第7話ー戻ってきた日常に追加されたラブコメ

半年ぶりに返り咲いた我が家。

 天井、棚の上やベッドの上のあらゆる場所から半年ぶりの主人の帰りを出迎えてくれる無数の推しグッズ。

 卓上とその下のフローリングには、何の法則性も持たず、一つの集合体として絶大な存在感を放つ無数の菓子と缶ジュースの残骸達たちが絶望の渦を作り出す。

 そして、後ろから漂う女の子独特の可愛い香りが無数の羞恥の槍を作り出して、背後から激しく突き刺してくる。

 さらに、俺を罪悪感と自虐に苛む諸悪の根源は、何も言わずに笑顔で掃除をし始めるのだから自分自身の存在価値を見失っても仕方ないのだ。

「へえ。これが、奏汰さんの部屋なんですねぇ。男子高校生っぽくて、なんだかいいですね! あ、このフィギュアがいつも奏汰さんが読んでいたラノベのキャラですか?」

 ——前言撤回。

 俺は、存在価値を見失ったのではなく、もう無くなってしまっていたようだ。

 これから、学校随一の美少女をこんな汚部屋に連れ込み、あまつさえこの環境下で共に時間を共有し合おうというのだから、生存価値すら無いのかもしれない。

 少なくとも、好き勝手に家を荒らし、放置したまま入院した過去の自分を俺自身の手で殺したいと思っているのだから。

 そんな、自罰的思考に溺れている間に、あかりは颯爽とごみを片付けを始めようとしていた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、あかり。さすがに、掃除くらいは自分でやらせてくれ」

「そうですか? でも、私お掃除得意ですし、もっと私を頼ってください」

「すまん。さすがに、俺の心が持たない……というか、まだこんな俺でも死にたくない気持ちは残ってるんだ」

「——大丈夫、大丈夫ですよ。私は奏汰さんのナースなんですから。あなたが不便と感じることはなんでも私にぶつけてきてください。わがままも全部私が受け止めますから」

 無我夢中で、ゴミと一緒に自身の心が生み出す邪な欲を必死で掃除していく中で、背後から包み込まれる優しいあかりの匂いや体温、肌の感触で頭がぼーっとしてくる。

 この感じ、懐かしい。

 

≪——大丈夫。大丈夫だから≫

 そうだった。

 ——千谷。

 小さい頃、孤児同然の時間を強いられ、寂しくて寂しくて毎日のように泣きじゃくってた。

 でも、千谷はいつもそんな俺の孤独を優しく抱きしめてくれたんだ。

 その頃とよく似ているこの感覚。

 頭の中が整理され、ネガティブな感情が根こそぎ心の中から削ぎ落されていくような感覚。

 しかし、千谷の時とは明らかに違う別の感覚。

 いつまでもこうしてもらいたいというような身勝手な欲求だけではない。

 彼女に頼るのでは無く、彼女に頼られる存在になるべくしてなろうとする身の程を弁えない責任。

 しかし、そんな分不相応の身勝手な責任感は時に自分を奮い立たせる。

「そうだ、あかり。この家を空けて半年も経ってるんだし、今日の夕飯が無いんだったわ」

「それはそうですね。では、一緒に買い物行きませんか?」

「おう。そうだな。行くか」

 床に捨てられたゴミは、一掃。

 そして、半年間溜め込まれた塵や埃は、半年ぶりに出勤する掃除ロボットに一任して、今日の夕食文と明日の朝食分とそれから……。

 どうせ、あかりとこれからずっとここで一緒に過ごさなければならないんだ。

 色々と買い込まないとなあ。

 

 半年ぶりの学生街。

 流石に半年くらいでは浦島太郎現象は起きないらしい。

 街並も軒並み並ぶ店の顔も特段とした変化はない。

 しかし、半年間、大隣学院の校門以外の外の景色を見ることを許されなかった俺にとっては、感動で武者震いが身体中を走り回る程に、感慨深いものがある。

「どうですか? 久しぶりの街は」

「最高だね。いつも外の景色を見れたとしても大麟の校門とその先にある並木通りだけだったんだから。こうして、眼に入り込んでくる街の色だけじゃなく、ざわざわとした街の音。海沿いにある街独特の潮の香りと人工が作り出す匂い。そして、肌を撫でるそよ風の全てが大好きになりそうだわ」

「ふふっ。それは、良かったです。でも、なんで学生街にある百貨店なんですか? 食材を買うなら、商店街のほうが近いのに」

「いや、ほらだって、これから一緒に住むんだし、色々とついでに買ったほうがいいと思って……」

「あぁ……そんなに私のこと想ってくださるなんて嬉しいです」

 一瞬、固まったようにも見えたが、それでもふと顔を横に傾けて微笑みかけてくるあかりのその仕草に、一々、あかりの周りをピンク色に輝くエフェクトが幻覚のように頭をよぎる。

 でも、これにも耐え続けないといけないんだ。

 何せ、彼女は飽くまでも俺の担当ナースであり、千谷の……千谷の妹なのだから。

 そう言い聞かせて、バタフライエフェクトでおかしくなりそうな頭を大量の滝水で冷やすことで、ようやく自身の目的を思い出した。

 そして、一層クリアになった目の前にある景色には、大きな三日月に乗っかる青いペンギンが店の前でじっくりと俺達たち客を待ち焦がれているように見える。

「久しぶりに見たなぁ。あのキャラ」

「可愛いですよね、あのペンギンさん。あ、そういえば、今日のご飯は何が食べたいですか?」

「うーん、そうだなあ。久しぶりにからあげとか食べたいかな」

「からあげですか? 確かに、ここ最近は揚げ物食べられていませんでしたものね。では、頑張っておいしい唐揚げ作りますからね」

「いや、待ってくれ。俺も作れるんだが」

「では、一緒に作りましょうか」

 おそらく、傍から俺たちの姿を見ると、新婚カップルか同棲カップルがイチャついてるようにしか見えないのだろう。

 しかもここは学生街のど真ん中にある大型百貨店。

 周りの妬みを込めた多くの藍色の視線が紫外線のように肌を突き刺してくる。

 おまけに、いつもはこの小さな学生街であの学院のアイドルが買い物をしている姿など点で見かけないはずにも関わらず、男を連れてラブコメ全開のデートを展開中。

 さらに、その連れている男というものは、半年前からうちの学園の病棟室での入院生活を強いられており、昨夜のオンラインポーカーの相手をしてやっていたときは、未だしばらく退院の話は出てないと供述していたはずだ。

 つまり、今日の夕飯と晩酌のお供を偶然この百貨店に買い求めてきた二人の男達にとっては、二つの見慣れない非常に興味深い光景が目の前に広がっているということになる。

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