第12話ー同じ釜の飯を食う朝

 気が付けば、カーテン越しから差し込む太陽の光で、とりあえず朝を迎えたことは理解した。

 目の前の雀卓には、野郎二人が頬に萬子やら点棒をくっつけて寝伏せているカオスな状況。

 いつ寝たのか全く思い出せないが、緑色の盤上には昨日、しっかりと掃除したはずの雀卓の上には無数に転がるドクペ缶とペットボトルが散乱し、この世の終わりのような光景を映し出しているようだ。

 しかし、そんな不健康極まりない夜を過ごし、最悪な寝心地で寝ていたであろう環境を目の前にしても、あの、白く無機質な天井を見ながら起き上がった時よりはずっと良いと思ってしまう。

「しかし、俺。退院してるとは言え、まだ経過観察中なんだよなぁ。良いのかな初日でこんな生活してて」

 誰もいない病室で半年も過ごしていたんだ。

 独り言を言ってても、もう何も思わない。

 しかし……。

 この悪友どもは、一応俺が経過観察中であることを知ってて尚、身体にとっては地獄の夜を過ごさせたんだと思うと、友達選びをミスってしまったという後悔の念がこみあげてくる。

 そして、キッチンの奥から聞こえてくる心地の良い料理の音。

 まるで、小さい頃に実家に泊りがけで遊びに来た友達とそれを迎え入れ、料理を振舞おうとする母が作り出す暖かい空間が広がり、完全に無防備で安心できる空間が出来上がっている。

 ドア越しなので、誰が料理をしているのかは見えないが、幸せな空間を作り上げている正体は、制服の上に素朴なエプロンを身にまとったあかりしかいない。

 永遠とも思える退屈で孤独な時間を強いられた入院生活ではあったが、それによって得られたものがこの時間ということなら、おそらく割にあっているのだろう。

 この幸せがいつまでも、続きますようにという思いを込めながら、ドアを開け、そして、その幸せを運んでくれた天使に感謝の気持ちを交えたおはようを伝えなくては。

 ——ガチャ。

「あらぁ。奏汰、今日は起きるの早いんじゃないのぉ」

「——はあぁぁ……ですよねぇ。そんな都合のいい話、あるわけないわな」

 わかっていた。分かっていたよ、うっすらとは……。

 あかりが、俺らのために朝ご飯を?

 制服の上にエプロンを着て?

 そんなラブラブな新婚カップルのようなイベントが?

 しかも、俺の家で?

 ないない。

 しかし……。

 それを少しでも期待してしまうのが男子高校生の本能なのでございますよ。

「何よ。人がせっかく奏汰のために、ご飯を作りに来てあげたというのに」

「いや、まあ。嬉しいよ。嬉しいし、ありがとうなんだけどね」

「何? もしかして、あかりんのエプロン姿を想像してたの?」

「はい。そうです。その通りであります」

「なるほどなるほど。つまり、私はその期待を裏切ってしまったということになるわね」

「そういうことですねぇ。それで、大本命のあかり様はどこに行かれたのでしょうか」

「そうですねぇ。とりあえず、いったんその腹立つ敬語と無駄に高い声をやめてくれないかしら」

「ペロッ」

「あらぁ~。おかしいですねぇ。舌の色が少し悪いような気がしますねぇ」

「あ……いや、そんなことは」

 やばい。

 ちょっと、ふざけすぎたか……。

 千谷、顔は笑っているのに目が怖い。

 え?

 そこまで、ふざけたのか?

「えぇっと。ご不快にさせてしまい申し訳ございません」

「そうねぇ。とりあえず、担当医権限で病院に強制送還しようと思ったし。賢明な判断なんじゃないの」

 こわ。

 まじで、あぶねえ。

 え?

 というか、なんで?

 ここまで、怒る必要あった?

