10話 入信試験
朝の冷えた風が、石と合金の継ぎ目をなぞる。
聖堂外壁の巨大な光輪が低く唸り、昇りきらぬ陽を反射していた。
鋼鉄と白石を融合させた巨大なアーチが空へ伸び、頂部からは淡い光環が漂っている。
上を見上げた実佐は、思わず拳に力を込めた。
(いよいよね……ここで教会の悪事を暴いて見せるわ……)
入口前の石畳には、既に十数名の候補者が並んでいた。
痩せた青年、裕福そうな装飾のついた衣を着た少女、鍛錬を積んだ兵のような男。
誰もが緊張と期待を同時に抱え、無言で聖堂の扉を見つめている。
実佐が列に加わると、すぐに周囲の視線が集まった。
小声がさざめく。
「……下町で“聖女様”と呼ばれてる人じゃないか?」
「まさか本当に来たのか……」
噂は既に広まっていた。
実佐は目を伏せ、胸の鼓動を抑えるように深く呼吸をした。
正面ゲートは巨大な二重扉になっていて、
そこをくぐると最初のゲートで金属検知と顔認証、二つ目で身分の確認をされる。
白い制服の受付修道士が端末を持って近づく。
「来訪目的を」
「入信の申請と、適性試験の受験です」
「名前を」
「ミサ・クラリス。下層居住区S-14出身です。……」
実佐が差し出したIDカードに、修道士の視線が止まる。
”推薦人:助祭モイズ”の行に、確認印が鮮やかに押されていた。
「助祭モイズ殿の身元保証……ふむ。少々お待ちを」
耳元の通信機に指を当て、短いやり取りをする。
やがて端末に“許可”の印がおされて、修道士はわずかに態度を和らげた。
「では〈前室〉へ……
そう言えば“下町の聖女”と呼ばれている方はあなたで間違いありませんね?」
やはり知られている。実佐はほんの一瞬だけ息を止め、微笑みに変えた。
「呼び名は過分です。下町の方を治癒していたらそう呼ばれるようになりました、
それだけです」
「謙遜は美徳です。ですが上へは報告する必要はあります。
――それではこちらへ」
白い前室は、消毒薬の匂いと淡い光で満たされていた。
壁にはミネルバの肖像画と石造で飾られていた。
「善の行いは光となり、光は病む者の心を癒す」。
実佐は文字を追い、心のどこかで言葉が今の教会とは釣り合っていないと思った。
机に座った書記修道女が出自と善行の経歴を確認する。
孤児院での清掃補助、配給列の整序、病者の看護――偽装台帳どおりの項目が淡々と進む。
そこへ、墨色の外套をまとった長身の男が入ってきた。助祭の襟章。
「助祭モイズだ。身元保証をした者として、立ち会わせてもらう」
穏やかな声。目はどこか疲れを帯びているが、色は澄んでいた。
実佐に軽く会釈を返すと、書記の手元に署名を重ねる。
「噂は耳にしている。……“聖女”と呼ばれているとか?」
「私は、そんな者ではありません。
下町の人は治癒をあまり見ていない事で、治癒をしたら勝手にそう呼ぶようになりました」
嘘はついていなかった。”治癒”が少し規格外であっただけであった。
モイズは一拍置いて微笑む。
「そういう善行に、ミネルバ様が祝福されたのでしょう」
前室の奥、ガラス越しにもう一人の影が見えた。
白衣に工具ベルト――技術官。
ホログラム端末に走る指が、光の帯を滑らせていく。
名札に“ピエール”。教会の設備士でワンドの校正担当である。
案内の修道士が言う。
「この後、治癒の実演となります。――特別な力があるなら、その時わかります」
通された〈測定室〉は、天井に蜂巣状の光パネルが敷き詰められた丸い空間だった。
中央の台に、無機質な銀色の棒――試験用の“ワンド”が並ぶ。
柄に刻まれた刻線が脈動し、台座の表示に“充填率:100%”の文字が浮かぶ。
「受験者は、各自一本。手に取ってください」
白衣の技術官――ピエールが前方に立ち、淡々と告げた。
「これは試験仕様の標準ワンド。環境光から粒子を吸収し、
エネルギーへ変換と蓄積をするが伝達率は低いため場合によってはキュアが発動しない場合もある」
(光の粒子は装置が吸って、エネルギーにして、祝福で現象化――)
昨日カロリンが説明してくれた法則が、自然と脳裏で整列する。
(私はスキルで“魔力”を使う。……ワンドの力はいらない)
「ミサ・クラリス」
名を呼ばれ、ワンドを受け取る。掌の内で振動はなく、ただ冷たい金属の重みだけ。
柄元の小窓に“所有者:ミサ・クラリス 登録完了”の文字が灯る。
一次審査
祈祷文の朗唱、姿勢、手の位置――形式は耳に馴染んだ「式典」だった。
実佐は正確にカロリンから教わった内容を再現したが、
過度に流麗にならないよう心がけて乗り切った。
監察修道女が頷く。
「発声よし。神学語の理解も及第点ね。――それでは二次試験へ進んでください」
扉が別の部屋へと続いていた。
そこは手術室を思わせる無菌の白。
観察窓の向こうに黒い影が並び、低い私語が渦を巻く。
寄付者、上層の監督官、ホワイトガードの黒い外套。
「始めろ」
観察窓の前に立つ監察修道女が短く宣言する。
横のドアが壊れた音を立てて開き、ホワイトガードが一人、
無造作に若い雑役の少年を押し入れた。
少年は怯え、つま先が床をひっかく。
(何を?!)
