第9話 放課後の胸騒ぎ【Side : Kana】

 玄関が夕焼けに染まっている。自習室や部活帰りの生徒で、そこそこにぎわっていた。


「あれ」


 あたしは、自分のものではないばこを開けて首をかしげた。


「残ってる」


 そこはあいつのばこ。そこにはまだ靴が残っていた

 普段はこんなことをしないけど、今日は何か変な胸騒ぎがした。そこで、他人のばこを開けるという変な行動をとっている。

 案の定、しずの幼なじみ、おきゆきはまだ下校していないようだった。


「あいつ、人には早く帰れって言っておいて」


 朝、あまり動けなかった。だから、調子がよかった放課後はとことんまでやりたかった。でも、あいつの暗くなる前に帰れという言葉を思い出して、こうして帰宅しようとしてるのに。

 あいつ、今日は予定ないって言ってたのに、結局部活行ったのかな。それとも自習室とか、図書館かな。


 外を見る。ずいぶん、赤が強くなった。ずきり、と胸が痛んだ気がした。


「……しかたない。久々に一緒に帰ろっかな」


 それが美術なのか、勉強なのか、読書なのかは分からない。でも、きっと、いつものように時間を忘れて没頭しているのだろう。

 そうだとしたら、あまり意味はないだろうけど、スマホを取り出してメッセージを送る。『今終わったよ。そっちはまだ学校残ってる?』っと。

 ちょっと待ってみる。当たり前だけど、既読はつかない。電話するほどの用件ではないかな。


「迎えに行ってみよっと」


 さすがに帰り支度を始めるときはメッセージに気づくだろう。あたしは、再び学校の中へと戻っていった。



 美術室に向かう途中、そういえばあいつの部活中の姿を見たことが無いことを思い出した。それはあいつも同じだ。大会とかの応援には来てくれるけど、普段の活動中に顔を出すことは無い。無意識に線引きしてた、とあたしは思った。

 ううん、無意識だったのは自分だけか。

 少なくとも、あいつは意識して、あたしとの距離をとっていた時がある。あれは小学生の時だ。


 あたしが遊びに誘っても断ってきたし、わざと登校時間ずらそうとしたし、学校でも露骨に避けてきた。あいつがあたしを名字で呼ぶようになったのも、その頃だ。

 それが悲しくて。でも、理由が分かんなかったから、何も言えなくて。自分が悪かったらどうしよう、どうやって謝ればいいのか、と一人で泣いていた。

 そんなとき、いつものように家に一人残されることになったあいつがあたしの家に泊まりに来た。お母さんと、お父さんの前ではカナって呼んでたくせに、二人になるとあいつはまた静谷って呼んできた。


 ああ、もう駄目だ。あたしは爆発した。あたしの部屋で、あいつを正座させて、夜通し説教タイム。

 そこでようやく「俺が近くにいると、おまえが馬鹿にされる」という、とてもくだらない理由を聞くことができた。


 思い返せば、その頃、急に男子と女子の仲が悪くなっていた気がする。あいつはきっと、陰口をたたかれていたのを聞いてしまったんだ。自分へなら我慢するくせに、自分のせいでそうなるのは、すごく気にするんだ、あいつ。

「めんどくさい」

 あたしは今でもそう思う。あの頃のクラスの雰囲気にも、そういう判断をするあいつの思考回路にも。


 そのときは、えっと、けっこうなちからわざで解決したんだけど、それきっかけで今まで何もかもが一緒だったのに、静谷可南と沖田幸人の間に「それぞれの時間」が生まれた気がする。


 まぁ、悪いことばかりではないんだろうけど。やっぱり、思い出すと、ちょっと寂しい。


 ぼんやりと、そんなことを考えていると美術室が近づいてきた。

 ……どうしよう、ちょっと緊張するな。


「しっかりしてください、センパイ!」


 でも、そんな緊張は事件性のある悲鳴で吹き飛んだ。あたしは廊下だということも忘れて走り出す。一気に扉との距離をつめ、扉を勢いよく開けた。


「失礼しますっ!」


 事後承諾。ノックなんてしてる余裕はない。


「あっ」


 その勢いに驚いた顔と目が合った。あの後輩の子だ。それでも止まらない涙でれた瞳がこっちを見ている。

 その腕には、ああ、これも案の定。ぐったりとしたあいつの姿を見た瞬間に駆け寄った。かばんを下ろして、二人の前にしゃがみ込む。


「あ、あの、センパイが」

「いいよ、代わるから。ゆっくり下ろして」


 彼女から受け取ったあいつの体はずっしりと重く感じた。最後の意思で、座り込んだんだろう。これなら、この子が支えてなくても頭を打ったりはしなかったかな。

 これも慣れかな、と思うと苦笑いを浮かべたくなる。きっと、こいつはこんなのに慣れたくはない。もちろん、あたしも、だけど。


 ほんとなら保健室にまで連れて行ければいいんだけど、しきもうろうな相手を運ぶのは骨が折れる。人を呼ぶにも、放課後の遅い時間だ。近くにはこの子しかいないし、この子にもってもらうのも酷だな。


「ねぇ、あたしのかばんの中から使ってないタオル出してくれない? 袋に入れずに丸めてあるの」

「は、はい」


 その間にあたしはユキトの顔をじっと見る。

「沖田。聞こえる?」

 少し目を開けた。でも、こっちを見ない。焦点が定まってない。


「あ、これ」

「ありがとう。丸めたままでいいから、ここに置いて」


 床に置かれたタオルの上に頭を下ろす。あいた手で、ユキトの目の上に手を置いた。


「だいじょうぶ。ちょっと、寝てなさい」


 しばらく置きっぱなしにする。穏やかな熱が伝わり、落ち着いた息の音が聞こえてきた。とりあえず、安心かな。

 手を離すと、さきほどまでのぐったりさは消え、静かな表情になっていた。朝、あたしが起こしに行ったときに見たのと差違はない。

「ふぅ」

 急にどっと疲れが襲ってきた。慣れてしまっただけで、怖いのは変わりない。あたしは、足を投げ出して床に座り込んだ。


「あ。ありがとうございます」

 まだ涙目の後輩の子があたしに頭を下げてくる。そこで思った。あたしもまだ怖いのに、この子はどれだけ怖かったろうか。

「こっちこそ、ありがとうね」

 こいつを何とかしようとしてくれて。あたしは心の底から笑顔になった。


「たぶん、いろいろと聞きたいことあるだろうけど、後でこいつから説明させるから。先に帰ってもいいよ」

 ちなみにあたしは動けない。とりあえず、こいつが起きるまでここにいようと思う。そっからは説教タイムだ。調子悪そうだったら明日に延期するけど。


 あたしの申し出に後輩の子は、ふるふると首を横に振った。

「いえ、センパイが起きるまで、私もご一緒します」

「そう?」

 確かに、こんな状態で帰っても気になって仕方ないか。


 やっぱり、思った通り真剣だな、この子。だからこそ、こいつには説教しないと。

「じゃあ、ちょっとお話しようか」

 とりあえず、この子の名前を覚えよう。あたしはそんなことを考えながら、笑った。

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