366日

ぱぴぷぺこ

13時47分

「お疲れ、たまき


 夏休みも始まってまもなく。駅へ向かう途中、幼なじみの唯一ゆいいちが声をかけてきた。

 テニスバッグにラケットを突っ込んでいるところを見ると、これから部活らしい。


「……俺、その名前……嫌い」


 疲れてよどんだ声で返す。

 そもそも、こんなクソ暑い日に部活なんてやってられない。講習が終わって帰るだけでも気が滅入るのに。


「ミワよりマシだろ?」


 唯一は笑いながら言った。


 俺の名前は三輪みわ たまき


 なんでも俺の家は長生きしない家系らしく、ばあちゃんが長生きしたひぃじいちゃんの名前にあやかってつけたらしい。


 そんな名前、ありがたみも何もない。


「それより暑いし、アイスでも食おうぜ」


 学校に向かう唯一は、俺の提案に目を丸くした。


「……もしかしてお前、今日も機嫌悪い?」


 こいつの言う通りだ。

 俺はこの時間になると、決まって不機嫌になる。なぜなら——


 時計は13時47分。——来る。


 ガコッ。


 鈍い音がした。


 振り返ると、唯一の頭に植木鉢が直撃していた。


 赤い血が路上に広がってゆく。

 唯一はその場に崩れ落ちた。

 人々の悲鳴が上がる。


 この時間になると毎回起こる唯一の死。

 決して慣れることのない光景だった


「誰か救急車を!」「大丈夫!?」「警察呼んで!」


 身体がぐらりと揺らいだ。混じり合うノイズのなかで、俺の意識はゆっくりと暗転していった。



 ◇



 翌朝。今日はコンビニで唯一と会った。


「おはよう、環」


「今から部活か?」


「……ああ。こう毎日だと、身体もたねぇよ」


 俺の問いに唯一は答えた。

 そりゃそうだろう。こいつは毎日死ぬ。そして翌朝には、死んだことを忘れて生き返ってるんだからな。


 俺は俺で、唯一の死に様を見届けて、耐えられなくなって気を失い、また朝には目を覚ます。


 いつ頃からだろう。

 時間が止まったみたいに、輪廻の連鎖に閉じ込められたのは。


 今は、朝7時21分。電車には間に合う。

 けど——13時47分になれば、また唯一は俺の目の前で死ぬ。


 ため息をつく俺を、唯一がじっと見つめた。


「おい環、お前……最近、顔色ヤバいぞ」


 こいつ、死んだこと以外は覚えてるんだよな。

 誰のせいで体調崩してると思ってるんだよ。


 そんなことを思いながら、俺は唯一の顔を見つめ返した。



 ◇



「お前さぁ、昨日のこと、どこまで覚えてんだ?」


 電車の手すりに掴まりながら俺が尋ねると、


「朝起きて、お前と会って……それから、お前が事故に巻き込まれて、救急車で運ばれるってとこまで?」


「はぁ? なんだよそれ?!」


 思わず声をあげた。その俺に唯一が焦った。


「バカ、声でけぇよ……!」


 そう言ってから、少しだけトーンを落として話し始めた。


「……毎日、同じ夢見てんだよ。お前が、西四丁目の信号で、トラックにはねられる夢」


 ……それ……。唯一も事故にあう夢を見てるってのか? でも、違うのは「俺が事故にあう」って?