問いが喉まで来た瞬間だった。
ホワイトガードが急にレーザー銃のような武器を手に取る。
鈍い発射音。
少年の腕を貫通し、綺麗な穴が開いていた。
「ぐあああああ!」と少年が叫ぶ。
空気が凍る。
少年が崩れかけた瞬間、実佐は躊躇なく飛び出していった。
杖――いや、杖はただの“飾り”。魔力を込める。
「キュア(ヒール)」
前日カロリンに治癒魔法の名前を教わっていた。
白い光が傷口に吸い込まれ、肉の繊維が編み直される。
震えが収まり、冷たい汗の膜が薄くなる。
血は流れを止め、破れた皮膚の縁が柔らかく寄り添った。
少年の呼吸がらせんを描いて安定へ向かう。
観察窓の向こうでざわめきが走る。
監察修道女が目を細め、隣の技術官が端末に顔を寄せる。
「ログは?」
「……おかしい。ワンド残量、変化なし。吸収エネルギーは満タンのままです」
「つまり……生命力を使った?」
「そのようです!
一般的にあの規模で生命力と引き換えに治癒をすれば命にかかわります……
数値上はそう解釈するしかありません」
“生命力”。
実佐は聞こえないふりをしながら、少年の手を握る。
「大丈夫。もう痛くないはず。ゆっくり呼吸して」
少年が涙混じりにうなずく。
観察窓の前で、ホワイトガードが乾いた笑いを漏らした。
「完治とは程遠いな。まあ新米ならこんなものか」
彼には目の前で起きた出来事を理解していなかった。
しかし、試験官は別だった。
「ミサ・クラリス」
監察修道女がマイク越しに呼びかける。
「今の行為を、どう説明する?」
「……傷ついた者が目の前にいましたので治しました。
それ以上でも、それ以下でもありません」
淡々と返すと、短い沈黙が落ち、薄い笑い声がいくつか重なった。
監察修道女の目だけが笑っていない。
「記録:キュア発動一回、止血・疼痛消失・組織再生中間段階まで。
処置時間、規定より短い。――合格圏内」
ピエールが小声で付け加えるように言う。
「特記事項:ワンドの消費ログなし。……膨大な生命力保持者の可能性あり」
モイズは観察窓の端で、ほんの刹那、視線を伏せた。
その目の揺らぎを、実佐は見逃さなかった。
「次の被験者を」
ホワイトガードがもう一人、別の若者を押し出す。
今度は刃物がちらりと反射し、前腕に短剣で切り傷をされる。
監察修道女が退屈そうにあくびをした。
(ディスペル)
炎症対策をした後に
「 キュア(ヒール)」
肌理が織り直され、血色が戻る。
ワンドの小窓の“充填率100%”のまま動かない。
観察窓の向こうで、書記が記録をまとめる。
監察修道女は最後に、簡素な印書を押した。
「結論。――入信を許可する。修練院・治療棟配属。指導は助祭モイズと……
導入設備の技術指導、ピエール。明日よりオリエンテーションに参加すること」
胸の奥でほっとしていた。
(侵入成功……)
出口でワンドを返却するようにと伝えられる。
ピエールが一瞬だけ、実佐の手元を見た。
「……使わなかったのですか?」
小声。壁の影に紛れる囁き。
「使い方を教わっていないので」
実佐はやわらかく笑う。
「今までもワンドなしで治癒してましたの」
ピエールは驚きの表情を隠せず、ただ端末に“返却完了”の入力を打ち込んだ。
白い廊下を出ると、別棟への渡り廊下が伸びていた。
足音が重なる。モイズが追いつく。
「今日のところは宿舎に部屋を用意する。……よくやった」
短い言葉だったが何者なのかうすうす感じ取る事ができた。
実佐は会釈し、視線を上げる。
渡り廊下の先、上層塔の窓に、ほの赤い光が瞬いた気がした。
――教皇の間
分厚い扉の向こう、静かな報告の声。
「新規入信者、治癒適性。
特記事項:ワンドの消費ログなし。……膨大な生命力保持者の可能性あり」
老人の顔がゆっくりと笑う。
「面白い。……生命力が膨大なら、使えるかもな。会えるのが楽しみだ...」
低い声が、空気の底を撫でて消えた。
宿舎に割り当てられた小部屋。
窓は細く、外の光環が斜めに切り取られている。
簡易ベッドに腰を下ろし、実佐は両手を見つめた。
(全快したかったけど――今はこれでいい。目立ちすぎないのが賢明ね。
でも、もし目の前で死にかけている人がいたら……私は、やってしまいそうね)
胸に浮かぶのは、自殺した母親と家族。
(誘拐された人は一体どこにいるのかしら。そして美姫、刃。
あなたたちがどんなひどい目にあってても生き残るのよ、必ず助けに行くわ)
ローブの内側で、偽名のIDカードを取り出して再確認する事にした。
“ミサ・クラリス”。
その名で、明日から実佐はこの塔で数々の試練を乗り越えるのであった。
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