第15話:「灯の消える音」

 深夜、神崎はひとり、書斎の机に向かっていた。デスクライトの下に広げられているのは、裁判資料と接見記録。それに、一条蒼の供述をまとめたメモ帳だった。何度も読んだはずなのに、今夜はやけに言葉が胸に染みた。 

 「僕が壊れてるんじゃないかって思うときがあるんです」

 「先生が話を聞いてくれると、少しだけ“自分”を思い出せる気がする」

 蒼の声が、耳の奥で繰り返される。

 (自分も、そうかもしれない)

 神崎はペンを置いたまま、しばらく天井を見上げた。リビングからは何の物音も聞こえない。恵はもう寝たのか。


 翌朝、神崎が目を覚ましたとき、部屋は異様なほど静かだった。時計の針は7時半を指している。恵はいつもならこの時間、キッチンで朝食の準備をしているはずだった。リビングに向かうと、テーブルの上に一枚のメモと、指輪が置かれていた。

 「しばらく距離を置きます。 あなたが戻ってこれる場所でいたかった。でも、いまのあなたには、それすら届かない気がしてしまうから。どうか、あなた自身を見失わないで」

 神崎はしばらく、その紙を見つめて動けなかった。指輪の銀色が、朝の光を受けて微かに揺れている。彼女の言葉は、優しくて、決定的だ。責めるでも、問い詰めるでもない。ただ、沈黙のように彼の心に突き刺さる。

 「戻ってこれる場所……」

 誰に向けるでもなく呟いたあと、神崎は静かに椅子に腰を下ろした。 テーブルの上にスマートフォンを置く。その瞬間、バイブレーションが震えた。

 (……?)

 ディスプレイには、拘置所の番号。画面の下に小さく表示された通知が目に入る。


 「被疑者・一条蒼 接見希望」


 神崎は、ゆっくりとまぶたを閉じた。 心の奥で何かが崩れる音がした。けれど、どこかでそれを“必要としていた”自分に気づいてしまった。 

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