第4話ー担当医『天使のような小悪魔』

「へえ。あなたが、ここまで追い込まれるって結構珍しいんじゃない?」

 左側の耳から入ってくる暖かくどこか懐かしい声。

 鈴のような音色を奏でて、俺の集中力を上げてくれているようにも想える。

「そうなんだよなあ。このAI、日に日に強くなって、今日は俺の手をことごとくつぶしてくるんだよなあ」

「まあ、それがAIというものだからねえ。あ、でもそこのクイーン」

 まさに、鶴の一声だ。

 俺のクイーンの立ち位置は、ちょうど逆転の一手を秘めている最高の位置にある。

 これなら、後三手で勝てる!

「あ、ほんとだ。これなら、クイーンをここに移動して……お、チェックメイトだ! ありがとう。あかり――って……!!」

 危なく、柄にもなく二人の前でベッドから落ちるという失態を晒すところだった。

 カモミールティーの効能なのか、それとも久しぶりにゲームで負けの窮地に経たされたことで、AI相手に熱を上げてしまっていたからなのか、周りが見えなくなってしまうくらい没頭していた俺にも非はあったかもしれない。

 しかし、それは百歩、いや、一万歩譲ってようやく非を認めたらの話だ。

 どこの世界に何も音を発さず病室に入り込み、あまつえさえ、自然と患者の考え事に入り込んでくる担当医がどこにいるだろうか。

 そして、転倒しかけた患者を目の前に腹を抱えながら必死で笑いを堪えようとしている目の前にいる白衣姿の悪魔こそ、俺の担当医にして、幼馴染なのだ。

「だいじょーぶぅ? 転んでない? けがとかしてない?」

「ああ。奇跡的にな!」

 大隣学院二年生で同じクラスで医療部の東雲千谷(いずもやちや)。

 大麟学院医療部の純白でかつ厳格な白衣からはみ出るあどけなさを持ち、黄色の長袖のカーディガンと正統派の制服から覗く日本人らしい小麦色の肌が女性らしさがより際立つ。

 肩まである艶やかな金色に輝く髪と、小柄の中に確かな女性らしさを主張する体躯。

 具体的に言えば、豊満な胸とお尻。しかし、引っ込むところはしっかり引っ込み、健康的に仕上がった身体は、あかりに負けず劣らずの人気を集めているが、彼女の場合は、あかりとは別の意味で注目を集めている。

 この大隣学院で生徒会部の副会長で医療部の生徒という二つの肩書に恥じない程のその頭脳は、当然のように成績では、学年トップに君臨。

 本来、そういう生徒は、孤高の才女として近寄りがたい存在となることが定石だろう。

 しかし、三代続く大手芸能事務所の社長を親に持つ彼女は、幼少期より英才教育によって育まれた高いコミュニケーション力と社交力を武器として、芸能界で生きる生徒も多いこの大麟で親の身分を隠し、クラスでもムードメーカー的ポジションを確立している。

 そんな美貌、頭脳、そしてクラスの中心人物という全てを兼ね備えた大麟のクイーンが何故か俺にだけ見せるその悪魔的悪戯心は、患者の俺をひどく混乱させる。

 それでも、患者という立場から見たとき、天才的頭脳と専門医としてのたたき上げのスキルを持った千谷が担当医として居てくれることは、”絶対に病気を治してもらえる”という絶対的信頼を持てるのだから悔しい。

 おまけに、日常生活において、その完璧な心遣いと看護師としての洗礼されたケアスキルを持っているあかりが側にいてくれているんだ。

 これほどにまで恵まれた環境はおそらく、百億円をかけてもなかなか手に入らないだろう。

「で? 今日は、何の用だ?」

「あらあらあら。せっかくあなたの大切な幼馴染がお見舞いに来てあげてるのに、釣れないのね」

「いや。担当医なんだから当然だろ」

「もぉ~奏汰。男がそんなツンケンしていても需要無いよ?」

「何の、需要だよ!」

「ふふっ。本当にお二人とも仲が良いんですね」

「おっと、あかりんも居たんだ。それじゃあ、ここに来た目的、二つの意味で達成できるわね」

「目的? 二つ? なんだよ」

「えっとぉ一つはねえ。あかりんの胸をまくらにして、疲れ切った身も心を癒しに来たのぉ」

「いいですよ。どうぞ」

「……」

「もしかして、奏汰もして欲しいんじゃあないの??」

「いや……え……そのっ」

「奏汰さんも来ますか?」

「行きます!」と欲望にまみれた心の中で叫びつつも、リアルで、もし心の赴くままに言葉を発した時の未来のシミュレーションが脳内で高速でに構築された。

 その結果、次に行きつく先は、療養スローライフではなく、懲役スローライフがスタートする未来が出来上がり、先程まで性欲で熱帯びた身体は、恐怖で一気に熱が冷めた。

「……俺は——遠慮します」

「めちゃめちゃ、残念そうじゃん」

「ちげえよ。犯罪の誘惑を断ち切った覚悟だ」

「大袈裟だなぁ。ここには、私しか見てないのに」

「私も、奏汰さんが望むなら構いませんよ」

「二人して、俺の人を辞めない覚悟を曲げようとするのやめてくれ」

 ピピッ——。

「千谷先輩、奏汰さん、お二人ともお昼のお時間みたいですよ」

「ちぇぇ。もう少しこうしていたかったのにぃ」

 病室内にあるAIランチのタイマーの音と、窓の外から学校のチャイムの音が昼食の時間を重なり合い、絶妙な不協和音を奏でるこの時間。

 しかし、今日ほどこの音楽に救われた日はないだろう。

 俺に、この地獄の拷問の時間が終了するということを知らせてくれているのだから。

「あらら、お昼の時間かあ」

「そうですね。じゃあ、奏汰さんの食事を取ってきますね。あ、千谷先輩もここで一緒に食べますか?」

「そうだねぇ。もう一つの目的のこともあるし、ここで一緒させてもらうね」

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