無能と罵られた俺の仕事は、地球が滅ぶまでの最後の『1秒』を告げることだった〜世界から忘れられた時間測定員、うるう秒で世界を救い最強の時の番人となる〜

境界セン

前章

第1話 星の瞬きとため息

「また、コンマ0.0001秒、ズレてる……」


静寂に満ちた観測室に、俺、水無月 空(みなづき そら)の声だけが響く。

目の前には、地球の自転速度を示す無数のモニター。その数字の羅列だけが、俺の話し相手だった。


「水無月くん、まだそんなところにいたのかい?もう終業時間だよ」

背後から聞こえたのは、同期の佐々木の声だ。憐れむような、それでいてどこか見下したような響きが耳に障る。


「ああ、もう少しだけ。データに気になる動きがあって」


「ふーん。まあ、どうせ誰も見ないデータだろうけどね。うちは成果主義なんだからさ、もっと評価に繋がる仕事をしたらどうだい?」


佐々木はそう言い残し、鼻で笑って部屋を出て行った。

彼が所属するのは、華やかな衛星開発部門。それに比べて、俺がいるのは『国際時刻管理局 地球回転測定室』。聞こえはいいが、局内では『化石部署』と揶揄されている場所だ。


主な仕事は、地球の自転のズレを観測し、必要であれば『うるう秒』の挿入を国際機関に進言すること。

地球の自転は、実は一定じゃない。月の引力や、地球内部の核の動きで、ほんの少しずつ、毎日ズレていく。

その僅かなズレが積み重なると、俺たちが使う原子時計の時間と、実際の地球の時間との間に無視できない差が生まれる。

それを調整するのが、『うるう秒』だ。


でも、その調整は数年に一度あるかないか。

日々の業務は、ひたすら単調なデータの監視。成果として目に見えるものはほとんどない。

だから、俺たちは『税金泥棒』と陰で呼ばれていた。


「……別に、誰かに評価されたいわけじゃない」


モニターの数字を睨みながら、独りごちる。

俺がこの仕事に就いたのは、ただ一つの理由からだ。


十年前、旅客機墜落事故で両親を失った。

原因は、最新鋭の航行システムが、僅かな時間のズレに対応できなかったことによる誤作動。

もし、あの時、正確な『うるう秒』が挿入されていれば……。


そんな思いが、俺をこの場所に縛り付けていた。


「おはようございます!水無月さん!」


翌朝。

俺がいつものように薄暗い観測室に籠っていると、太陽のような声が響いた。

声の主は、今日からこの部署に配属された新人、天野 光(あまの ひかり)。


「……おはよう」


「うわー!すごい!これが地球の自転を見ているモニターですか?なんだか、地球の心臓の音を聞いているみたいですね!」

光は、目をキラキラさせながらモニターを覗き込む。

こんな反応をされたのは、何年ぶりだろうか。


「心臓の音、か。俺には、ため息に聞こえるけどな」


「え?」


「地球も疲れてるんだよ。毎日毎日、同じように回ってるようで、少しずつズレていく。そのズレを、誰も気にかけない」


俺の言葉に、光はきょとんとした顔で首を傾げた。

まあ、無理もない。こんな仕事の重要性なんて、誰も理解できない。


「それより、歓迎会、今日だったか?」

「はい!午後7時から、駅前の居酒屋です!部長命令ですよ!たまには地下から出て、太陽の光を浴びろって!」

「……太陽の光か。俺が見てるのは、星の光だけだ」


その日の夜。

歓迎会は、予想通り退屈だった。

他の部署の連中も数人混じっていて、彼らが俺たち『化石部署』をどう見ているか、その視線だけで痛いほど伝わってくる。


「地球回転測定室?ああ、あのまだあったんだ、みたいな部署ね」

「毎日何してるんですか?星占い?」


嘲笑が、アルコールの匂いと混じり合って部屋に満ちる。

俺は黙って、グラスの氷を指でなぞった。


「皆さん、知らないんですか!?」

沈黙を破ったのは、光だった。

少し頬を赤らめながら、彼女は立ち上がって声を張り上げる。


「水無月さんたちが観測している『1秒』が、どれだけ私たちの生活を支えているか!GPSだって、金融取引だって、皆さんが当たり前に使っているそのスマホだって、正確な時間があって初めて動くものなんですよ!」


その場が、しんと静まり返る。

光の真っ直ぐな瞳が、居心地悪そうに視線を逸らす同僚たちを捉えていた。


「……お前、なんでそんなこと知ってるんだ?」

俺が尋ねると、光は少し照れたようにはにかんだ。


「昔、水無月さんと同じ事故で……兄を亡くしたんです。だから、時間のことが、どうしても他人事だと思えなくて」


その言葉に、胸の奥がずきりと痛んだ。

同じ痛みを抱えた人間が、こんなに近くにいたなんて。


「……そうか」


俺はそれ以上、何も言えなかった。

ただ、彼女の存在が、この孤独な観測室に差し込んだ、一筋の光のように思えた。


歓迎会が終わり、夜道を二人で歩く。


「あの、すみません、出過ぎた真似を……」

「いや。……ありがとう」


俺の口から、自分でも驚くほど素直な言葉が出た。


「お前みたいな奴がいるなら、この仕事も、まだ捨てたもんじゃないかもしれないな」


その時、俺のスマホがけたたましい警告音を鳴らした。

国際宇宙天気情報センターからの緊急アラート。


『観測史上最大規模の太陽フレア発生の兆候。地球到達は72時間後と予測。全世界の通信インフラに致命的な影響が出る可能性——』


スマホの画面に映し出されたその文字を、俺と光は息を飲んで見つめていた。

地球の時間が、狂い始める。

そして、その意味を本当に理解しているのは、世界で俺たち二人だけかもしれない。


俺たちの、孤独な戦いが始まろうとしていた。

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