「ふぅ。で? 体調はどうなの?」

「体調? あぁ、特に問題ないよ」

「あっそう。あかりんなら、家に着替えとか諸々取りに帰ったの」

「あぁなるほど。やっぱり一緒に住むことになるんだなあ。で、なんで千谷が?」

「どうせ、あかりんがいなかったらまともなご飯食べないでしょ。まともに作れないんだから」

「じゃあ、わざわざ作りに来てくれたのか?」

「っそ。本当に手のかかる患者というか幼馴染というか、弟というか」

 ちょっと口が早く動いている。

 まだ怒っているのか。

 だけど、その怒りの中の節々からでている優しさが身に染みる。

 金色の髪の毛をポニーテールで束ねて、手を腰に当てながら鍋の中をかき混ぜる千谷は、子供を叱りながらも朝ご飯を用意してくれるお母さんそのものだ。

 そして、鍋がぐつぐつと煮てきたところでリビングの麻雀卓で寝伏せていた二匹の野郎どもがお腹をすかせたのだろうか。

 奥でごそごそと不吉な音を立てている。

「とりあえず、ご飯をよそいで持って行ってあげるから、奥の二人も起きたみたいだし、あの机に転がっている空き缶片付けちゃいなさい」

「承知いたしました」

「——あれ? 片付いてる?」

「あ、おはよう。かな、空き缶と諸々の掃除完了しといたよ」

「あ、マジか。さんきゅーな!」

「おいおいおい。奏汰くぅん? 掃除のことはどうでもいいのよ。それよりも朝から、東雲さんと甘酸っぱあいラブコメ会話を展開してたようだが、どういうことかね?」

「いやべつにしてねえって。なんなら、俺強制送還されそうになったんだが?? 冷や汗しかねえ会話だっただろ」

「え? は? お前、マジでそう思ってんの?」

「なんだよ琉璃。知ったような感じで言いやがって。てか、話聞いてたのかよ」

「あはは。しょうがないよ琉。奏がそんな繊細な機微に気づくはずないんだから。それに奏、ドア一つ挟んでたとしてもそこまでワンルームなんだから、どこにいても話し声くらい聞こえちゃうのは当然じゃないか」

「うん。うん。わかった。一万歩譲って、話を聞いていたことは物理的な不可抗力と仮定しよう。だがなあ、一馬。お前、いまの絶対悪口だろ」

「えぇ? そんなことないよ! 奏は、ほら。ラブコメ系主人公だからさ! 仕方ないよねてことだよ」

「だぁれが、鈍感じゃごらあ!」

「え、あっちょ。やめ、やめてよ!」

「何してるの? 私、片づけてとは言ったけど、別に一馬くんにちょっかいかけろとは言ってないんだけど」

「あ……」

 許してくれ、千谷。

 千谷から見ると、掃除をそっちのけで、俺が一馬を押し倒し、腰から脇までくすぐりながら脚でがっちりと身体を固めこみ、それを横から野次を飛ばす琉璃というオス猿同士の醜い争いでしかない。

 しかし、男というものは——男子高校生というものは、こういう生き物なのだ。

「とりあえず、ご飯食べましょ。遅刻しちゃうでしょ」

「もしかして、東雲さんの手作りだったりするのでしょうか」

「そうよ? てゆか、琉璃君? 別に私たち、同級生なんだし、敬語なんて要らないんだけど」

「え? で、でもそういうわけには……」

「いいんだよ琉璃。別に、医療部の人間だからって、気使う必要ないだろ。ましてや千谷に」

「奏~汰~く~ん? あなたは、もう少し私に敬意を払いなさいね?」

「あ。はい」

「まあ、琉。奏は、いったん置いといても、確かに医療部の方々には同級生でも無意識に敬語になっちゃうのは分かるけど、そういうのを嫌がる医療部の子の方が多いんだよ」

「そうなのか?」

「だって、私たちも同じ高校生なんだもん。普通に接してもらいたいよ」

「わ、わかった。じゃあ、改めてよろしく!千谷……さん」

「うん! よろしくね琉璃君」

 とりあえず、今日の朝飯の時間は琉璃が千谷のことを克服した……というより、女子と普通に話すことができたことが大きな収穫なのだろう。

 しかし、こうして卓を囲んでみんなでご飯を食べることがこれほどまでに幸せなことだったとは……。

 まだ、高校生の歳ではあるが、家内安全や健康第一という言葉が身体中に染みわたる。

 この幸せがいつまでも続くことを俺は、切に願おう。

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