 俺が考え込んで黙ってると、唯一が苦笑いを返してきた。


「だからぁ、夢だって。お前、元気してんじゃん」


 チラリと時計を見る。——8時13分。


「……なぁ、今日、部活終わったら一緒に帰ろうぜ」


 俺がそう言うと、唯一は不思議そうに眉を上げた。



 ◇



 部活が終わり、13時43分。

 俺たちは西四丁目の信号が見えるコンビニの前で、アイスキャンデーをかじりながら立っていた。


「怒るなよ。 悪かったって」


 唯一は俺が死ぬと言われたことに機嫌を損ねた、とでも思ってるらしい。

 そんなことはどうでもいい。知りたいのは、


 ——どっちが死ぬかだ——


 13時47分。

 信号が青から赤に変わった。

 その瞬間、猛スピードのトラックが、赤信号を無視して左折して来た。曲がりきれず、大きく膨らんだ車体が、コンビニ前の歩道に突っ込んできた。


「環ッ!!」


 唯一の声が聞こえた。その直後、

 俺の意識は——闇に落ちた——。



 ◇



 気がつくと、視界には黒い影の合間から一番星が浮かんでいた。

 空は夕暮れ。あたりは静まり返って、鳥の声ひとつしない。

 ここは……森か? 


 ゆっくり起き上がると、目の前に見覚えのある祠があった。

 古く、苔むしていて、どこか空気が歪んで見える。


「……ここは、真名森まなもり?」


 学校の裏手にある、立ち入り禁止の古い鎮守の森。


 周りを見回すと誰もいない……。


「唯一?」


 あいつ、どこだ? それよりここは……。


 子どもの頃、俺は一度だけここで迷ったことがあった。森の奥には崩れかけた祠があり、まるで空気がねじれているような、不気味な静けさが漂っていた。その祠が……これか?


 俺はそう思いながら、古びた祠の前にたどり着いた。近づくと、不意に空気が変わった。時間が、凍りついたような感覚。

 風が止まり、森の中にいた「何か」が目を覚ました。



 ◇



『なぜお前が来るんだ』


 その声は、人のものとは思えなかった。

 深く、冷たく、それでいて懐かしさすら含んでいる。まるで魂に直接語りかけてくるようだった。


 俺の背中に冷たい感覚が走った。

 目の前にもやのような、それでいて重たい存在感を持った、異質なものが広がり始めた。


「お前……唯一なのか……?」


 黒い“影”のようなそれは、祠を隠すようにその前に立ちはだかった。


「答えろよ! 誰だよお前!?」


 頭の中に、直接響くような声が答えた。


 『唯一の魂は、「輪廻の鎖」に囚われている。それはかつて、自らの意志で背負った罰――「命を差し出す契約」によるものだ』


 「契約……?」


 『あの日、この森で彼の「延命の願い」を叶えた。代償として、「命を365回繰り返す」罰を受けた。一年を終えれば、魂は完全に分解され、消える』


 俺の頭は真っ白になった。


 「なんだよそれ……? じゃあ、その一年が終わったら、唯一は……!」


 『「生」も「死」も、この「輪廻の世界」で繰り返せなくなる。「完全に消える」のだ』


 輪廻の世界……? そんなのって——。


「なんの契約だよ? なんでそんなこと……!」


『お前の命を助ける契約だ』


 ドクン! 


