遠い記憶
日が昇り始めエルクリッドが寝返りで長椅子から落ちかけるが、それが覚醒を促し体を起こさせた。
(えーと……あ、薬飲んだらそのまま……)
薬を飲んだあとの記憶はない。が、両頬、肩、胸、腹と手で触れてくと傷口は塞がれても残っていた痛みや疲労がなく、力が満ちている感覚に薬の効果を実感する。
タラゼドの回復魔法も優れているが、医療の専門家たるセレファルシアとの差は大きいらしい。
かけられていた毛布を畳んで椅子の上に置き、朝焼けの光の中で診療所は静寂に包まれている。長椅子にて眠るリオはまだ目を覚ましそうにはなく、他の部屋にいるのかノヴァらの姿はもちろんセレファルシアの姿もない。
(うー……気分悪い……)
目が覚めるにつれて昨日飲んだ薬の強烈な苦味が思い出され、気分の悪さを誘発されたエルクリッドは診療所の外へと一人出る。
とても澄んだ空気が息を吸う度に全身に行き渡り、息を吐く度に気分の悪さが吐き出されるかのよう。深呼吸をエルクリッドが繰り返していると、不意に目の前に笑顔のノヴェルカが現れ、流石に驚きながらも落ち着いてエルクリッドは言葉を交わす。
「お、おはようございます」
「おはよー! もう元気そうだねー」
その場でくるっと一回転し無邪気に振る舞うノヴェルカではあるが、エルクリッドは彼女が常に召喚されている状態なのだと悟る。だがそうなると矛盾が数多く浮かび、察したのかノヴェルカはその場で踊るようにしなやかに動きながら自身の事を語り始める。
「あちきは別にリスナーなんかと契約する必要ないけどさー、セレちゃんは面白いから契約したって感じだよ。魔力も寝てる時はあちき貰ってないし、なくてもこの身体であれば自由だし」
リスナーからの魔力の供給量はアセス側が決めるもの。基本的に不平等条約のような例が多く、そこから信頼関係を築き上げて量は減っていく事が多い。
無論アセスがその力を使う時に必要分の魔力をリスナーに要求するのはあるが、今目の前にいるノヴェルカはエタリラにおいて神にも等しい上位の存在。エルクリッドが知り得るリスナーとアセスの関係性や法則性というのが当てはめられず、またノヴェルカの言葉から制約は一応あるのだとわかる。
そんな大精霊ノヴェルカは思い出したように手をぽんっと叩いて踊るのをやめ、エルクリッドの手を引く。
「そうだ! エルクリッド連れてくとこあるんだ! 来て!」
「え、あっ……」
華奢な見た目以上の力と突然の誘いに驚きつつもエルクリッドはノヴェルカに引かれて森の中を駆け抜け、ある場所へと誘われていった。
ーー
風が吹くようにノヴェルカは走り、手を引かれたままのエルクリッドも追従できてこそいるが、自然と道が拓けて段差もない事に気がつく。
そしてそれがノヴェルカが進む度に森が地形ごと姿を変え、まるで木々や大地が跪いて道を開けるかのように見えた。
(制限あってもこれだけの事を……これが大精霊ドリアード……)
植物の祖にして頂点と言われるドリアードのような存在は各地にいる。その力の恐ろしさは神獣のもたらす災禍に匹敵し、時には神獣とも争いを繰り広げたとも。
少なくとも今、ノヴェルカからはそうした側面は感じられない。それが幸いといえば幸いではあるが、そんな彼女が連れていきたい所とは何処かというのはエルクリッドは気がかりであり、考えようとした時にノヴェルカが急停止し慌ててエルクリッドも止まり転びそうになりつつも、目の前に広がるあるものを捉えた。
「えっと……これは、お墓……?」
そこは診療所がある場所と同じように拓けている場所。しかし木漏れ日はほとんど差し込まずより暗く静かであり、一定の大きさの岩が等間隔で並べられている。
直感的に墓地とエルクリッドは感じ、そーだよと快活に返すノヴェルカが掌に色鮮やかな花をいくつも出現させて風に乗せ、花達がふわりと全ての墓の前へ手向けられた。
「ここはねー、セレファルシアが看取った生命の眠る場所。引き取る人がいないーとか、仕方なく眠らせたーとか、そーいう生命が寝てる……で、エルクリッドに見せたいのはここ」
ゆっくり歩きながら墓地の説明をノヴェルカがし、やがて止まるのはある墓の前だった。墓石には全て名前と埋葬した日付が刻まれており、案内された墓石にも同じように刻まれている。
「スバル……?」
墓石に刻まれた名前を口に出したエルクリッドは、静かに吹き抜ける風の中で遠い記憶を思い出す。
懐かしい温もり、匂い、微笑み、その名前の主との記憶を。
「お母、さん……?」
「うん。ここはスバルの……エルクリッドのお母さんのお墓。セレファルシアはね、スバルの出産に関わってるんだ」
言葉がでなかった。忘れてた記憶を思い出し、欠けていた記憶が埋められ、やがて目から流れるものが頬を伝い地へ還る。
初めての辛い記憶が蘇る。燃える集落で倒壊した建物に挟まれた母に逃げるよう言われ、泣きながら逃げた記憶が。
それまでの母と過ごした記憶はない。だが、温もりは覚えている、優しさや愛情を注いでくれた事も。
「詳しく、教えてください。セレファルシアさんとお母さんの関係……あたしの、事も」
いいよ、と答えたノヴェルカはエルクリッドが落ち着いて聞けるよう心を鎮めるのを待ち、それから、彼女が産まれた時の事を語り始める。
「セレちゃんがスバルと出会った時、あの子は産気づいてて弱ってた。ひと目を避けるように一人で産もうとしてたのをあちきが気づいてセレちゃんに伝えたんだ」
何処からか香る甘く優しい匂いとともに、エルクリッドの脳裏にノヴェルカの語る出来事が自然と浮かぶ。
小さな洞窟の中で息を絶え絶えで産気づきながらも、やって来たセレファルシアに敵意の眼差しを向ける赤い髪の女性スバルの姿があった。だが苦痛に喘ぐ姿に舌打ちしつつセレファルシアはスバルに近づき、抵抗しようとする彼女の手を掴み止める。
「医者として放っておけねぇだけだ。別にてめぇが何者かとかどうでもいい、今はそれよりも優先することあんだろが」
セレファルシアに諭されたスバルの敵意が消えたのを見計らってノヴェルカも自身の力を使い、スバルの下から草を生やしベッドの代わりとし、出産の準備に取り掛かる。
しばらくして、元気な産声が響き渡り布を巻いてセレファルシアがスバルの隣に赤ん坊を、エルクリッドと名付けられる子を置いてやると、スバルの顔に笑顔と涙が溢れた。
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