第25話:判決、その先に 「判決の朝」
判決の日の朝、裁判所の周辺は異様な熱気に包まれていた。報道陣のカメラが並び、傍聴を希望する人々が列を作っている。野次馬がひそひそと囁き合う声、スマートフォンのシャッター音、記者の靴音――それらすべてが混じり合い、重苦しいざわめきとなって法廷内に流れ込んでいた。
神崎は、その中心に立っていた。 眠れない夜を越え、胃の奥は焼けつくように痛む。それでも歩みを止めることはできない。今日、この瞬間で全てが決まる。
勝てば――蒼は自由になる。負ければ――蒼は一生、塀の中だ。果たしてどちらが正しいのか、もう自分でもわからなかった。
開廷のベルが鳴る。 静まり返った法廷に裁判長が入廷し、全員が一斉に起立する。蒼は被告席に座っていた。護送中と変わらぬ平静な表情、背筋は真っ直ぐ。 その横顔を一瞬見たとき、神崎の胸に冷たいざわめきが走った。
(……笑っている?)
いや、笑みというほど露骨ではない。けれど、口角の端がほんのわずかに動いた気がした。 それは勝利の予感か、それとも――。
裁判長が書類に目を落とし、低く重い声で告げる。
「主文。被告人一条蒼を――無罪とする」
言葉が響いた瞬間、法廷内がざわめいた。 記者のシャッターが連続して切られ、傍聴席から抑えきれない声が漏れる。
「嘘だろ」「ありえない」――怒りや驚きが混じった声が渦を巻く。
だが神崎の耳には、そのざわめきが遠く感じられた。 音がすべて水の底に沈んでいくように、世界が静まり返る。胸の奥で、安堵と虚無が同時に広がっていった。
(……勝った。)
蒼はゆっくりと立ち上がった。その動作には驚くほどの優雅さがあった。拍手も歓声もない空間で、彼だけが静かに呼吸している。蒼の瞳は深く澄んでいた。怒りも喜びも見えない。ただ、神崎をまっすぐ見ている。
そして、ごく小さく口が動いた。
――ありがとう。
声は届かない。けれど、確かにそう言ったように見えた。
閉廷のベルが鳴る。 蒼は護送官に促されて退廷し、神崎も弁護人席を後にする。 廊下に出た瞬間、報道陣が雪崩のように押し寄せ、フラッシュの光が一斉に弾けた。
「無罪判決です! 弁護人としての感想を!」
「真犯人はどこに? あなたは一条被告を信じているんですか?」
質問の雨が降り注ぐ。 神崎は何も答えなかった。答えられなかった。ただ、胸の奥に響く蒼の視線と言葉が、耳鳴りのようにこびりついていた。
――ありがとう。
外に出ると、冷たい風が頬を打った。 雲一つない青空が広がっている。世界は晴れ渡っているのに、神崎の心には暗雲が垂れ込めたままだった。
(本当に……これが正しかったのか?)
その問いに答える者は、もうどこにもいなかった。
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