 心臓が一瞬止まったような感覚だった。


「……俺の……?」


 ◇


『1年前は事故に遭った。本来、死ぬはずだったのは――お前だ』


「……俺?」


『この鎮守は未練の残る魂を治める場所。そのために取り交わされる契約がある』


「……唯一は?」


『唯一は、お前を助けるために命を差し出し、契約を結んだ。——命を救う代わりに、自らは一年間、死を繰り返すという罰を受ける』


「契約……? 罰って……」


『お前は延命の代償に、彼の死を365回、見届ける罰を背負った。それで唯一の魂は消え、観測者のお前は「元の世界」に戻れる』


 唯一の代償の上で、俺は死なずに済んだって言うのか? 心の奥が引き裂かれるように痛んだ。


「じゃあ、教えろよ! あいつを助ける方法は無いのか!?」


 思わず叫んだ。怒りとも悲しみともつかない感情が噴き出していた。


 沈黙の中、鎮守の『影』が、静かに答えた。


『――お前の魂を差し出せば、唯一は救われる』


「俺の命……?」


『そうだ。お前が代わりとなれば、『あの時』へ戻れる。契約は帳消しになる。唯一は輪廻から解放され、消滅を免れる。』


 言葉が詰まる。怖くないと言えば嘘になる。でも、それ以上に頭の中を駆け巡るのは――


 唯一の笑顔。何も知らずに笑っていたあいつの顔だ。


『選べ。お前が生き延びるか、唯一が生き延びるか。』


 選べだと……? そんなの――


「簡単にいってくれるなよな……」


『それでも彼は、迷わず選んだ』


 時間がない。けれど――


 俺が選ばなきゃ、唯一は……いずれ完全に、消えてしまう。


「……助けたい」


 ぽつりと、声が漏れた。


「俺の命で、あいつを救えるなら――そうしてくれ」


『本当に、それでいいのか?』


「当然だろ。……あいつは――」


 言いかけて、言葉が喉に詰まった。


 でも、もういい。


「……たった一人の、友達だ」


 その時だった。


 ◇


「環! 探したぞ!」


 声がして振り返ると、唯一が駆け込んで来た。

 肩で息をしながら、まっすぐに俺を見ている。


「……唯一?」


「お前が帰らないって、親から連絡が来た。GPS辿ってここへ……」


 唯一はそう言いながら黒い影に気がついた。


「なんだよ……これ……?」


 俺が、今聞いた話を唯一にするかどうが悩んでいると、


「お前……祠……? 事故……あの時の……」


 唯一は、虚ろな目をして語り始めた。


「おい! 唯一、しっかりしろ」


 だが唯一は俺の言葉に反応せず、独り言を続けた。


「俺……お前の死ぬとこばっか夢に見るから、大切なことなんだろうとは思ってたけど……」


 唯一はそう言って、影の後ろの祠を見た。


「……あの日……俺たちは事故にあって……混沌とした意識の中で、俺はこの祠を見たんだ……そして、お前が死ぬって聞いたから……こいつと契約して……」


 そう言うと唯一は再び『影』を見て言った。


「約束は果たすから……環、お前はなんの心配もしなくていい」


「何がだよ! こんな理不尽、聞かされて、『じゃあ俺だけ生き残ります』って、言えるわけないだろ!」


「言わなきゃ、俺の苦労は水の泡だ!」


 唯一が俺を振り返り、拳を握りしめて叫んだ。その時だった。


『静かにしろ!』


 いきなり黒い影の声が脳裏に響いた。俺たち二人は反射的に黙り込んだ。


『魂は二つは受け取れぬ。だが、一つも捧げられぬなら……それは契約違反だ』


「契約破棄は、即、俺の死で償う……だったよな?」


 唯一が苦しげに尋ねた。策はない。『影』はそう言ったんだ。


『これは「選択」ではない。「代償」なのだ。命を救えば、命を支払わねばならぬ。それが輪廻の掟だ』


 影の言葉は冷酷で、揺るぎない。


『あの事故で既に一人の命は失ってる。これを崩せば、世界そのものが歪む』


 分かってる……失われたのは俺の命だ。


「だから、唯一。死ぬのはお前じゃないんだ」


「環……」


「最初が間違ってたんだ。なにもしちゃいけなかったんだ……運命を変えちゃ……」


「やめろ!!」


 唯一の悲痛の声が、森の空気を切り裂いた。風が巻き、祠のまわりの草がざわめく。


「違う! 俺は、自分の意思で選んだんだ。お前に生きてほしいって。お前の未来を守るために、あの日、ここで、決めたんだ!」


「だけど俺……耐えられねぇよ! 毎日お前が死ぬところを見るのなんて……!」


