……」

「顔に書いてあるわよ。『人生詰みました』ってね。それに昨日の夜、あんたのポケットから、これ、落ちたわよ」


そう言って、ママがテーブルの上に置いたのは、ぐしゃぐしゃになった、一通の封筒。

昨日、私に最後の絶望を突きつけた、30社目からの不採用通知だった。


「……」


もう、隠すことは何もなかった。

私は俯いて黙り込んだ。


「蓮京大学法学部、行政書士資格あり。へぇ、大したもんじゃない。真面目にやってきたのねぇ、あんた」

「……でも、どこも、雇ってくれませんでした」

「でしょうね」


ママはあっさりと、そして残酷に言い放った。


「あんたみたいなタイプ、普通の会社は一番扱いにくいのよ。真面目すぎて融通が利かない。正義感が強すぎて空気が読めない。嘘がつけなくてすぐに顔に出る。違う?」


図星だった。

すべて私が面接で言われ続けてきたことだ。


「……はい、その通りです」

「でもね」


ママはタバコの火を灰皿に押し付けると、身を乗り出してきた。

強烈な香水の匂いと、タバコの匂いが混じり合って私の鼻をつく。


「その『扱いにくさ』が最高の才能になる職場もあるのよ」

「……え?」


意味がわからず顔を上げる。

ママは深紅のルージュが塗られた唇を、にぃっと歪めた。


「あんた、光るわよ」

「ひ、光る……?」

「そう。ダイヤの原石よ、あんたは。磨けばとんでもない輝きを放つわ。私にはわかる」


何を言っているんだこの人は。

いよいよ頭がおかしくなってしまったのだろうか。


「あの、私、別に才能なんて……」

「あるわよ。あんたには物事の本質を見抜く目がある。そして何よりも……」


ママはそこで一度言葉を切ると、私の目を射抜くように見つめた。


「あんた、他人の『嘘』にものすごく敏感でしょ?」


ドキリ、とした。

確かにそうかもしれない。

人が嘘をついている時、その声のトーンや目の動きの、ほんの些細な変化に昔から気づいてしまうことが多かった。だから、人が怖かった。人の裏側が見えてしまうのが、たまらなく嫌だった。


「どうして、それを……」

「言ったでしょ。私にはわかるのよ」


ママは満足そうに頷くとソファから立ち上がった。

そして窓際に立つとカーテンを勢いよく開け放った。


「ようこそ、お嬢ちゃん」


窓の外には見たこともないような、美しい庭園が広がっていた。

色とりどりの花が咲き乱れ、中央には天使の像が置かれた噴水がある。


「ここは、『なかよしルーム』。私の城であり、そして……あんたの新しい職場よ」

「しょ、職場……!?」


なかよしルーム?

なんだ、そのふざけた名前は。


「あんた、うちに来なさい。月給は30万から。社会保険完備、ボーナスは年2回。どう? 悪い話じゃないでしょ?」

「月給30万……!?」


新卒の初任給としては破格の金額だ。

しかし、そんなうまい話があるわけがない。


「……いったい、何をするんですか? その、『なかよしルーム』っていうのは」


私の問いに、ママはくるりと振り返ると悪戯っぽく片目をつぶって見せた。


「仕事内容は至ってシンプルよ」


「――カップルが本当に『なかよし』かどうか、確認するだけのお仕事」


「……は?」


カップル? なかよし? 確認?

単語はわかる。でも、その組み合わせがまったく意味をなさなかった。


私の頭上に巨大なクエスチョンマークが浮かんでいるのが自分でもわかった。

就職活動30連敗の末、やけ酒を飲んで公園で倒れたら、ド派手なオカマに拾われ、謎の職場にスカウトされる。


私の人生、一体どうなってしまうのだろう。


「さあ、どうする? お嬢ちゃん」


ママが手を差し伸べてくる。

その手は大きくてゴツゴツしていて、でも不思議と温かいように見えた。


「ここで私の手を取って新しい人生を始めるか。それとも、薄暗いアパートに帰ってお祈りメールを待つだけの毎日を送るか」


選択肢は、二つに一つ。

地獄か、それとも、もっとわけのわからない地獄か。


「あんたの『真面目さ』と『嘘を見抜く目』、うちなら最高に活かせるわよ」


ママの言葉が、悪魔の囁きのように私の心に染み込んでいく。


もう普通の道には戻れない。

それは昨日の夜、チューハイを煽った時点で決まっていたことなのかもしれない。


私はゴクリと唾を飲み込むと、おそるおそる、その大きな手に向かって自分の手を伸ばした。


近藤眠夢、二十一歳。

春。

私の就職先はこうして、人生で最もありえない形で決まったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る