第33話 隣にいる相手は【Side : Kana】

「あ、喫茶店に忘れ物した。取ってくるから待ってろ」

 ユキトはそう言うと、あたしを置いて走って行ってしまった。


 ああいうところは小さい時から変わっていない。自分のものに無頓着なところも、あたしを置いてどっかに行ってしまうところも。

 あいつは前に、あたしによく引っ張られるって言ってたけれど。仕方ないじゃん。引っ張らないと、どこに行くか分からないんだから。


 それでも。


「いつも、あたしのことを考えてはくれてるんだよね」

 あたしに戻らせるのが申し訳ないから、一人で行ってしまった。二人でいる時間が減るから、あたしにとってはマイナスなのだけど、ユキトはそうは思わない。


 ユキトの発言は彼の不器用な優しさから来ている。いつも他人事だ、他人事だとか言っているのは、実は踏み込みすぎるのを怖がっているからだ。あたしは分かってる。

 それでいて、あたしには自分はいなくていいって思ってる。近くにいるのは自分のわがままだって。あいつは何にも分かっちゃいない。


 あたしが、どれだけその優しさに救われたか。それを失うのを怖いと思ってるか。あいつは、そんなこと全然分かっていない。

 一緒にリボンを探してくれた日のこととか、覚えてるんだろうか。


「……あっ」


 お店のガラスにあたしの姿が映っている。白いブラウスにスカート。それを見ると、これをメグに選んでもらったことを思い出す。


――カナちゃん、いつものカナちゃんもわいいけど、ここはいつもとは違う魅力で押すべきです。どうでしょう? これなんかせいな雰囲気で、カナちゃんのかわいさを引き立ててくれますよ。


 最初の方は普通に買い物していたのに、途中からメグは暴走を始めた。あたしを散々着せ替え人形にして、ついには自分のカードで全てを手に入れようとして、さすがに引き留めた。頼んだのはあたしだけど、さすがに熱が入りすぎじゃないかな。

 でも、メグの私服のセンスに憧れてたところはあったから、お願いして良かったかな。あたしじゃ、こういうの、手を出せないし。


「財布は軽くなっちゃったなぁ」


 あたしは苦笑いを浮かべる。御値段的にも普段は手を出せない代物だった。これからも大事に着よう。


「でも」


 ユキトは、どう思っただろうか。


 思い返す。今日初めて会ったとき、あいつは露骨に目をそらした。言葉に詰まってるときもあった。

 がんばってみた、効果はあったのかな。胸の奥がじんわりと熱くなった。


 備え付けのベンチを見つけて、腰を下ろした。ここで待ってようかな。


「う~ん」


 足をぷらぷらとさせる。あたしの足、太くなったかな? メグは見せた方がいいって言ってくれたけど、ユキトはどう思うかな。


 視線をあげる。向こうの方に、一際鮮やかなポスターが貼ってあることに気づいた。

 なんだろ。じっと見て、それが何なのか気づいてハッとした。


「花火大会。そっか、もうすぐだ」

 それは地元の花火大会の案内だった。ずきり、と胸が痛む。



 それは中一の夏の頃。

 あたしは一人、会場で友達を待っていた。小学校の頃から、みんなで集まって見に行くのが約束みたいになっていた。

 今年も、そうしようか。あたしは声をかけた。皆が笑顔でうなずく中、一人だけ渋い顔をしていた。


――ごめん、カナ。私は一緒に行けない。

 そのときは、そういうこともあるかな、と思って気にもとめなかった。


 早く来すぎたからか、空はまだ群青色で本当の夜には遠い。人の量もまだまばらだ。浴衣姿の人を見て、あたしは動きにくそうだなぁとか思っていた。


「あれ?」


 浴衣の人々を見ていて、あたしは気づいてしまった。そこにいるはずのない人影が見えたことに。


 髪を結い上げた、淡い水色の浴衣姿。普段、一緒に体操着で汗を流している彼女だ。今日はこれないと言っていたのに。

 彼女は落ち着かない様子で、きょろきょろと周囲を見渡している。そして、やってきた男子と目が合った瞬間、彼女の表情が変わった。


「あっ」


 あたしは目を奪われた。遠くから見ているのに、分かってしまうほど彼女の表情は明るかった。花が咲いたように笑って、ほおを赤く染めている。花火よりも、鮮やかに思えた。


 そういうのにうといあたしでも分かった。彼女が断った理由が。


 それから、あたしは他の友達には体調が悪いとうそをついて、家に帰った。心がざわざわして、まともに話せるとは思えなかった。花火どころでは無い。


 自分の部屋で、窓を開けて、花火の音を聞きながら思う。今頃、あの二人は何をしているのだろうか。

 想像だけで、ほおが熱くなってきた。手にした枕に顔を押しつけて、ぐりぐりと頭を動かす。こんな感情は初めてだ。


 そっか、あれが。

 あたしは顔をあげた。自分だったら、どうなんだろうと想像してみた。


 ……一人しか、相手は思いつかなかった。


 窓の向こうの部屋を見る。あたしの胸がぎゅっとなった。それが、あたしの初めてだった。


「今は、どうかな」

 想像してみる。すぐに答えが出た。

「うん、やっぱり一人だ」


 ポスターを見ていると、心がざわざわしてくる。自分では整理しきれない色々な感情がせめぎ合っている。

 それを何とかしようと思ったら、行動しなくちゃいけないんだろうな。


「頑張ってみようかな、今年は」

「え、何を?」


 上から振ってきた声に心臓が跳ね上がった。


「お、おき! いつ戻ってきたの」


  見上げると、不思議そうな顔をしたユキトが立っていた。あたしはとてつもなく変な顔をしているのだろう。

 恥ずかしさでほおが熱くなる。誰にも聞かれていないと思っていたのに声を拾われた。


「ああ、すまん。さっき戻ってきたんだけど、何を頑張るんだ?」

 首をかしげている。あたしの発言を忘れてくれない。あたしは立ち上がって、大きく首を横に振る。


「な、なんでもないよ。ホント!」

 手をぶんぶんと振って、全力で否定した。自分でも分かってる。余計に妖しくなっちゃってるって。

 でも、これで大丈夫だろうという、妙な安心感がある。


「ふーん、そっか」

 ユキトは納得はいっていないようだけど、話を打ち切った。あたしが本気で言いたくないことに踏み込んでは来ない。それが、こいつなりの優しさなんだ。


「じゃあ、行くか」

「そ、そだ。買い物していこうよ。沖田の冷蔵庫、空だったから。作り置きしといてあげる」

「……いや、いいって。そこまでしなくて」


 あたしはユキトの隣を歩きながら、胸の鼓動を抑えようと必死だった。でも、抑えきれない。心は叫びたがっている。


 頑張ってみようかな、今年は。

 あたしは、心の中で何度もその決意を繰り返した。

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