 俺がそう言うと、唯一は言葉を失った。


「終わらせてくれよ……頼むから……」


 そう言ったとき、再び影の声が響いた。


『それが、この契約の本質だ』


 影が語る。


『命は一つだけ選べる。それだけでは、ただの取引にすぎぬ。だが、その選択の重さをもう一人に「見せる」ことで、初めてこの輪廻は成立する』


 月の光が微かに揺らいだ。


『痛みも、記憶も、哀しみも。全て背負い、生き続けるための「代償」だ』


 影の後ろから風が巻き起こった。まるで時の終わりを伝えるかのように――。


『時間が来る。選べ』


 俺は、覚悟を決めて一歩前に出た。影を正面から見据える。


「俺の命を差し出す。唯一を解放してくれ」


「……環……」


『了解した。契約は「上書き」される』


 だがその瞬間、唯一が俺の腕を強く引いた。


「バカ野郎ッ!! 黙って受け入れてんじゃねぇ!!」


 振り返る俺をよそに、唯一は影に向かって叫んだ。


「俺が選んだのは、環の『生きる未来』だ! それを塗り替えるなんて、ふざけんなよ!!」


 影の気配がざわめいた。


『ならば……選択は未完了。契約は「不成立」——』


「待て!!」


 不成立には出来ない! 契約違反で唯一の命は無に還る――そうはさせない!


『選択肢は一つ。魂は一つ。秩序を超える選択は、許されない』


 絶望的な静けさが満ちた。


「じゃあ……俺にも契約させろよ」


 ――今の俺にはこれしか思いつかない。


『なにをだ?』


 ──それでも。


「俺の命を延命させる契約をしたのなら、俺にも唯一の命を延命する契約させろって言ってんだよ!」


「何言い出すんだ? 環!」


「お前だけ契約するなんて不公平だろう!」


『つまり今度は、お前が唯一の代わりに死の輪廻を繰り返すというのか』


 影の声が再び響いた。


『そうやってお前たちは、いつまでも互いが互いのために命を使って、輪廻を続けていくつもりなのか?』


 そう言われ俺は唯一をみた。唯一も俺を見ていた。


「「……互いに……?」」


『契約は本来、片方の望みを片方の代償で支払わられる。だが互いとなると、私には天秤を傾ける術がない。あとは、命の「代償」そのものが、永遠に続くだけだ』


「……それって……?」


 俺が、影に話しかけた。影が答えた。


『互いに命を引き合えば、契約は決して完了しない。終わらない輪廻こそが、その報いに変わる』


「報いを受ければ、命は……」


 唯一が念を押すと、影が言った。


『どちらの命も、差し出すことができなくなる』


 それを聞いて、俺たちは無言でうなずき合った。


 そして——


「俺は唯一を選ぶ。お前と生きる未来を」


「俺も、お前が生きてほしい。それだけが、望みだ」


 影が、しばらく黙ったのち、低く響いた。


『契約の「上書き」。申請による立場の逆転。永遠の「代償」を確認』


 影は更に付け加えた。


『お前たちの強い意志が、契約の構造そのものを揺るがせた。かつて例はないが……上書きは成立する』


 その瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。


 風が戻り、蝉の声が響き、真名森の空気が夏の匂いに変わった。


 まるで、何事もなかったかのように。


 ◆


 夏休みも終わるころ。

 いつもの駅で、唯一と一緒になった。


「お疲れ。 環」


「おぅ、お疲れー。 唯一」


 いつも通りの昼下がり。


『まもなく、急行が通過します』

 場内アナウンスが響いた。


「慣れた?」


 いつも通り、唯一が聞く。


「いや、なかなか慣れねぇよ」


 俺たちは、ホームの端で、並んで立っていた。


 そして俺たちは、今日もその『罰』を受ける。


「こう悪夢が毎晩じゃ……」


 俺が答えた時だった。


 ドン。


 歩きスマホのOLが俺にぶつかってきた。

 反動で俺は線路に投げ出された。


 パーー…ン!!


 通過列車が俺の身体を弾き飛ばした。


 そして、いつもの光景。


「きゃーっ!」「学生が!」「駅員さん!」


 悲鳴がホームに広がり、周りが騒音に変わる。響くノイズ。かすれゆく意識の中でも、唯一の声ははっきりと届いた。


「――また明日な、環」




 了




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